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特集記事 地域の繋がりからうまれた、毎日「おにぎり2000個」

リーダーがビジョンを語る3553viewsshares2011.08.30

地域の繋がりからうまれた、毎日「おにぎり2000個」

福島第1原発からの距離がほぼ約100キロの会津若松市。ここ、福島県会津地域を中心に、避難者の長期支援に取り組んでいるプロジェクトがある。活動の第1ステージでは、食糧が足りない避難所に届けるための「おにぎりセンター」を展開。第2ステージでは、つなプロのモデルを導入し、避難所のアセスメントとそこから見えてきた課題を解決するプロジェクトを実施している。現在、避難所や仮設住宅でどのようなことが起きているのか、株式会社明天の代表取締役であり、元気玉プロジェクトの事務局長・貝沼 航さんにお話を伺った。

貝沼さんが取り組む避難者支援活動の拠点(元気玉プロジェクト推進本部)に足を踏み入れると、広い空間が一気に広がった。そして、そこに大量のおもちゃや物資が並んでいる。拠点として使っている場所はもともと大きな酒屋さんで、そこを安く貸していただいているそうだ。「大きい場所があるといろいろ使い勝手があるんだよ」と貝沼さんは笑った。

ーこのプロジェクトをはじめようと思った経緯やきっかけを聞かせてください。

最初、震災が起こって「とにかくなんかやんなきゃ」っていう思いがあった。同じ県の海側の地域から避難者さんたちが沢山来るから、何かできることはないかと思ってて。で、震災の3日後に、ちょうど県から「避難者さんたちのために、民間でおにぎり作りをやってくれませんか」ってメールがまわってきて。なので、おにぎり集めをやろうかなって思って、周りの人たちに声をかけたら、次の日に100個くらいおにぎり集まって、県に届けに行ったんだよ。情報がよく分かんなかったから、とにかく集めて持っていきゃいいと思ってて。そしたら「1000個くらい必要だ」って言われて。他の人もあんまり持ってきてなかったし、全然足りない。何個必要なのか、今どういう状況なのか知らなきゃいけないなと思って聞いたんだけど、避難者がたくさん集まってきていて、状況が刻一刻と変化していた時だから、避難所の状況がばらばらだった。行政に聞いても、何がどこでどう起こっているのか、という正しい情報や詳しい状況は分からなかったんだけど、とにかく避難所格差があるということだけは、唯一分かった。そこが、全てのスタートだったんだよね。

―避難所格差。

そんなことで、食料がある避難所もあれば、ない避難所もあって。食料が足りないところは県がある程度、取りまとめて持って行く、ということでおにぎりを集めていた。だから最初の1日2日くらいは、市町村から余ったおにぎり持ってきてくださいと。でも、日に日に各避難所に人が増えているから、もう市町村も対応できなくなってきて、余剰分のおにぎりもなくなってきちゃって。だから、民間で何とかおにぎり作れないか?という話が流れてきたんだ。最初の日は、さっき言ったように100個集めたんだけど、結局、必要な数は2000個ぐらいだと分かった。と言うことは、各家庭でちょっとずつ作って持ってきてもらってという方法だと全然らちが空かない。だから、各避難所の炊き出しとは別に「おにぎりセンター」みたいなのを作らなきゃいけないと思って動き始めた。

―おにぎりセンター開設に向けて動き始めたんですね。

そう。最初の発起人は弊社・株式会社明天寺子屋方丈舎というNPOだったんだけど、食材や作り方のこともあるから、やっぱり食分野のNPOも一緒に混ざってもらおうと思って、素材広場というNPOに相談して、チームに入ってもらいました。場所はいろいろ探したら、会津短大に調理室があるって分かったから、交渉したら、先生方が「そういうことなら、是非、使ってください。全面的に協力しますよ!」ってことになって。食物栄養科の先生方が毎朝準備から参加してくださることになり、社会福祉学科の先生が、学生に呼びかけてボランティアを募ることもやってくださることになった。だから、作る場所とボランティアは確保できたんだけど、問題は材料。お米が必要。地元の米農家さんから貰うのは継続性考えるとなかなか大変だし、やっぱり全国からちゃんとお米を集めないといけない。けど、呼びかけたとしても、最初って搬送ルートをどうするかって問題がすごくあった。要は、あの時期、ガソリンがなかった。

―それは大変ですね。どうされたのですか。

頭を悩ませかけた瞬間、会津食のルネッサンスっていう懇意にしていた会社が、新潟に拠点を作って、会津に毎日4トントラックで物を運ぶルートを早々に開拓したって情報が入ってきた。もう、すぐにその会社に駆け込んで、「開拓された搬送ルート使って、全国から新潟にお米を集めて会津に運ぶのをやってくれませんか」って話をしたら、「それはぜひやりたい」って。あっちからすると搬送ルート作ったけど、どう活用するかというところを欲していて、「活用してくれる団体があったら嬉しいな」って思っていたところだった。で、全国に呼びかけて、全国各地で地域の学生のインターンシップを地域の企業にコーディネートしているチャレコミ(チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト)の地域事務局にも協力してもらって、全国から新潟にお米を送っていただいた。毎日朝5時から会津短大の調理室使わせてもらって、学生や市民のボランティアたちが毎日2000個くらいおにぎり作って。それが1ヶ月くらい続いたかな。

―1ヶ月たったその後は?

毎日、県から「明日は何個必要です」って連絡がくるんだけど、1ヶ月近くなると、日に日に数が減っていくの。もうさ、もはやおにぎりじゃないってことだよ。避難所の状況も落ち着いて、安定して炊き出しとかも行われるようになったし、最初はおにぎりとか味噌汁でよかったけど、だんだん「いろんなメニュー食べたい、食べられるようになってきたからもうおにぎりはいいです」とか。で、役割ないことをずっと続けてもしょうがないから。おにぎりセンターって役割はそろそろ終わりにしようって、終了して。

―おにぎりセンターの役割は終了したんですね。

そう、元気玉1.0の段階はそこで終了。けど、じゃあ解散するかっていったら、そうじゃなくて。いろんなニーズが見えてきてね。おにぎりを届けに行ったり、他の団体の話を聞いたりすると、必要なはずの支援の抜け漏れがあったり、逆に支援がバッティングしてトラブルになりかけた、なんて話もあって。それで思ったのは、なるほど、これから必要なのは、何かをやることより、何をやったらいいか調べるという機能だな、と思った。点在している避難所のいろんな状況をきちんと調べて、今、そして半歩先で何が必要なのか知ることが必要だなって。ちょうどそのころ仙台のつなプロが立ち上がって、宮城県内の避難所のアセスメントをやっていて。これはすごくいい仕組みだし、会津でも必要だなあと。それで始めたのがちょうど震災後1ヶ月の4月11日です。

―じゃあもう3ヶ月以上、アセスメントをやっているんですね。

アセスメントは、地域の社会福祉士の人が入ってくれたのがすごくよかったんだよね。避難者さんの言葉のどこを拾うか、がうまくて。それから、会津短大の学生たちが中心になって「会津学生ボランティア連絡会」という組織を立ち上げて、160人ぐらいのボランティアを集めてくれた。社会福祉士と一緒に、会津短大の社会福祉学科の学生や看護学校の学生がペアでアセスメントをやっていた。学生は後ろでメモをとる役割だったんだけど、学生にとってもまさに現場でいろいろなことを学ぶ機会にもなって。「あなたに話きかれるのが1番よかったわ」というおばあちゃんもいたりして、心の交流にもなった。

―アセスメントで出てくる問題は、たとえばどのようなものですか?

二次避難所(ホテルや旅館)では、車がないことが問題のベースになっていた。原発地域からとにかく逃げてきたので、車は置いてきちゃったという人が多い。町の言うことをちゃんと聞いてバスで逃げてきた人は車がない。車がないと、子どもを学校に通わせられない。中学生向けには自治体がバスを出してたけど、高校生向けにはバスがないところもあった。。あと、洗濯の問題もあったね。避難のとき、服は何着も持ってきていないから、洗ってすぐ乾かして着ないと、着るものがなくなっちゃう。月3~4万コインランドリー代でかかっていた人もいた。その他、子どもの学習環境の問題や遊び場の不足、栄養面、正しい支援情報がうまく届かない問題、ペットの問題、物資の偏りなど様々な課題が見つかった。

-実際に避難してきた人たちを見て、なにか感じたことはありますか。

なんだろう。いろいろ感じすぎて何を言ったらいいか分からないんだけど。なんかこう、人って「ありがとう」と言い続けなきゃいけないって、すごいつらいんだなってこと。会津は特に他市町村から受け入れているから、会津側はどうしてもやってあげてる側になっちゃうし、避難者の人は「お世話になって申し訳ない」みたいな気持ちが他のところよりも強くて。アセスメントしてても、「何か困っていることないですか?」と聞いても「いやー、私たちは会津にお世話になっている身なので、贅沢は言えない」っていう言葉を最初に話す人が多かった。

―なにか問題はあったのですか?

ちょうど震災1ヵ月後くらいに、会津の市民の人たちに聞いたのは「ある避難所でおにぎりを捨てたりしてる」っていう話。そんなの避難者さんの一部の話だし、毎日同じもの食べてたら別のメニュー食べたくなったりもすると思うけどね。だから、僕は何とも思わなかったけど、でも、会津の市民の中にはそういう話も伝わって「会津の人たちがせっかく作ったのに、あいつら捨ててるんだ」「支援してあげることない」みたいな感情が生まれてしまう。『支援する側』『支援される側』っていう関係のままだとお互いによくないし、お互いにつらくなっていくってことを感じた。

-避難者と地元の人たちをつなぐために、いろいろ考えていらっしゃるんですね。

そう、例えばバーべキューとかね。仮設住宅で避難者さんの側がそこの地区の人をおもてなしするというかたちでの懇親バーベキュー。ずっと「ありがとう、ありがとう」って言わなきゃいけなかったところから、おもてなしして主催する立場になることって大事だと思っているんだ。分からないままだと地域住民も不安だし怖いけど、仮設住宅の中がわかると親近感が湧くしね。主婦同士仲良くしていけるように、って企画。あとは仮設住宅が殺風景だったり表札がなくて、どうしても悪く言うと収容所っぽくなってしまう。だから、表札づくりをするワークショップを地元の伝統工芸の職人さんと一緒にやったりしたいんだ。漆や陶器でつくって、地場産業の人と避難者をつないでいく。

-もともとプロジェクトをされる前は、会社ではどういうことをされていましたか。

地元の伝統工芸の活性化に取り組んでいます。もともと、チャレンジ・コミュニティ・プロジェクトの2年目にうちの会社を立ち上げて。会社の中核事業が、若者の挑戦の機会を伝統工芸の産地を舞台に作っていくこと。伝統工芸の職人と美大生とかデザイナーとかアーティストをつないで、産地活性化につながるいろんなプロジェクトを生み出したり、新商品開発を行ったり、美大生の空間デザインやってる子と店舗を改装したりね。学生たちが若者の視点で町を紹介する小冊子を作ったりするプロジェクトもした。そういうことをやりつつ、NPOの中間支援的な活動もしてた。そういう土台があったから、今回も地域のNPOやいろんな団体と繋がりがあって、結構被災者支援がやりやすかった。もともとの繋がりが地域の中にあったかどうかってすごいでかくて。ないと、こういうとき本当に困るんだなって。

(「あたらしい会津の『職』・『充』をプロデュースする」に続く)

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