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特集記事 地震で揺さぶられて残ったのは、地域に元々ある課題だった。

リーダーがビジョンを語る5510viewsshares2015.07.13

地震で揺さぶられて残ったのは、地域に元々ある課題だった。

2015年3月14 日、「みちのく仕掛け人市@東京2015 SPRING」が開催されました。今回の「みちのく仕掛け人市」では、東北の様々なフィールドで取り組む起業家、プロジェクトのリーダーが集まり、「右腕」という言葉の通り、リーダーと共に事業を加速させていく仲間を募集しました。当日は、「右腕」として東北で仕掛けていこうという方、東北の起業家との連携や支援、先進的な取り組みを知りたい方など、様々な想いで集まった参加者により、熱気のある場になりました。

みちのく仕掛け人市2015

※右腕プログラムとは
ETIC.では2011年5月から、東北の復興のために事業を進めるリーダーのもとに「右腕」となる人材を送り出してきました。2015年3月14日時点で送り出した右腕は206名、プロジェクト数は116に上ります。1年間の右腕派遣後、東北に残った社会人の右腕は62%、起業したのは14名と、東北復興だけでなく、地方の現場に貢献する新しい働き方としての「右腕」が少しずつ定着しています。

その中で、東北のリーダー3名を迎えたトークライブの模様をお伝えします。

この日、語られたのは、「働く場があれば、地域は元気になるのか」、「地域に眠る資源をどう生かせばよいか」など、東北に限らず地域に共通する課題解決のために、リーダーが今、取り組んでいることでした。他の地域に先駆けて、東北の地で取り組み始めたリーダーが考える地域のこれからの姿とは。「だから今、関わるなら東北なんだ」という説得力のあるお話をご紹介します。

■地震で揺さぶられて残ったのは、地域にもともとあった課題だった

山内(進行):まずは、お三方それぞれ自己紹介と、どういう思いでどんなことをしているかを教えてください。

立花 貴(公益社団法人Sweet Treat 311 代表理事) 1969年仙台市生まれ。東北大学法学部卒業後、伊藤忠商事株式会社入社。大学時代に、入社5年で起業するという計画から1年ずれるも、6年で伊藤忠を退社し起業。2000年、食流通関連の株式会社エバービジョン設立。2010年、日本の食文化・伝統工芸の発信する会社、株式会社四縁を設立し、薬師寺門前 AMRIT運営。震災後、文化人や民間企業、首都圏のボランティアとともに石巻雄勝中心に支援活動にあたる。その復興支援の活動が注目され、テレビ「サキどり!」(NHK)、「NEWS23」(TBS)や日経ビジネスなど多くの雑誌、メディアで紹介。

立花 貴(公益社団法人Sweet Treat 311 代表理事)
1969年仙台市生まれ。東北大学法学部卒業後、伊藤忠商事株式会社入社。2000年、食流通関連の(株)エバービジョン設立。2010 年、日本の食文化・伝統工芸の発信する会社、(株)四縁を設立し、薬師寺門前AMRIT運営。震災後、文化人や民間企業、首都圏のボランティアと石巻雄勝中心に支援活動にあたる。雄勝町内の築93年の廃校を改修し、2015年夏、レストランや宿泊施設、体験工房などを有する、こどもたちの複合体験施設「モリウミアス~森と、海と、明日へ。~」をオープン予定。世界中から交流人口を増やし、こどもたちの学び場をつくり、雇用創出と地域経済を活性化をする活動は、平成26年度「ふるさとづくり大賞(団体の部)」総務大臣賞に続き、第3回日経ソーシャルイニシアチブ大賞(東北部門賞)を受賞。

立花:石巻市雄勝(おがつ)に住民票を移して4年が経ちました。仙台生まれで、20年間、社会人として東京生活をしました。震災時は母の安否確認に始まり、被災地で炊き出しや、子供の教育支援など、目の前にあるすべきことをやり続けたら、今のようになっていました。現在は手作業で廃校を改修し、農林漁業体験をテーマに4000人の子供達に体験学習の場を提供しています。雄勝ー東京間を8人乗りの車で400往復し、出会った人を車に乗せて雄勝に連れ去る、文字通り「人さらい」のようなことをして、企業の方や官僚約1300人に雄勝の風景を見せました。

山内:なにがそうさせたんでしょう?

立花:見ちゃったから。これから過疎地域がどうなっていくか、地震でふるいのように揺さぶられて残ったのは、もともとあった課題でした。少子高齢化、過疎化、産業の衰退など、20年前倒しになったけど、いずれは向かい合わなければならない課題でした。

佐藤 賢(NPO法人ピースジャム 理事長) 震災翌日、わが子へのミルクやオムツなどを入手出来ず困惑する母親達の姿を目の当たりにし、気仙沼を拠点とした任意団体を立ち上げ、内陸地で物資を購入し被災地でのニーズ調査と物資配送を開始する。現在はNPO法人ピースジャムの代表理事として、地域の母親達の就労支援と、子供を通して地域が関わりあえる横断的な地域コミュニティづくりを行っている。こうした取組みの中で、母親が育児をしながら子連れで働ける就労モデルが評価され、「第5回インターナショナル・マイクロファイナンス賞」に日本人として初めて選出された。

佐藤 賢(NPO法人ピースジャム 理事長)
震災翌日、わが子へのミルクやオムツなどを入手出来ず困惑する母親達の姿を目の当たりにし、気仙沼を拠点とした任意団体を立ち上げ、内陸地で物資を購入し被災地でのニーズ調査と物資配送を開始する。現在はNPO法人ピースジャムの代表理事として、地域の母親達の就労支援と、子供を通して地域が関わりあえる横断的な地域コミュニティづくりを行っている。こうした取組みの中で、母親が育児をしながら子連れで働ける就労モデルが評価され、「第5回インターナショナル・マイクロファイナンス賞」に日本人として初めて選出された。

佐藤:私は気仙沼でバーを経営していました。震災で4年間働いた店を失い、7ヶ月の娘のミルクやオムツも手に入りにくくなりました。そこで物資の支援をしていたら、もともと地域にあった課題が表面化していることに気づきました。乳幼児をもつ母は、外とのつながりがなく孤独になりました。だったら、乳幼児を連れて働ける場をつくろう。雇用をつなげて仲間をつくろうと、保育施設付きの縫製商品とジャム工場をつくりました。

山内:バーテンとして、もともとやりたかったことがあったと思いますが、それとの折り合いは?

佐藤:いえ、逆に同じことのほうが多いですね。バーは社交の場です。人同士がひとつの空間を共有するということは同じです。バーの名前は「ルードジャム」で、ルードにジャムセッションしようという意味でした。「ピースジャム」は、人としてピースな社会をつくろうという意味です。つくるものは違っても同じことだと思っています。

芳賀 正彦(NPO法人吉里吉里国 代表理事) 24歳で青年海外協力隊員としてエチオピアに渡る。その後、パプアニューギニアで働いたのち妻の実家である岩手県大槌町吉里吉里に移り住む(28歳~現在)大震災で家は全壊、殆どの物を失う(家族3名は全員無事)。震災後、瓦礫から薪をつくり、販売する『吉里吉里国復活の薪』プロジェクトを立ち上げる。現在は、間伐作業の中から出る丸太を建築用材として、その他の木質・木材にも手を加え「復活の薪・第2弾」や、木工製品などに加工し販売している。

芳賀 正彦(NPO法人吉里吉里国 代表理事)
24歳で青年海外協力隊員としてエチオピアに渡る。その後、パプアニューギニアで働いたのち、妻の実家である岩手県大槌町吉里吉里に移り住む(28歳~現在)。大震災で家は全壊、殆どの物を失う(家族3名は全員無事)。震災後、瓦礫から薪をつくり、販売する「吉里吉里国復活の薪」プロジェクトを立ち上げる。現在は、間伐作業の中から出る丸太を建築用材として、その他の木質・木材にも手を加え「復活の薪・第2弾」や、木工製品などに加工し販売している。

芳賀:大槌町の吉里吉里(きりきり)は800世帯の小さな集落でした。津波で流されて、港も、町の中心部も、働く場もなくなってしまいましたが、森や山だけはそのままの姿で残ってくれたことに気づきました。行方不明者の捜索を2週間しました。避難所で震える人たちのために木材を拾い、焚き火をしました。24時間20日間、絶やさずに火を燃やし続けました。その炎のおかげで吉里吉里国ができました。助けてもらった命を森の中で生かそう。チェーンソーなんて触ったこともなかったけど、「やろう!」と思いました。そして今は、生活の糧として山の中で活動しています。病気で弱った木を間引く仕事と、丸太の出荷、薪もつくっています。50年、100年、孫の代までかけて、荒れている放置林を本物の里山に再生したいと思っています。自分の世代だけのためなら自己満足です。そうでなく持続する仕組みをつくりたい。遠野物語に「美しい村は、はじめからあったわけではない。美しい村は、美しい村で暮らしたい人がいるからできたのだ」という言葉があります。質素で心豊かな人が住む街をつくりたい。私は24歳まで福岡県博多の近くで暮らし、自動車整備士として青年海外協力隊で2年間エチオピアに行きました。そして39年前に妻のお尻にくっついて吉里吉里に移り住みました。キリキリとは、アイヌ語で「白い砂」の意味です。縄文土器も出てくる、先人たちが暮らしてきたまちです。

立花:芳賀さんの話に、モリウミアスとの共通点を感じました。リアスは山と海の美しいところです。戦後、安い外国産の木材が輸入され、林業が成り立たなくなり、山は放置林となってしましました。4ヘクタールを間伐して、整備のされた、あるべき山の姿にするプロジェクトを進めています。薪を使ったお風呂、施設の中にもウッドボイラーをつくりました。地域の人と人が繋がって同じ方向を見て新しいものを生み出せると思っています。

■接点をつくることからはじまる、コミュニティづくり

山内:過疎地域の問題をどのように解決していこうと思っていますか?

立花:雄勝では、震災前に4300人いた人が、震災後1300人にまで減ってしまいました。建物の8割が流出し、人口も8割が流出してしまいました。雇用がないので、働く場をつくろうと思いました。体験学習をしていると、ある小学校では5割が生活保護世帯だと聞きました。子供が大人の働く姿に触れていないという問題もあります。大人の仕事に触れることにより、多様な社会を学び合えると思います。sweet treat 311は、正社員8名(2015年3月14日当時)。うち5人は震災後、雄勝町を離れていた若者たち。その中の1人は13年前に廃校になった現在改修している学校の卒業生です。働く場をつくるには人材が必要です。1000社以上の企業に行き、「御社で一番優秀な方を2年間貸してください」とお願いしました。企業からの出向社員4名、右腕、プロボノの層の厚さに恵まれ成り立っています。モリウミアスの「アス」は、「明日」と「us」。私たちが中心になっていくという意味を込めています。

山内:働く場があれば限界集落問題が解決するわけではありませんよね?

立花:年間3000人を1300人のまち雄勝に呼びます。雄勝に泊まる人、雄勝で食べる人をどう呼ぶか、動かすか。そのためには家族のような、親戚のようなコミュニティをつくっていくことだと思います。年に1度は雄勝に行きたいな、家族や友人も連れて行きたいなと思ってもらい、交流人口を増やしていきたいです。

山内:拠点づくりですね。1か所、クリエイティブな空間が生まれると、そこに人が集まっていったりしますね。佐藤さん、地方の核家族化の課題と解決方法についてはどうですか。

佐藤:気仙沼は2014年に過疎地域に認定されました。大学がないため、若者の8割は高校を卒業したら流出してしまいます。震災前から若者の流出は多く、宮城県でワースト2位でした。しかし、30代までの回帰率は5割なので、半分は戻って来ています。戻った時に地域とのつながりがあれば良いですが、関係は薄くなっています。そこで、横断的なコミュニティを作りたいと思いました。気仙沼で生まれた1人の子どもを、大勢の大人でみることができる地域コミュニティを作ろうと活動しています。

山内:地域コミュニティが貧しくなると悪循環に陥ってしまいますね。釜石で聞いたのは、昔は海で遊ぶ子どもがたくさんいたが、今は漁業の邪魔になるからと海に入らせない親が多いそうです。隣近所の付き合いが無いのは、都心と同じだそうです。ピースジャムでは、そういう関係性のつなぎ直しをしたいと思っているわけですね。

佐藤:はい。人と関わりたいと思っている人はけっこういるけど、接点が無いんですね。日常的に接点を作りたいと、子どもの遊び場をつくっています。家や家族を失ったのは自分だけの辛い経験だと思っている人も多いですが、育児仲間として悩みを聞きあい共有すると、ピアサポート(同じような立場にいる人同士でのサポート)効果が生まれます。ジャムや縫製品の工房にもカフェをつくり、地域の方が遊びに来られる場にしたい。小さな日常的なことを言い合える関係性をどうにかつくりたいんです。遊ぶ子どもたちの姿を、地域のお年寄りが見ていて楽しい、そこでお母さんたちも楽しく働いたり過ごしたりする空間をつくりたいんです。

山内:それは経済の合理性の転換ですね。企業都合の雇用ではなく、お母さんたちが都合よく働ける場への転換。それってうまくいきますか?

佐藤:はい。最初のスタートの現場をつくるのはプロの仕事だと心して取り組んでいます。通用しなかったことを反省し、ブラッシュアップしていきます。

山内:吉里吉里の課題解決はどのように進めますか。

芳賀:これまでの林業は、金になるから木を切って丸太を出荷して森を手入れしていました。それも大事ですが、これからは間引きした材、残材や資材の有効活用から販路が広がっていくのではないかと思っています。バイオマス、木質バイオのもっとも究極なのは薪です。きちんと手入れした林内の空間を有効活用したい。地域内外の人を呼び、森林教室、林業学校、森林空間にこれまでなかった純粋無垢な観光業が成り立つと思います。木こりの住む家や、漁師の住む家がホテルになる。朝は竿を持って漁師の船に乗り、漁師と一緒に食事をとる。昼は林業体験。体験料を5000円とって7000円分くらい働いてもらおう(笑)なんてね。観光客ほど気まぐれな人もいないと思うんだけど、第一の資源は人、次は自然だから、大事にしないとね。これからの林業は売れるものをつくること。木炭もつくり、牛も飼いたい。森にはいくつもの宝が埋まっている。活用が過疎化対策の根っこになるんでないか。吉里吉里に住む自然との付き合い方を知っている人ならできるはずです。

立花:私たちも漁師と一緒に海に出ます。私たちの先生は漁師や農家。1泊2食こども6,800円(おとな8,000円)+プログラム料金料1日11,000円と考えています。そして固定客と一緒に作っていくことで生まれるものを大事にしたい。

山内:海で生きる人が多い吉里吉里で山の仕事はどのように思われていますか。

芳賀:水産業の人は今もまったく受け入れてくれませんね。金にならないから。都会の暮らしと田舎暮らしを比べる生き方をしてきたことで、誇りも失ってきました。でも、親世代の頃は、家で米も作っていたんですよ。吉里吉里集落の個人所有の山林400haの8割は今も地元の漁師が所有しています。生業は漁業でも50年前は自伐林家や自伐農家で山を使っていたんです。昔は出来ていたんだから、もとに戻すことは無理じゃない。だって、おれ、震災後、パソコンのパワーポイントも使えるようになったんだよ(笑)。でも、パソコン使える右腕がほしいですね。右腕には事務局マネジメントを縁の下で支えてほしい。土と汗にまみれる仕事ではないです。まみれてる人の心はわかってほしいけどね(笑)。

山内:農業の次に、今度は林業も注目されていますもんね。

■「助けに来る」のではなく「やりたいこと」を持ってきてほしい

参加者:都会から地方に入ると、価値観の違いで悩む人もいると思うんです。うまくいくポイントは何ですか。

立花:よそ者として入るときに、狭いコミュニティなので、支援してやろうという気持ちではなく、そこで一緒に住もうというスタンスで入ることが大切ですね。また、プロボノの人たちが全員がゆるいかたちの大企業だというイメージで考えると良いと思います。それぞれの場でそれぞれのことをする。そして常に本気で接することです。

山内:意気込みすぎると良くないですよね。でも、自分はこれをやりたい、という気持ちをもってほしいですね。助けたいという気持ちだけではなくて。

立花:地元の人に何をやりたいのか聞かれたときに、答えられるようにして来たほうがいいですね。必ず聞かれます。

芳賀:パソコンのことは冗談で(笑)。エチオピアで私が学んだのは、「助けに来てやったんだ」と言う人は、現地の人が排除しようとしたことでした。木こりを4年やって気づいた林業の素晴らしさは、50年前の先人が植林して、育った木をいただいているということ。今、植林しているのは、50年先の人が受け取るということです。それは恩送りの仕事なんだなって思うと、林業は素晴らしいなあと思うんです。

山内:地域資源を見出し、その価値を見出し、可能性に変えていくのは人の仕事なんですよね。右腕に限らず、さまざまな人の動きがあり人も集まります。そういう仲間がこれから東北に集まり、そして新しいことが生まれる場になるんだなと思いました。

会の終わりに、右腕プログラムのパートナー一般社団法人APバンク東北復興支援担当の江良慶介さんから、このようなコメントがありました。

江良:東北からきたリーダーに会いに来た皆さんは、普段の生活で、お金じゃない何かがあると思って来たんだと思います。きっと東北でうごめいてる何かがある、その何かとつながりたいと。今日のつながりを大切に、またどこかで会いましょう。

震災から4年を経て、もはや東北は、「被災地の復興」という文脈では語れなくなっているのではないでしょうか。なにかとても面白いことが起きている。そして、そう思っているのは私だけではないはず。そんな気持ちが、「みちのく仕掛け人市@東京2015 spring」でさらに強くなりました。同じように思ったたくさんの参加者の方が、リーダーの話に目を輝かせて聞き入っている様子に、胸が熱くなりました。

震災により露わになった課題を解決する処方箋の一つとして、豊富な資源を活用して広がる人の絆が、重要な役割を担いつつあります。目の前にあるすべてのものを活用しながら、右腕と一緒に課題解決に真摯に取り組もうとする姿勢。そのすがすがしさは、私たちに明るい未来の見つめ方を教えてくれます。それこそが、今の東北が魅力的な理由なのだと思います。

7月25日(土)には、次回の「みちのく仕掛け人市@東京2015 SUMMER」を開催します。今回は、東北で1年間、「右腕」として活動をしてきた「右腕」経験者3名によるトークライブや、東北のリーダーが商品開発・まちづくり・福祉・障がい者支援など、テーマ別に分かれて語る分科会も実施します。

東北で歩み出した新たな一歩の可能性を感じに、ぜひお越しください。

みちのく仕掛け人市@東京2015 SUMMER http://michinokushigoto.jp/fair

聞き手:山内 幸治(NPO法人ETIC.事業統括マネージャー)

書き手:木村 静(NPO法人ETIC.震災復興リーダー支援プロジェクト事務局)

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