HOME

特集記事 「世代も職業も越えて、石巻の海で繋がる」

リーダーがビジョンを語る5852viewsshares2014.08.13

「世代も職業も越えて、石巻の海で繋がる」

震災後、プロダイバー達がボランティアで海の中での瓦礫撤去や行方不明捜索を行っていた事実を知っている人はどれ程いるのでしょうか。今回は、宮城県石巻市でダイビングショップ「宮城ダイビングサービスハイブリッジ」を立ち上げ、3年経った今も活動を続けている高橋正祥さんにお話を伺ってきました。

ハイブリッジ2

―震災以降、ダイバーとして石巻に関わるようになった経緯を教えて下さい。

もともと、母親が南相馬の原町出身、父親が石巻の出身で、私自身は大学入学までは仙台で育ちました。震災で父方・母方の親戚達が被災し、福島のいわきの大学卒業後、私は神奈川でダイバーとして働いていましたが、一旦仙台に戻り、被災した親戚達の受け入れを始めました。ダイバー仲間達が、被災地で行方不明の被災者の捜索部隊を立ち上げましたので、2011年の6月から石巻の海で瓦礫撤去、行方不明者の捜索に加わりました。私も神奈川のダイビングショップをやめて、水中の土木作業をしたり、しばらくは作業ダイバーとして生計を立てていました。

—ダイバーが、震災時に捜索部隊として活躍した。

震災が起きて、日本全国はもちろん、海外からもプロダイバーが集まりました。これほどの大勢のプロダイバーが集まるのは、世界初だったのではないかと思います。震災時の遺体捜索や瓦礫撤去などもプロダイバーの方と一緒に思考錯誤しながら捜索活動を行ってきました。自分たち民間のプロダイバーがいなかったらできなかったことが多くあったと思います。そんな中で、今は瓦礫の多い東北の海でもレジャーをできるようにしたい、そのためにはもっと地元にダイバーが必要だと考え、「宮城ダイビングサービスハイブリッジ」を2012年に立ち上げました。

―瓦礫撤去や捜索活動はいつまで続いたのですか?

3年経った今でも、遺族の方から捜索依頼の連絡が来ます。「3年経った今でも?」と思うかもしれませんが、遺族の方からすると、「骨一本でもいいから見つけてほしい」とおっしゃる方が多いです。形見すら見つからず、心の整理がつかないと。もちろん、時が経てば経つほど、探し出すのは難しいと遺族の方にははっきりと伝えます。それでも、話し合いの上で、探してほしいと言われます。見つけることは最終目標ですが、その過程が遺族の方にとって大切なのだと私は思っています。自ら捜索をしたいのでダイバーのライセンスをとりたいという方もいらっしゃいます。そうして、いつの間にか、前向きな気持ちになって、海に行くのが怖かった方でも、海に行けるようになった方もいます。だから私は、依頼される限り、捜索活動を続けたいと思っています。

スライド1

—ハイブリッジが創設されて約2年になりますが、手応えはどのように感じていますか?

最近、やっと形になってきたと思います。地元の漁師達とも関係が作れてきたと思いますね。最初は漁師の方達は、ダイバーを自分たちの海を荒らす存在、というイメージで見ていたと思いますが、海でのルールを作ったり、漁師の方達の仕事を手伝いに行ったりする中で、少しずつ信頼関係を築いて来たと思います。最初は壁を感じていましたが、少しずつ友達のような感覚が芽生えてきて。今は、「こいつらは大丈夫だ」って思ってもらえていると思います。

—ダイバーと漁師が共存するって、あまりない例だとも思いますが。

もともと、東北にはほとんどダイビング施設がありませんでした。それは、漁師の方々の了承を得ることができなかったからだと聞いています。でも、震災があったからこそ、それまで接点のなかったダイバーと漁師が繋がることができた。私たちは、ダイビングスポットの開発のために生物調査も行っていますが、よいスポットを漁師の方達が教えてくれるんですよ。もちろん、ともに海を楽しむ仲間として、勝手に海の資源をとらないなどの約束やルールをしっかり作っています。今では、ダイビングによって若い人が地域に入ってくることは、人が減りつつあるこの街にとっても良いことだ、と考えてくれる漁師の方も多いと思います。

スライド2

—地元漁師さんとの信頼関係をつくられた上で、この事業は成り立っているのですね。では、今後に向けてのビジョンを教えてください。

私は今後も宮城県の三陸の海に潜り続けて、海をきれいにし続けたいと思っています。陸の瓦礫撤去は進んでも、海の撤去はまだまだですから。その上で、この石巻、女川の海を盛り上げたい。

私は、ここでしか出来ないことがあると思っています。例えば、冬の北海道の海ってダイバーにとても人気なんですよ。その時期にしか見られない生物が見られて、流氷ダイビングも人気です。この東北の海は、今まで漁師さんとの関係で手付かずだった分、全部ゼロからスタートすることができる。新しい生物だって見つかるかもしれません。ここの魅力を見つけて発信していけば、もっと東北の海にダイバーが集うと思っています。

海を愛し、海とともに生きる高橋さん。世代や職業を越えて、海で繋がる人たちが、これからもどんどん増えていくといいですね。ありがとうございました!

この記事をシェアする

その他の記事を見る

日和山公園から蛤浜へ。つなプロの日々を振り返るみちのくさんぽ

リーダーがビジョンを語る5158viewsshares

アートから生まれる商店街のつながり

リーダーがビジョンを語る6462viewsshares

「主役は住民」女川町の復興の黒子役

リーダーがビジョンを語る5510viewsshares

カラフルな世界に大興奮!トレーラーハウス宿泊村「El faro」の人気の理由に迫…

東北発!のモノ・サービス7952viewsshares

THINK TOHOKU 2011-2021 これまでの5年を振り返り、これからの5年をともに考えていきます。

THINK TOHOKU 2011-2021 これまでの5年を振り返り、これからの5年をともに考えていきます。

右腕希望の方々向け個別相談会開催中 申し込みはこちら

右腕希望の方々向け個別相談会開催中 申し込みはこちら

SITE MENUサイトメニュー