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特集記事 育んだ信頼関係から、新しい仕事が生まれる

私にとっての右腕体験2024viewsshares2013.09.24

育んだ信頼関係から、新しい仕事が生まれる

リサーチ会社勤務の後、仙台市のNPO支援組織でリーダーの右腕として1年間、現地の復興に取り組み、現在は地元であるNPO法人藤沢市市民活動推進連絡会のスタッフとして働く宮本裕子さん。今回は、東北での経験による宮本さんの仕事観の変化や、これからについてお聞きしました。【NPO法人藤沢市市民活動推進連絡会 職員・元右腕・ 宮本裕子】

―震災後に「右腕派遣プログラム」で被災地に入って、どんなお仕事をされていたんですか?

せんだい・みやぎNPOセンターという、現地のNPOや市民活動をサポートする中間支援組織の事務局というポジションでした。状況が状況だったので、NPO関係者向けの研修の企画実行から、調べ物、日常的には電話をとったり、雑務をさばいたり、とにかくなんでもやりました。

―かなり多忙な日々だったんですね。

でも、時間的には余裕があったんです。それまで、仕事ばっかりで余裕のある生活なんてしたことがなかったから、ぽっかりひとりの時間ができた時に、「被災地までやってきて、私はこれでいいのだろうか」と思ってしまったほどで。組織の中のものごとも、どうあるべきかは見えても、思ったようにコトが進んでいきませんでした。そのことを組織のせいにして、そこで立ち止まってしまっていたこともありました。

―小さな組織は、大企業とはまた別の難しさがありますよね。そういった課題をどう乗り越えていったのでしょうか?

ある人に近況相談をしていた時に、「言うことだけ言って、行動しないのは美しくないよ」って言われた時にはっとしたんです。「もしかして、こういうのを大企業病って言うのかな」と気づいて。組織に与えられた環境に依存するのではなく、自分から環境を変えていくしかないんだと。何かに挑戦したけどうまく行かなった時、「話が通じなかった、もうダメだ」となるのではなくて、あの手この手を試してみるようになりました。仕事で成果見せてみたらどうだろう、まずはしっかり人と人としての関係を築いたらどうだろう、とか。

―それは大きなマインドセットの変化ですね。いわゆる大企業と、小規模な組織では、はたらき方、特にコミュニケーションの作法にどんな違いがあると感じましたか?

千人以上の規模の大きな会社では、ある程度共通したコミュニケーションの作法が確立しているように思います。たとえ入社した当時にそれが身についていなくても、仕事を積み重ねていく中で、それを身につけていきます。だから、直接的なコミュニケーションにかかるコストは、比較的少ないんじゃないかと思います。共通したバックグラウンドや、言語がありますから。

―稟議や組織の構造は大企業になるほど複雑になるけれど、個々のやりとりは比較的スムーズだということですね。

そうです。それに、クライアントとのコミュニケーションも、「都会のビジネスパーソン」の共通言語や認識が一定程度あるので、それほど予想外のことが起こったりはしないと思います。

―対して、小規模なNPOという現場ではいかがでしょうか?

社内・社外のコミュニケーションのどちらにおいても、より「人と人」が仕事をしている、という印象があります。何々社のどんなポジションの何さん、ではなく、まず個人して心を開かないと、何も始まらない。その関係構築が全てのベースにあるように思います。

江ノ島でのインタビュー風景

―東北での経験を経て、地元ではたらこうと思った背景には、どんなことがあったのでしょう?
被災地にいて、地元のことが気になる瞬間が何度もありました。すぐ思い出すのは、名取市の閖上を訪問した時のことですね。津波によって壊滅的な被害を受けた閖上ですが、地元の方のお話では、震災まではそれほど大きな被害を受けた事はなかったそうなんです。日和山というところにある倒れた石碑を見せていただいたときに、「昔この地に3メートル級の津波が来たが、人畜の被害はなかった」と書いてあって。地元の方も、「こんなことになるなんて、昔の人も考えもしなかったんじゃないかな」と。石碑にも「津波の被害なし」みたいなことが書かれてあったそうで。

―1,000年に1度の震災と言われていますよね。

まだ小さかったころ、私は藤沢市の辻堂西海岸という、海から1キロくらいのところに住んでいました。閖上の光景を見て、「ここまではさすが津波はこないよね」と家族で話していたことを、ふと思い出したんです。閖上は平地なので、内陸6キロまで津波が押し寄せてきたそうです。思わず自分の地元の地図に照らし合わせて、6キロを測った時に、どれ程のことかわかって驚きました。地形の違いがあるので単純に比較はできませんが、それでも自分の住んでいた家や通っていた小中学校、歩き遠足で行った内陸の公園まで範囲に含まれていて。

―僕も実家が海辺なので、とても共感します。被災地を訪問した際には、現地でお聞きした話を、家族や友人に伝えたくなりました。

そんなことが積み重なり、どんどん「地元が気になるな、やっぱり好きだな」という気持ちが高まっていったんです。ただ、1年で被災地を離れてしまうということが、どうしても心にひっかかっていました。何も目に見える成果を残せなかったな、とか、離れることで地元の人を落胆させちゃうんじゃないかと。

―それは、悩ましいですね。周りはそう思ってはいないかもしれないけど、こだわりや思い入れがあるから、悩んでしまう。

結局、一番気にしているのは自分だったんです。仙台で最後に送別会を開いていただいた時に、「ここで見聞きしたことを、地元に戻って伝えていくことは、私たちにはできない。けど、あなたならできることなんだよ」と言われたんです。それで「ここに残るだけが仕事ではない」と、ちょっと楽になりました。

―それは素敵なメッセージですね。あなただからできることがある、と。

それ以外にも色んな出来事や出会いがあって、自然と、今の状態にものごとが収束していったように思います。

江ノ島でのインタビュー風景

―これからはどういった働き方をされていくんですか。

今の仕事に加えて、東北の復興に関わる仕事もちょこちょこと始まってきました。具体的には、新しくうまれた産品のマーケティングの仕事や、現地NPOが実施するリサーチのサポートなどです。それも、彼らからお声がけいただいて。

―色々な切り口で仕事をされていますね。宮本さんは、リサーチという明確な強みがありますが、それだけでなく、人間関係の中から色んな仕事が舞い込んでいるという印象があります。

昔から、直感で面白そうだなと思ったら、とにかく首を突っ込んでやってみます。その中で「これもできそうだね、お願いできないかな」と、頼まれごとが広がっていきます。私は「個人で仕事しますよ!」と営業したことはありませんし、今でも、全く知らない人達と仕事をしているわけではありません。

―宮本さんの今の働き方を支えている要素のひとつに、様々なプレイヤーとの太い信頼関係があるということでしょうか。リサーチ会社勤務時から、色んなところでプロボノをされてきた時の経験や、東北での復興支援など、様々な伏線を回収するように、今があるような印象があります。

振り返って考えてみれば、単に「リサーチ会社でスキルを身に着けたので、独立します!個人で仕事を受けます!」というだけでは、今のような仕事の仕方ができることはなかったように思います。私は、「数年後に自分はこうなっていたい。だから、今はそれに向かってこういうことをやり、こういう道を歩んでいく」という生き方ができるタイプではありませんが、いろいろなものが巡り巡って、つながっていっているのかなと思います。

聞き手・文/石川孔明(NPO法人ETIC.)

宮本さんの現在の詳しい仕事内容や、右腕派遣プログラムに参加するまでのプロボノ経験は、DRIVEラボのインタビューでご覧になれます。

■ 「NPO職員兼フリーランスとして、柔軟に働く」宮本裕子さんインタビュー(前編)(求人サイト「DRIVE」)

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