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特集記事 本当の意味での持続可能な社会をめざして(1)

私にとっての右腕体験2115viewsshares2013.07.05

本当の意味での持続可能な社会をめざして(1)

震災発生後の2011年4月から岩手・福島での支援活動に取り組み、その後、「元気になろう福島」の右腕として活躍した戸上昭司さん。右腕期間終了後も福島県田村市の蓮笑庵で活動を続ける戸上さんに、これまでの2年間を振り返ってお話をしていただきました。【元気になろう福島(元右腕)・戸上昭司】

震災後、東北に関わり始めた頃のことを教えてください。

関わり始めは、現地調査をする人びとの後方支援活動からです。当時は名古屋にいて、仕事もあったので。4月からは自分も現地入りして、岩手の大船渡や陸前高田での支援活動に参加しました。

福島に行くようになったのは、どのようなきっかけからでしょう。

福島にいるたった1人の友人と連絡が取れたからです。共通の友人経由で携帯電話の番号を知って、5月のゴールデンウィーク明けに連絡が取れました。電話越しの会話では気丈に振舞っていましたが、それだけにちょっと心配で。自分から押しかけて行くようなタイプでもないので、とりあえずちょっと様子を見に行くという感じで、5月下旬に初めて福島へ行きました。

その友人とは、名古屋で一緒に仕事をしたことがあるのですが、結婚後に福島に引っ越したとは聞いていたけど、それが飯舘村だということまでは覚えていませんでした。避難先の福島市で再会した後、一緒に車で飯舘の家を見にいきました。はじめて福島に来た時は、「宿が無いから今日は車の中に泊まろうかな」などとのんきなことを言うほど、放射線に関しては無防備なところがありました。車ではガンマ線を遮蔽することはできないにも関わらず。

そうだったんですか。初めて行った福島は、どのような様子でしたか。

「どこに希望を見出して良いのか分からないな…」という感じでした。正しい情報も間違った情報も錯綜していて、みんな混乱している様子で。大学ではX線分析機の開発にも携わっていましたので、放射線計測には知識はあったのですが、何のアドバイスもできず、僕はただ話を聞くだけでした。

3日間の滞在の中で、人づてに色んな人を紹介してもらって、中小企業経営者や、有機農家、市民活動家などからお話を聞きました。そうやって福島の人から話を聞いていると、なんだか逃げられなくなってきたんですよね。とにかくまた来ますと約束して、その場で次の訪問日程を具体的に決めて名古屋に帰りました。

—2回目の訪問ではどんなことをされたんですか。

大学時代の指導教官を連れて、放射線測定などをサポートしました。その時に感じたのは、客観情報と主観情報——つまり実験や調査の結果である事実と、その事実に対する個々人の考察や意見——は別々に考えなければならないのですけど、それらがごちゃ混ぜになってしまっているな、ということでした。

ちょうどその頃、市民団体の放射線測定チームが起点となって、市民放射線測定所というものが立ち上がろうとしていたので、活動のための資金や資機材の調達も手伝いました。測定機器を囲むための鉛ブロックを、僕が昔いた大学の研究室が提供してくれて、それを自らレンタカーを借りて持っていったあたりから、地元の方が僕を信頼してくれるようになった印象があります。震災直後から色んな人がボランティアで入ってくるものの、「また来ます」と言って結局来ない人も大勢いたわけですし、地元の人たちからしたら失望の連続で、外の人間はなかなか当てにしづらいという空気を感じていましたから。

先の見通しがつかないなか、戸上さんのように継続的に来てくれる人は、現地の人にとっては頼りになる存在だったかもしれませんね。

僕自身も何をしていいのか全然分からなかったんですけどね。ただ、これまでの自分の行動を振り返っても、先の見通しがつかない時はとにかく現場に触れることにしていたので、今回もそうしようと。名古屋での仕事の合間を縫って、最初の1年は月に1,2回のペースで毎回3日間ほど滞在することを続けました。

蓮笑庵との出会いについて教えてください。

名古屋の知り合いに紹介してもらったのがきっかけです。ボランティアの宿泊を受け入れているところだと。なので、最初は福島滞在中の宿泊拠点としてお世話になっていたんです。今の活動につながる転機があったのは、震災発生から1年後のことですね。

2012年の4月になって、「1年経って、地元の人たちはこれからどうしていきたいと思っているのか。僕に何ができるのか。」ということを、立場も地域も違う3人の方に聞いて回ったんです。そしたら3人が3人ともある企画を僕に話してきたんですよ。内容は、食、環境、エネルギー、福祉といったテーマをベースにした新たなコミュニティを作りたいという点で、3つとも見事に共通していました。福島がこれから担っていく役割というのは、日本のこれからの暮らしのあり方を先んじて見せていくことなのかもしれないなと感じました。そのひとつが蓮笑庵の「くらしの学校」構想だったのですが、他の2つと比べて、ここには事務局的な人材も不足していて、このままただ相談を受けているだけでは実現は厳しそうだなと思ったので、蓮笑庵を本格的に支援することを決めました。「元気になろう福島」の本田さんと知り合ったのはこのタイミングでのことです。

右腕期間はどのような活動をされていましたか。

「元気になろう福島」では福島県内の起業支援を行なっていたのですが、蓮笑庵の「くらしの学校」はその支援先のひとつでもありました。他には、田村市で開催されたエゴマサミット、蓮笑庵内に設置するカフェの創業、いわきで子ども保養事業を行うNPOの設立などに携わりました。内閣府の起業支援金も取れたので、12月頃からはこれら起業家予備軍の伴走支援が仕事の中心になりました。起業家といっても、今まで起業なんて考えたこともない人達ばかりです。当初は備品をどうやって購入して良いのかすらもままならないという状況で、買い物の付き合いなどもやりました。そのほかでは、蓮笑庵の美しい景観を保つために必要不可欠な庭掃除や片付けなど、なんでもやっていましたね。

—たしかに、今まで蓮笑庵を伺った時も、戸上さんはだいたいいつも庭掃除をしているイメージが強かったです(笑)

ここにいると、起業支援とかコンサルをやっているというより、暮らしに直結した日々を丁寧に送っていた、という感じがあって、名古屋にいた頃よりむしろストレスは少なかったかもしれませんね。

続編:本当の意味での持続可能な社会をめざして(2)

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