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特集記事 “農業”という仕事で復興、地域のためにできること

リーダーがビジョンを語る6588viewsshares2013.05.31

“農業”という仕事で復興、地域のためにできること

南三陸町の北部、歌津地区にて菊とトマトを栽培する小野花匠園。農業を通して、安定した雇用を生み出すべく日々、様々な挑戦をつづける社長の小野政道さん。家業である小野花匠園のこれまでとこれからを、様々な出逢い、みちのく起業、ボランティアツアーのエピソードを交えつつ伺った。【小野花匠園 小野政道】

―まず、簡単に小野花匠園の説明を簡単にお願いできますか?

南三陸町の歌津で菊とトマトの栽培を行っています。本当は畑をご案内できるといいんですけど、いろいろなところにあるもので。

―なるほど。ご家族でやられているんですか?

今までは父子で農業をやってきました。震災前から農業をやる中で、やはり作ったものを最後まで自分で販売したいという想いがあったんです。

―それはどうしてですか?

どこかを介して売る場合は、いろいろな人の考えがあって、時間がかかったりするんですよね。でも、スピードってすごく大事なので、自分はどちらかというと一人でやった方が良いのかなと思ったんです。だから、市場に出すときも、直販するときも個人で販売するということをしてきたんです。そんなときにちょうど震災が。

―震災後はどういう感じだったんですか。

ここに20人以上が避難して来ました。でも、自分も家のことがあるしどうしようかと考えたんです。そのに、電気が来ず暖房も水やりもちゃんとできなかったにも関わらず、畑に黄色い花が咲いていたので、このまま管理していけば、ちゃんと育って実はなるはずだと思いました。

それから、助けて頂けるのは嬉しい一方で、震災があっても早く自立したいという感じで、少しむきになっていたのかもしれません。そうは言っても、販売先も被災して、流通も麻痺、暖房の修理も来ず、出荷するための段ボールも手に入らない。そんな状況で、間に合うのかなって思ったんですけど、徐々に動き出したんです。段ボール会社にもすごい無理を言って、なんでもあるやつでいいから用意してくれるようお願して、トマト収穫ぎりぎりの頃に受け取りました。

―それがいつ頃のことですか?

震災から3カ月経つか経たないかくらいでした。でも市場に出してもタダ同然の金額になるというのが分かったので、ネット販売しようと思ったんです。でも、当時インターネットが繋がっていなかったので、お客さんに伝えたい言葉とある程度の機能の要望を友達に伝えてホームページ作るように頼みました。収穫時にようやくホームページも開設できたので、これで販売できるって思ったんです。

―なるほど。

でも震災の影響で知名度が上がって売れるのは、はじめの1~2年だけだろうと。やはり物を作って直接お客さんに販売するとなったら、しっかりブランドを作らなければと思ったんです。なので、普通のトマトの箱にスポンジを敷いたり、トマト一個一個を保護するような包装を。あとは10年後の南三陸のこととか自分の想いを書いて、同封して送りました。

あらためて自分にある農業という仕事で何ができるのかなと考えたときに、そんな莫大なお金があるわけでもないけど、会社にして雇用をつくればその後ろにいる家族が少しでも安心して暮らせるかなと思ったんです。でも、その為には冬場に弱いこの地域の農業をどうにかしないといけないなと。季節によって仕事がないっていうのは会社でもないし、自分が求めていたものとは違うなと思ったんですよね。

―でも、安定した農業って難しそうですよね?

そうですね。その中で、本気で働きたい人をどうやったら年中雇用出来るかなって考えて、菊の花束をお店と年間契約することにしたんです。もし、うちで花が無いときは市場から買い付けて加工してラッピングして花束にして卸せば、そこで最低限の利益をとって、冬場の社員やパートさんの給与にあてられるので。

―それはいつ頃の話ですか?

販売先に営業を始めたのは7月くらいですね。トマトが震災後4ヶ月後くらいである程度軌道に乗って、8月~9月には菊がとれる。だから、10月以降のための契約を取りにいこうと。その頃、コンビニの前を通ったら、普段は若い人が多いのに、店が無いからおじいさんおばあさんもいて、お線香、蝋燭とか置いてあったんです。

―コンビニにも今までと違うニーズが生まれたんですね。

はい。トマトはブランドという付加価値をつけて販売するけど、菊は地元の人を中心に販売していくんだから、逆にどれだけ安くて、新鮮な菊をお客さんに手にしてもらえるかを考えようと思ったんです。自分達は作り手だから、作り方次第で多少は値段や出荷までのスピードを調節出来るので、それを強みとしてコンビニのオーナーさんに営業しにいったんです。花束1個持って「5分だけ時間ください」って言って。

―飛び込み営業を始めたんですね。

そうですね。もし腐ったりしても全部うちで持つ形で、コンビニエンスストアさんにリスクが無いように。しかも一番安い値段で出すので置かせて下さいって言うのを頼んで行ったんです。とにかく出かけてコンビニ見つけるたびに「あ、ここにもあった入ろう!」って。そして、10店舗くらい集まったので、今度は市場に買い付けても大丈夫だと思って、市場にOKをもらいに行きました。

でも、それだけではまだ安定しないので、今度はスーパーに行ったんです。大きな業者さんとの競争もありましたが、何とかやらせてもらえるようになって、ちょうど今年の2月14日くらいで契約先が30店舗くらい集まったので、やはり会社という形で行こうと思いました。家族だけで小さくやった方が、負担も責任も少ないんですけどね。

―会社としてやるのはこの1年くらいの話なんですね。

初めて社員が一人入ってきて、一人入ると更に来て欲しいなと感じたんです。さらに契約すれば年間の社員の給料も払えると思って、増える度に営業を重ねました。今は60近くの店舗さんと契約結んでいます。

―どんな方が働いているんですか?

パートさんの中には、海の仕事をやっていた年配の方60~70歳の方とかもいました。ずっと牡蠣剥きとかやっていた人が震災以降、仮設でやることなく過ごしていたんです。そんな目いっぱい働ける体力でも無いので、朝4時半から収穫のときだと朝9時頃まで働いてもらいました。そうすると毎日働いてる内に自然と畑でコミュニケーションが生まれて、給料が入れば同僚とか友達とみんなでバスに乗って買い物に行ったりするのを見て、何か良いなって思ったんですよね。

―そんな効果も生まれたんですね。

会社経営考えると「もっとちゃんとしろよ」って言われるんですけどね。それから、元々海をやっていった人達は仕事が再開して戻って行って、次に何をしようと思ったときに、若くて農業を目指す人はこの場所でどうしているんだろうと思ったんです。そこで、仙台の農業大学に求人の依頼を出しました。なるべく石巻から北の人でやりたい人って言ったら男の子と女の子二人が面接に来てくれて、今年の4月1日から入社です。すごい責任ですよね。

―責任というと?

学校に通いながら仙台に住んでいて、もしかしたらそのまま普通の会社に就職するっていう道もあったわけですよね。でも、2人は20歳でここに戻って来て、一日の半分以上をここで過ごして、何十年ってここに住み続けるってすごい違う選択ですよね。だから、何か仕事のほかにも夢持ってもらうとか、ただ雇用するだけじゃだめだよなって思って。淡々と流れ作業だけじゃなくて、本当にいろんな農業があるんだっていうことも自分の仕事を通して伝えていかないといけないと思うんです。

―小野さんは、農業の仕事をずっと?

自分は、高校卒業して東京に行きたくて、行っちゃったんです。4年間フリーターみたいな生活をして、大学だったら4年で卒業だぞみたいに言われたりする中で、帰ってきたものの、農業やりたいとは考えていなかったんですよね。

―そうなんですか!?

親が苦労しているのを小さい頃から見ていたので。でも、自分で販売を始めて、徐々に結果が残って行くと面白いなって思い始めました。そこからちゃんと更生して、打ち込むようになりましたけどね。

―そんな時期があったんですね。ただ、今やっているのは従来の農業とは一味違う感じですよね?

そうかもしれませんね。色々な支援の話とか出逢いもあったんですが、たまたま復興応援団の佐野さんが従姉妹の知り合いだったということで、ご縁をいただいて、ツアーをしたり、みちのく起業も紹介してもらいました。

―ちなみにみちのく起業やツアーを通した発見とかありましたか?

ツアーで来て下さった方たちにfacebookも教えてもらってページ作ってもらったりとかしましたね。そのおかげで久しぶりに会っても近い感じで話せるし、友達みたいになってきて、今ではお互いの心配もしますね。

―そうなんですね。

今は、これまで出逢った方はもちろんのこと、どうやったら人と継続的につながるのか考えています。震災の影響が続くのもあと1年、2年。そしたら商品も売れなくなるっていうのは一番自分たちが理解しているから、その前に1つでも2つでも面白いアイデアを考えないといけない。

―確かに、復興需要みたいなものかもしれませんね。何か具体的なアイデアはあるんですか?

トマトに関しては、都会とか若い人の間では甘みの強いフルーツトマトが人気ですよね。だから、品種を厳選して今まで1種類だったのを4種類にしました。その中で、人気のフルーツトマトに近い感じのトマトも栽培するようにしていますた。あとは、ミニトマトの皮がすごい薄くて発送も出来ないくらいのグミのような品種があるんですけど、その種を100粒くらい譲ってもらって作っています。時間とか余裕がでれば地元の子供たちに向けてトマトの収穫時に農園を開放して好きにとってもらうのも良いかなと思ったり、いろいろ考えています。

―広がりますね。

とにかくツアーを出来るだけ長く続けて、それが段々観光に変わっていけばいいと思うんです。別に小野花匠園のためにならなくても南三陸町の宿に泊まって、お土産買って帰ってもらえれば町のどこかに入りますよね。そうやって広げられるように、新しく入る社員も含めて、ツアーの中で別の会社に勤めている人と農業とか関係なくいろいろな話をして欲しいですね。そうやって刺激を受けたり、どこかでつながる仕事の発想も生まれると思うので。

―それこそ何か新しいことがはじまるかもしれないですね。

どうなっていくか本当に想像つかないですね。自分と違うバックグラウンドを持った人たちがたくさん来てくれています。だから、分からないことはいっぱいい聞いて吸収していきたい思います。

小野花匠園facebookページ: https://www.facebook.com/onokashouen

小野花匠園ブログ: http://onokashouen.com/news/index.cgi

聞き手:加納実久・坂口雄人(みちのく仕事ボランティアライター)/文:加納実久(ボランティアライター)

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