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特集記事 経験した点と点がつながり、ここへ来るしかないと思った

私にとっての右腕体験2310viewsshares2012.09.16

経験した点と点がつながり、ここへ来るしかないと思った

学生の頃から、自分が学んでいる絵やデザインが社会問題とどのように関わるべきなのかという問題意識を持ち、ボランティア活動にも参加していたという種坂奈保子さん。前編に続き、ボランティア活動について、そして陸前高田未来商店街プロジェクトと出会い、採用されるまでの経緯についてお聞きしました。【陸前高田未来商店街プロジェクト・種坂奈保子(2)】

—時が止まっていた?

なんていうか、3月11日から一歩も前に行けないって、みなさんが言っていて。全然、先のことも見えないし、もう何にも分からないという状態の中で、ひまわりの咲く、ちょっと未来のことを考えることができた。今は庭も全部ダメになっちゃったけれど、7月、8月、そこにお花が咲いたらキレイだなーって、ちょっと笑ってくれたのが、すーっごい嬉しくて。「花の種いいわね、私もお花大好きだったの」って言ってもらえて。あとから分かったんですけれど、石巻ってみんな家が大きくて、旦那さんが漁師だったりしたら、奥さんはずっと家にいるので庭作りをしている人がすごく多いんですね。

—そうなんですね。

植物への愛がすごいんです。それが全部なくなってしまったわけで、「私の大事なバラがー!」って本当にみなさん、そんな感じでおっしゃるんですね。すごいショックを受けていたみたいで。それで、駅前で種を配って喜んでもらったことから弾みがついて、それからは小学校に行ったり、いろんなところに配りまくりました。プランターと土もセットにして在宅の人に配ったり、避難所でも配ったり。そうしたら、その後ですよね、6月7月になると、ニョキニョキ大きくなっていくわけですよ。

—ひまわりが。

はい。街じゅうに。私たちが配ったのは木で作ったプランターだったので見たら分かるんです。で、もう街じゅうでニョキニョキ生えていて、それがすごく面白くて。見つけると声をかけたくなりますよね、その家の人に。避難所に入っていた人が、家を直して帰るときに、持って帰ったりしていて、知らないところにもプランターが置いてあったりしました。

—ひまわりが増えているわけですね。

ひまわりロードというのもできていて、いろんなところにひまわりが咲いていました。それが伸びていく過程を、街をまわって、メモを作ったんです。ひまわり日記というのを作って。マップと照らし合わせて、その人のひまわりの状況とあわせて、例えばいま家庭で抱えている問題だったりとか、お婆さんが一人でいるので話し相手がほしいとか、そういうのを全部メモにして。知らないうちに、アセスメントみたいなことをしていました。気になった家があれば、ひまわりを口実に会いに行ったりして。

—なるほど。いいですね。

ひまわり大きくなりましたね、っていうところから話をしつつ。中には震災直後に孫が生まれて、そのときに植えたという人もいて、「伸びていく姿が孫を見ているようで本当にかわいくて…」とか。ほかにも、「ありがとう、ある日駅前で配っていたひまわりを妻が持って帰ってきて、植えよう、ちゃんと前を見ようという話をして、夫婦でひまわりを植えました」みたいな手作りの看板が掲げてあったりとか。

そういうのを知るにつけ、あのとき種を配ってよかったなあと思いながら、その後もつながりはずっと続いて。ひまわりが枯れた後も在宅の方の支援に伺ったり、そういう活動を秋口までしていました。その後、和歌山の台風被害のときにも現地にボランティアに行き、石巻で学んだニーズの取り方を活かすことができました。

—ニーズの取り方ですか。

たぶん、やったことのない人には訳が分からないものだと思うんですけれど、家庭の状況などを誰が見ても分かるように表にすべて書き出すんです。家庭で抱えている問題だったり、あとは泥出しが今後必要になるというニーズを取ってきたときに、その家には何畳の部屋が何部屋あって、板間なのか畳なのか、水路はあるのか、ゴミはどうするのか、車は入れるのかなど、そういうのを全部細かく書いておくんです。

その家の人はいつ家にいて、いついないのか、電話は何時なら出られるのかとか、そういったことも全部。そうすれば、自分以外のほかの誰かが泥出しをする際に、電話をかけて確認をとる手間が省けるわけです。和歌山では全部の家庭をまわって、そういうニーズ表を書いたりしていました。

—なるほど。そうしたボランティア経験を経て、右腕募集に応募したわけですね。

はい。石巻で一緒にひまわりを植えていた友人から右腕募集のことを教えてもらいました。私も結局、仕事をポンと辞めちゃったので、ボランティアをしていた半年間で貯金がみるみる減っていって、最後はすっからかんになって実家に戻ったんですね。だから、仕事をしながら東北で支援する、復興のために働けるという話を聞いて思わず飛びつきました。ちょうど、未来商店街のプロジェクトが募集をしていたんです。前職で店舗屋さんというか、店舗デザインをやっていて、焼き肉屋を作ったりとか、居酒屋を作ったりとか、お店の業態変更を手がけることが多かったんです。

—そうすると色々と知っているわけですね、お店を作るために必要なこととか。

そうです。どんな工事にどれぐらいの期間がかかって、どれぐらいの金額がかかるのか、材料はどういうところから選べるのか、どんな素材があるのかなど、だいたいは分かります。そういうスキルはきっと私以外の人はあまり持っていないだろうなと思って、それで未来商店街プロジェクトに応募したんです。右腕に応募する人たちはたぶん優秀な人が多いのだろうなと想像したので、それに比べると私は現場派だと思って。

東北での商店街復興、仮設商店街を作るぞとなったら、おそらく、私みたいな人間がいたら重宝されるんじゃないかなと思ったんです。単に「コンテナをポーンと置いて、はい、これがお店です」とやるのではなく、もうちょっと面白くて入りたいお店にできるかもしれないと思ったんです。

—未来商店街プロジェクトの橋詰社長とお話をしたときはどんな印象でしたか。

そのときは橋詰社長と専務が商店街を動かしていたんですけれど、面接でお話を聞いたら、ビジョンがすごく素敵なんです。専務がとにかく緑があふれる商店街にしたいというお話をしてくださって。ここらへんには緑がないんですよ、山はあるんですけれど、作られた緑というのがなくて、津波にあって松原もないし、どこも土埃、瓦礫の山で、あとは仮設の店舗が並ぶという状態です。「今はまだ閑散としているけれど、私は緑が好きだから、緑でいっぱいの商店街を作りたいし、公園みたいにいろんな人がくつろげる場所にしたい」という話をしてくださって、思わず「私、ひまわり植えてました!」という話をして。

—またつながりましたね。

そうなんです。そこがまたリンクして。それに石巻ではひまわりをただ配ったり植えたりするだけでなく、庭造りのお手伝いもしていたんです。家で一人でいるお婆さんのお宅で庭をぜんぶ耕したり、ヘドロを出して整えたりして、それから一緒に種を植えて、お水をやって、すごく喜ばれたんですね。だから、そのときもその庭作りの話をしたり、「前職で店舗屋さんをやってたんです」という話もしました。

あとは右腕募集の要項の中に、「仮設住宅の人たちのニーズをひろう」と書いてあったので、「私、アセスメント作りもやったことがあります」みたいな話もしました。だから、石巻でやってきたこととか、その前の仕事のこととか、ぜんぶリンクしてきて。これはもう、ここへ来るしかないだろうと思いました。

—こちらに来始めたのはいつ頃ですか。

11月ですね。それに、もう一つ理由があって、4年前に来たことがあったんです、陸前高田に。そのときも一人旅をしていて、日本一周するぞってバックパックを背負って。それでそのとき初めて東北に来て、やっぱり祭りが見たいなと思って、青森ねぶた祭りを見に行きました。それが8月頭だったんですけれど、その後ほかにも祭りがないかなと思って探したら、陸前高田の喧嘩七夕を見つけて、面白そうだと思って来たんです。

そのときは、あの一本松の前にあるユースホステルに泊まりました。一本松を守ったと言われている二階建ての建物なんですよ。そのとき、すごくアットホームだったんですよね。お祭りを見に行ったときも、「岩手の人すら知らない祭りなのによく来たね」って歓迎されて、祭りに参加させてもらったり、お酒を一緒に飲ませてもらったりして、なんて素敵なところなんだろうって思いました。だから、あの街が津波で流されたと知ったときはショックでした。

—じつはここへ来ていたと。縁があったんですね。

そうですね。まったく知らない場所ではなかったので、石巻のときは一人じゃ何もできないだろうと思ってNPOに参加したんですけれど、今回は一人で行っても役に立てるのではないかと思いました。本当に縁があったというか。陸前高田、知ってる場所、店舗デザイン、アセスメント、種、庭作り…。

—経験したことがつながっていったわけですね。

ええ。それに橋詰社長とも馬が合うというか、すごく明るい方なんで、面接でも話が盛り上がって、「もう来ればいいじゃん、おいでよ」という話になりました。ただ、ETIC.でも面接があったので、その場ではまだ採用されるかどうか分からなかったんです。私、ETIC.の面接でものすごく緊張してしまって、うまくしゃべれなかったんですよ。もうずっとフィーリングで生きてきたというか、絵を描いて旅をして、現場で工事に携わってきた人間なので、面接の空気に飲まれちゃって。説明会でもまわりの人たちがすごく賢そうな話をするので、ますます緊張したというか。

—分かります、そういうことってありますよね。

面接も今お話をしてきたような感じで、私はこんなことをしてきました、こんなこともしてきました、何か自分にもできると思うんです、初めて東北に行く人よりは分かっていると思います、何かやりたいんです、みたいな感じで。そうしたら、「現地に行って、直接、話を聞いてみますか」と言われて、橋詰社長や専務に会うことになったんです。ここへ来てみて、私の肌に合うなと思いました。こちらの人にも「東北っぽいね」と言われたりして。

—東北っぽい。

のんびりしている感じですかね。あなたは東北っぽいから大丈夫だよ、みたいなことを言われたりして、ほっとしたというか。社長も難しい話をしないんですよね、難しい言葉を使わない。すごく馬が合うというか、話も盛り上がって、結局、ETIC.を通じて返事をいただきました。一ヶ月後に来てくださいと言われて、それで今に至ります。

■関連インタビュー: 見て見ぬふりをしたままでは、きっと次に進めない【陸前高田未来商店街プロジェクト・種坂奈保子(1)】

■関連インタビュー: それぞれが、もう一度、立ちあがるための商店街【陸前高田未来商店街プロジェクト・種坂奈保子(3)】

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:鈴木賢彦(ボランティアライター)

■陸前高田未来商店街ブログ: http://ameblo.jp/mirai-shotengai/
■右腕募集情報:陸前高田未来商店街プロジェクト

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