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特集記事 負の遺産を背負うだけの福島に、したくない。

リーダーがビジョンを語る6618viewsshares2012.06.05

負の遺産を背負うだけの福島に、したくない。

震災の半年前にNPO法人「元気になろう福島」を設立し、福島県内の地域活性化や地域づくりの事業支援を行ってきた本田紀生さん。震災後は、「ふくしま会議」や「アースデイ福島」をはじめ、様々なプロジェクトを展開してきた。そんな本田さんに、帰村、除染などデリケートな問題を抱える福島の、これからの課題を伺った。【避難住民の雇用創出支援プロジェクト(元気になろう福島)・本田紀生】

—「元気になろう福島」は、まるで震災以後につけられたようなネーミングですね。

予期していたのかどうか分かりませんが、震災前からこの名前です。うちのNPOは2010年の10月に発足して、発足して半年で震災が起こりました。「元気になろう」は、地域活性化を目的に考えられた名前ですね。

—NPOを発足したきっかけを教えてください。

もともと広告の仕事をやっていたのですが、そのなかで株式会社にはできないことができるNPOに興味がありました。NPOのような中間的役割がこれから大事になってくると思って。

—なぜ「地域活性」というテーマにしたのですか。

福島の市街は、日中は閑散としているけど、夜は逆に繁華街として賑わう。人口の比率からいって、飲食業者がすごく多いんです。そうした逆転の状態を変えていきたいと思いました。

—具体的にどんなことをされていたのですか。

震災前の半年は、福島市の管理している古民家の企画や、台湾発祥の「木球」というゴルフに似たスポーツの普及事業などをやってきました。行政ができないことを、我々が行政と連携してやり、福島を元気にしていきたいと。

—本田さんは、ご出身が福島でしたね。

はい。南相馬で生まれました。父は田村市、母はいわき市の出身です。高校、大学は仙台でしたから、縁のある地はほとんど全てが被災しました。

—震災の時は、何をしていましたか。

高齢の母親と地元のスーパーマーケットに入る手前で地震が起きて、みんなが一斉にスーパーから出てきました。家に戻ると、被害はあったけど崩れることはないというレベルでした。水道が止まっていたし、むやみに動けない状況だったけど、インターネットは繋がっていたので、情報は入りはじめました。

—インターネットから被害状況が入ってくる中で、身動きがとれずもどかしいというような想いはありましたか。

伝わってくる情報から、ただ事ではないということは分かりました。ただ、わたしはもともと、「自分の家庭を守れない人はボランティアなんかできない」と思っているので。自分の周りを壊してまで行くのは違う。

—まずは自分の周りのことを。その後できる範囲で動こうと。

はい。自分の周りの状況が落ち着いてから、まずは宮城県の津波の被害が酷い場所に入って、状況を見ながら活動しました。それから福島に戻り、南相馬、いわきなどに行きました。被災して福島に避難した人への炊き出しも行ったのですが、東京の会員が主体になって、露天商や和太鼓のセッショングループ、沖縄のエイサーの団体と協力して来てくれて、ちょっとした縁日のようになって。子供たちも楽しんでくれました。とにかく、色々広範囲で大変な状態だとは分かっていたのですが、「まずは自分や隣にいる人のことから」という意識がありました。

—震災以降、「元気になろう福島」の取り組み方、スタンスは変化しましたか。

震災復興も地域活性だと思っています。地域が元気にならないと復興なんてできません。震災以降、福島には負の遺産が残りましたが、ただ負を背負うというだけにはしたくありません。今行政や東京電力がやっているのは「復帰」で、元に戻すというやり方です。それを「復興」というプラスにしなければなりません。

—地域活性化のキーワードは「連携」だとウェブに書かれていましたが、復興のためにはどのような「連携」が必要だと考えますか。

うちのNPOは全部で16名ほどで、そのうちの3分の2が東京、3分の1が福島の人で構成されています。そのうち、福島のメンバーをもう少し増やしたいと思っています。東京に住んでいるけど福島出身という方も募りたいです。福島だけの力ではとても復興できないので、みんなの力を借りたい。

—帰村支援や雇用創出を行っていると聞きましたが、それはどういうものなのでしょうか。

川内村の帰村は、まず今年1月に「帰村宣言」を出し、村に戻った村長と中心メンバーと一緒に、除染を含めた環境づくりについて話し合っています。また、雇用創出として進めたいのは、今、福島中に「休耕田」という使われていない田んぼがあります。まずは川内村から、そこにオーガニックコットンを植えて栽培していこう、と考えています。

—オーガニックコットンを?

はい。いわきのNPO「ピープル」や、東京の社団法人「チームともだち」と連携して。栽培、買い取り、商品として流通という流れをつくります。昨年のクリスマスは、宮城県石巻市の漁村のお母さんたちの雇用をつくるために、クリスマスオーナメントを2万個つくって販売したのですが、それも全てオーガニックコットンです。オーガニックコットンは、今まで生産していたのは長野県ぐらいで、他は全て輸入だったんです。綿の栽培が日本で始まったのは最近の話。だからこれから日本でも栽培して、メイドインジャパンとしてやっていきたい。雇用の創出は、復興に繋がります。

—新しく創っていくことが大切なのですね。

仕事というのは単純に、ハローワークにあるものを紹介するのでは駄目です。新たな物を作り上げなくては。放射能を逆手にとって考えていかないと。全世界的に福島が有名になったので、チャンスなんですよ。「助けて欲しい」と発信すれば、「何かをしたい」という方は沢山います。お金を出したい方もいる。そうした気持ち同士を連携していく。それは広告と一緒です。ニーズが噛み合って初めて成立するので。

—福島の復興に携わる中で、何か課題はありますか?

みなさんの仕事の意欲が…。「働くところまで気持ちがいかない」という方が多いという現実です。自立するには、それなりのパワーが要ります。あとやっぱり、「自分の住んでいたところに戻れるの?戻れないの?」という前が見えない状態では、前に進めないと思います。自分がどう機能するか考えるにも、「どこで機能するの?」と。

—住むところも漠然としている状況では、気持ちを前向きに切り替えられないですよね。

やっぱり人間、「これからどうしたらいいの?」と考える時に、「どこをベースにするか」という問題がある。それが分からないと、前に進めませんよ。宮城県、岩手県と福島の間にある大きな差は、そこなんですね。流されたところからちょっと高台に移って、そこにもう一度家を建てて仕事をする、というわけにはいかないんです、福島は。福島県は前が見えない。

—ホームというのは必要ですね。それが復興へのきっかけにつながる。

次に動く人達のための環境をつくりたい。「やるぞ!」というスイッチを押すきっかけをつくるのが我々の任務だと思います。わたし自身、復興支援を楽しんでやっています。子供たちを保養で色々な場所へ連れていく活動もやっていますが、笑顔を見ると本当に爽やかな気分になります。

—でも、デリケートな状況なので、気を遣うことも沢山あるのではないですか。

そうですね。たとえば「自主避難」という言葉を使ったら、「その言葉を使わないでくれ」と言われたことがありました。「『自主避難』だと、勝手に避難したと思われるから、『区域外避難』、『区域内避難』という言葉を使ってくれ」と。確かに言葉ひとつとっても、かなりデリケートです。一度間違えると、兵糧攻めです。

—これからやっていきたいことはありますか。

震災の体験を子供たちに作文にしてもらうという大きなプロジェクトがあります。作文に絵本作家が挿絵をつけて、それを6月下旬に多言語で発行したいと思っています。大手広告会社にお願いしたら、「是非」と販売促進を引き受けてくれて。売り上げは子供基金にし、今後の子供達の学びの資金にしたいと考えています。
あとは、避難者のケア。たいてい母子だけ離れた地域に避難するケースが多く、週末お父さんに会いに行ったりするんです。そういう方を対象に、バスを運行していこうとしています。とにかく、課題はいっぱいです。

—最後に、何か伝えたいことはありますか。

ぜひ福島においでください。放射線量の高い所は、若い方は避けた方が良いけど、まずは目で見て、地元の人と話をして、共有できる部分を肌で感じてください。こちらから東京に行って話したりもしているけど、やっぱり来てもらうと全然違う。通り一遍の話だけでは分からない、「実は…」という本音が聞けるかもしれない。

—その「実は…」の部分が、本当に大切ですよね。

一般的に知られていることの先の「実は…」から、課題もニーズも見えてくるんです。とはいえ、ただ「来て」と言うだけではなく、こちらから来てもらう工夫をしなくては。イベント、プロジェクトなど、みなさんにおいでいただけるような仕組みをつくっていきたいと思います。

—私たちもまたお伺いします。ありがとうございました。

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:笠原名々子(ボランティアライター)

■右腕募集情報:避難住民の雇用創出支援プロジェクト

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