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特集記事 「現地にずっと密着」ではない支援のカタチ

私にとっての右腕体験1489viewsshares2012.04.08

「現地にずっと密着」ではない支援のカタチ

震災直後の3月下旬から看護師を被災地に派遣し、現地で活動するボランティアの健康管理を担ったケアプロ。石巻と東京を往復しながらここケアプロで右腕として活動していた田中理恵さんに、現地での仕事や復興支援への関わり方についてお話を伺いました。【地域在宅ケアコミュニティの構築支援プロジェクト・田中理恵】

-今は何をされているのですか。

石巻のほうの仕事が終わって10月後半までは東北関係の事に関わっていたけれど、それ以降は特に何もないですね。今は特に仕事も積極的に探している訳でもないです(※)。

-もともと途上国の医療や保健関係の勉強をされていたのですよね。

そうですね。

-ここ数ヶ月はどのようなことがありましたか。

私は、ケアプロ株式会社の被災地支援ボランティアとして活動しました。ケアプロではワンコイン(500円)で血液検査等の医療サービスを提供したり、出張検診や、被災地への看護士派遣を行っています。最近はケアプロの社員である平間君とほぼ2人で動いていたのですごくフレキシブルに出来ました。自分で出来る部分が多かったので、そういう意味では普通に仕事をしているみたいで楽しかったです。

-具体的にどのような仕事から始まったのですか。

まず始めに「石巻在宅セーフティネットの会」発足を行いました。簡単に言えば、在宅医療に関わる人達の横の繋がりを作る仕事ですね。彼らのネットワークの繋がりが薄くて、例えば同じ患者さんに看護士さん、お医者さん、弁護士さんがそれぞれ入っていても、横の繋がりが見えてこないのです。在宅医療ってそうなりやすいのですが、患者さんにとってはあまり良くない事ですよね。医療者同士のコミュニティは震災以前から上手くいっていなかったのですが、残っていた関係さえも震災を機に崩壊してしまったのです。この際だから一度立て直していきましょうとなりました。この仕事を地元の医療関係の人だけで回すのは非常に厳しいので、平間君がこの繋がりを作る仕事に関わっていました。丁度この頃に私も参加した感じですね。

-どれくらい関わっていた団体があったのですか。

メインにやっていた所は訪問介護ステーションですね。あくまでも元々地元にいた人達が中心になって作っていこうというのがあったので、訪問介護ステーションの方を中心に活動をしていました。

私が石巻にいた8月、9月頃は、丁度避難所から仮設住宅に人々が移り始めてきた頃で、新たにメンタルヘルスの問題も露呈し始めていたのです。在宅医療に求められる内容も、震災前と少しずつ変わってきており、震災当時とニーズが変わってきています。その状況にいち早く対応しようと専門の訪問看護士団体の方々のご協力を得て、メンタルヘルス関係の研修を実地しました。既に2、3回やっているのかな。今もそれはどれも地元の人達の手で開催してもらうようにしています。

今までのお話ですと、田中さんは色々な団体の潤滑油の役割を担う感じでしょうか。

そうですね、まさにそんな感じで。

もともと平間君はフットワークが良くて、専門の政治団体の取り組みや看護士経験が10年間ある人なので、すごく繋がりを作るのは上手いんです。ただ彼自身が社会人経験がすごく少なかったので、資料作成や会議の運営の進め方だとか、そういうオペレーションをするのが苦手でした。それらを私がサポートする形でアドバイスをしました。

-その後は何をされていたのですか。

ある団体から委託を受け、避難所で5月に実施した健康診断のフォロー調査をしました。何をするかと言うと、診察3ヶ月後の健康状態の調査です。

これが結構手間がかかりまして、5月に診断した人が、そのときに住んでいる場所に出向いて調査をしなければならないので、かなり時間を要しました。また資料を持っていくのも一苦労でした。準備がその分大変だったのですが、避難所にいる方と直に接する事が出来たし、すごく喜んで貰えたのが良かったです。あとボランティアで来てくれていたナースの方々も、すごく良い経験になったと言ってくれたので、それは本当にやって良かったなあと思いました。

-何か仕事の中で印象的な事はありましたか。

問診をするのに通常は10分くらいしかかからないのですが、今回の場合は余裕を持って30分くらい取ったんです。そしたら、皆さん本当に良く喋ってくれるんですね。3月11日のことを必ずと言っていいくらい話して下さいました。私たちがいた時が丁度震災から半年くらいなんですけれど、やっとそれくらいになって当日の事などを喋れる様になったようですね。

-東京に帰って来ると、現地にいた時とは意識が変わりましたか。

やはり現地にいたときよりは意識が薄くなります。2ヶ月間私は平日は石巻、休日は東京と往復して活動をしていましたが、場所の違いによる温度差を感じました。

-特徴的な活動スタイルですよね。他の右腕はあまり経験していない事だと思います。

プロジェクトに参画し始めた8月初旬は、まだ東京でも「節電」をしたりと、少し震災の影響が残っていたのだけど、9月に入って東京に戻ってくるたびに、東京での生活は、震災以前とほとんど変わらなくなっていて、「復興支援」って言い続けている現地との温度差は、正直感じました。街並みの様子も、人の対応も。でも、私自身はこのことはあまり悲観的に思っておらず、現地の人には申し訳なく思うけれど、ごく当然のことだと思うんです。嫌なことや辛い過去をいつまでも反芻していても何も前に進まないわけで、日本の人口1億3000万人が全員そんな様子で、ずっと自粛していたり意気消沈しているのは、なんか違うかなと個人的には思うので。被災地に私たちのような立場の人間がいくと、現地の人からの歓迎と同時に被災地の事を忘れないでくれ、という思いも伝わってきます。私は、東京は東京で平常に戻っていく事は、悪いとは思いません。被災地を忘れる事はいけないけれど、ずっととらわれてしまうのはそれはそれで良くない事だと思うのです。

一方被災地では、石巻に行くとまだ瓦礫などが残っていますが、仙台では復興酒場などが作られたり、元の生活までとはいかないものの、ようやくまともに先の事を考えられる様になってきたのだと思います。

-もともと途上国の開発の支援のお話もあったので、今のお話に繋がるのかなあと思いました。途上国開発の支援はどういう事をされたいと思っていたのでしょうか。

途上国が自立していけるような仕組みを作る仕事に関わりたかったですね。向こうで雇用を生む為には、ただ寄付などの支援をするだけでは出来ませんから。例えばそれこそ学校を建てて終わりではなくて、もっと続いて活動出来るような仕組みを作るのがすごく必要なんです。私が被災地に行った時も、やはり同じような事を感じたんです。もともと今回の右腕派遣に応募しようと思った大きな動機の一つが、GWに被災地を3泊4日でボランティアとして訪れたときに途上国の開発における課題と被災地の問題って似ているな、と思ったからなんです。

緊急を要する作業は終わって次の復興のステップに入る時に、支援を求め続ける人と、自分たちで何とかしなければいけないと言う人のように、同じ地域に住んでいるのに、意識の温度差というのがあるです。私としては、意見の主義主張の問題ですから、意識の差の関係なしに手助けはしたいと思います。ですが、自分たちで立ち上がろうとする人達のサポートに特に力は入れていきたいなあと思っています。今回はそういう方達の中で仕事をしたので、良かったのかなあと思いましたサポートの話で言うと、例えば会議を開くにしても地元の方達だけだと会議が井戸端会議で終わる事が殆どなんです。少しでも前進させる為に資料作成をしたりしました。

-どのようなときに、「前進」したのですか。

やはりさっき話した研修の実施が効果的でした。ようは医療関係者同士で何でも話せる関係を作る事が必要なんですね。普段、医療関係者の人達は他の職種の人と喋らないので、一つのテーマについてディスカッションをしてもらうだけで、他の人が自分と似たような意見を持っていたらそれに気がつけるし、そういった発見からでも繋がりは広がっていくと思うのです。

-研修はどのようなプロセスだったのですか。

最初は医療関係の講義を聴いてもらい、その後感じた事、考えた事などを書き出してまとめてもらうのです。そしたら3人1グループを作り、それぞれ話し合ってもらうんです。そして最後に全体で発表し合うというプロセスなので、特別な事はしていません。

普通の会社でしたら、今言ったような事は普通にやるけれど、医療関係は縦の関係だからなかなかそういう機会が無い。他の職種の人同士で話し合う事が無いのです。でも、みんなで話す場を作れたのですごく良かったと思っています。

私たちがいなくなってから2回目の研修を行ったのですが、1回目より、倍の人数の人が集まり、しかも同じような形式のディスカッションをする場を設けて下さりました。あのような感じで続けていけば、横の繋がりが少しずつでも出来て、内容の質が上がり、スピードも変わってくるだろうと思います。

-スピードは大事ですよね。何か大変だった事などはありましたか。

やはり、毎週往復のスケジュールは大変でしたね。こうやって活動をしてみて気がついたのですが、一度現地の人達の顔や様子が分かれば、ずっと向こうに入らなくても出来る事は沢山あるんですよね。それこそわたしがやっていたのは資料作成だとか、メールの対応がメインだったので、電波の通り易い東京の環境でしたほうがサクサク進む。向こうで電波の通じる所って結構限られていているので、そう考えると、現地にずっといなくても出来る事はあるのだと思って。

現地での作業環境が基本事務所みたいな所での雑魚寝生活だったので、体が痛くなるのが一番大変でした。お風呂は、近くの旅館のご好意で借りていました。それと、現地に入ってすぐの頃は、被災した人達の話が無意識のうちに耳に入ってくるんですよね。そうすると、気がついたらまるで自分の身に起きた事の様に受け取ってしまうんです。平間君もその一人でした。ボランティアでずっと現地に入っている人は結構疲れている方が多くて。

-ボランティア疲れですか。

そうです。そういう状況に、疲れてしまうこともあったのかなあと。そういう意味では、東京から往復で通っていて良かったのかなと思います。

少なくとも今回の事で、ある期間を過ぎたら現地にずっといなくても出来る事はあるんだなあ、とすごく思いましたね。文章書きの仕事は、メール、フェイスブック、ツイッター、ネットワークさえ繋がれば大抵の事は作業が出来るじゃないですか。一度信頼関係を作れると、毎回会わなくてもいいのですよね。そこのさじ加減が重要だと思っていて。多分、途上国に関しても、国内とは色々と状況は違うものの、同じような仕事環境で作業の可能になる部分も結構あるのだろうなと思っています。

-それは面白いですね。

現地に1~2年どっぷり入ってボランティアをするやり方も良いのですが、それだけではないような気がします。最初の仕事の際も、平間君が私と一緒に10月には撤退するという話をし始めたら、動きが速くなり出したんですね。居るうちに、色々な事を進めなきゃと思ったみたいで。それってすごい大事な事ではないかと思ったのです。ずっと居ると思うと依存してしまうけれど、滞在に期限があると動き始めるんですよね。でもこれが普通の事だと思います。それこそ、べったりと密着しないほうが良い事もあると思いました。

現地に密着しないで活動するようなスタイルを、自分の仕事にどう繋げていくかはまだ分らないのですが、そういう関わり方もあるのだなあというのを身を持って感じました。あと、自分が考える右腕とは何だろうかということなんですけれど、勿論、被災地の人の右腕ということなのだろうけれど、同時に現地入りして活動をしている人達の右腕でもあるのかなあと思いました。

-勉強になりました。どうもありがとうございました。

(※インタビューは2011年11月時点のものであり、田中さんはその後RCF復興支援チームで引き続き復興支援に取り組んでいます。)

聞き手:玉川努(ETIC.スタッフ)/文:栗原侑花(ボランティアライター)

プロジェクト概要:地域在宅ケアコミュニティの構築支援プロジェクト(右腕の募集は終了しています)

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