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特集記事 ミクロな復興支援を、政策にまでつなげるために

リーダーがビジョンを語る4206viewsshares2011.12.10

ミクロな復興支援を、政策にまでつなげるために

リサーチ・アセスメント・提言を通じて、東日本大震災の復興支援活動をしているRCF復興支援チーム代表の藤沢烈さん。最前線ではなく、一歩引いた立場から現地の支援をしてきた方だ。前回に引き続き、これから復興をどう進めればよいのかについてお話を伺った。【RCF復興支援チーム・藤沢烈(2)】

―震災から6ヵ月が過ぎて、報道には区切りのようなムードがあるのですが、現地はどうなのでしょうか?

震災直後の緊急支援期では、炊き出しや物資支援が重点課題でした。当時は被災地だけで物資調達をするのは当然困難でした。そのため、物資も、人材も、資金も当然外から送る必要がありました。しかし、その後震災から半年が過ぎ、生活再建期に移っています。そこでは物資はほぼ充足しています。また、8月末で岩手の避難所はすべてなくなりました。福島でも郡山のビックパレットという象徴的な避難所がなくなりました。宮城はまだ相当数の避難所がありましたが、現在はなくなりつつあり、いま避難所にいるのは宮城全体で31人(※11月17日時点)です。ボランティアの数もゴールデンウィークがピークで、それから減ってきていまは3県で月約4.4万人(※10月末時点)です。仮設住宅は大体完成し、団地数は岩手が319、宮城が400、福島171で、全体では898地区(※11月21日時点)です。

いま、これらの仮設住宅をどう支援するかが課題となっています。避難所との大きな違いは、仮設住宅には管理人がいない点にあります。避難所では管理人が被災者を理解しており、外の支援者をつなぐ役目をしていました。しかし、仮設住宅ではそうした役割を担う人がいません。たとえば教育支援をしたいときに、子供の有無がわからないため一軒一軒訪ねるしかありません。しかし被災者はなかなかドアを開けてくれません。宗教の方が来たり、網戸などの押し売りが来たりしているために、被災者の方は支援疲れしているのです。有名な支援団体でも宗教団体に疑われ、相手をしてもらえないこともあります。

仮設住宅フェーズに入った現地では、支援者はどこにもいないという実態があります。見るのは工事業者ばかりです。メディアの報道も減っていきます。瓦礫撤去は一段落しましたが、生活者の自立・経済復興など目に見えない問題が多く残るなかで、どのように解決につなげるかが問われています。

―目に見えない問題、ですか。

目に見えることは気づきやすい。しかし、2年後3年後に何が起きるかはなかなか見えません。例えば雇用の問題。求人数が増えれば実際の失業者数が減るという単純な話はありません。求人をすれば失業者が列をなして集まるかというと、そんなことはなく、求人をしてもほとんど応募がない状況があります。というのも、被災した方の多くは、自分の勤めていた企業に、「必ず復興するから待って欲しい」と言われているため、別の仕事に転職することができないのです。大抵の人は20年以上勤続年数があるため、毎日7~8000円と安いながらも失業手当をもらいながら操業再開を待っています。いま、釜石でいうと4000人以上の方が仕事に就いていません。そうした方々に早く、建設業やいち早く再開した企業の仕事についていただかないと、復興が遅れてしまいます。また地元にお金も還元されません。この問題を解決するために考えているのが、つなぎ雇用です。被災地の方々の多くは転職したことがなく、仕事の流動性がまったく無いので、転職してまたやめて元の会社に戻ることはできないという意識が強くあります。そこで、元の会社が復旧したらやめることを前提とした、つなぎ雇用の仕組みを取り入れられないかと計画しています。

仮設住宅については、集会所があっても、その団地ごとに管理人や自治組織がないと支援そのものが受け付けられません。そこで、大船渡では支援拠点サービスとして、37の仮設住宅団地ひとつひとつに支援員を配置しています。この支援員には、国の緊急雇用制度を用いて被災者80人を雇用しました。支援員は、住民や自治会のお手伝いをし、また、行政や支援団体とのつなぎ役を果たしています。いま不足しているのは、この事業を統括し運営する人材です。日々のトラブルに対応したり、支援員のサービスを均質化するためのマニュアルを作る必要もあります。被災者を直接支援することも大切ですが、実は支援員を統括できるマネージャー人材も必要です。

―確かに目に見えにくいことですね。

漁業でいえば、まず漁獲と生産中心に支援が進んでいます。ただ復興のためには、漁獲生産にとどまらず、加工・製造・流通・販売まで含めた支援が必要ですので、その枠組みを作ろうと岩手県庁・宮城県庁と各県の漁連・漁協と話し合いを進めています。漁業に関しては、生産から販売までの垂直統合の必要性が言われてきました。しかし、現状はタテワリになっています。漁獲生産は水産庁の管轄、加工製造は経済産業省の管轄、現地でも漁獲生産は漁連・漁協の管轄、加工製造は加工製造組合の管轄になっています。これらをつなぐには、支援者だけでなく、横串をさすリーダーがそれぞれの漁業の現場に現れる必要があります。

―内側から支援するためには、現地の人の理解と協力は欠かせないんですね。

例えば教育でも、現地で短期間の支援をするだけでは問題です。モデルとして機能できているのは、NPOカタリバが現地の教育委員会と共に作った「女川向学館」です。

地域の校長先生や教育長が、プログラムの意義を深く理解している点に私は感銘を受けました。例えば女川の遠藤教育長は水産業のインターンシップをやりたいと言っていました。女川は中学高校で石巻や仙台に優秀な若者が出て戻ってこない土地です。そのため、中学生の段階で水産業がどんなものかインターンシップを通じて理解をしてもらう。町の産業をよく知ってもらえれば若者と町との関係は途切れない。これまで塾は、効率的にいい学校に行かせることだけを考えていたため、若者と町とのつながりは失われていく一方でした。女川向学館ができたことで町とのつながりをもった形での教育を実現させたいと教育長は意気込んでいます。

―モデル、ですか。

国の仕事をしていて思うのですが、新しい政策を作るためには成功事例があることを求められます。たとえば、学習支援の必要性は文科省も理解できますが、どのように進めるのかを国が考えることはできません。女川向学館は、地元の教育委員会の賛同により実現できました。その後、児童の半分近くが継続的に通ったり、放課後の学習時間が震災前以上に改善されたことが評価され、第三次補正での国の政策にもつながっていきました。これからは、現地でリーダーとして動いている個人が国と連携し、政策も作っていく時代になると思います。

―NPOの作った事例が新しい政策につながるんですね。最後に、分析する上で藤沢さんが気をつけていることを教えてください。

私は情報を分析する立場ですが、だからこそ現地に足を運ぶことが必要だと考えています。見ず知らずの土地について考える際には、現地で起きているだろう問題を想定し、現地で確認をします。例えば、女川向学館のような支援が大槌町でも必要ではないかと想定して現地に行き、その必要性を確認しました。雇用の問題でも、現地の視察やヒアリングを通じて、求職者と求人のミスマッチの問題を発見できました。仮説を立て、現地にぶつけての繰り返しから、何をすればいいのかという答えにたどりつくのです。

現地の方と話して思うのは、彼ら彼女らは大変素直だということです。だからこそ、ストレートだが丁寧に接する必要があると考えます。外から押し付けのような支援はせず、現地の声を丁寧に伺っていくことが何より大切だと思っています。

―ありがとうございました。

■前回のインタビュー記事はこちら:行政のバイパスとしてのNPOと、支援のこれから

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