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特集記事 「被災者が主役にならなければ」釜石の復興に奔走

リーダーがビジョンを語る1510viewsshares2011.12.02

「被災者が主役にならなければ」釜石の復興に奔走

本業はお菓子屋。その傍ら、2004年に岩手県釜石市に中間支援・まちづくりNPO「@リアスNPOサポートセンター」を設立し、現在は「被災者が主役になった被災地の復興」へと奔走している鹿野さん。自らも店舗を津波で破壊された中、この震災を地域が抱えていた課題を解決するきっかけにしたいと活動を続ける過程で見えてきた、釜石の状況やこれからの可能性についてお聞きしました。【岩手県釜石エリア雇用マッチング支援プロジェクト・鹿野 順一】

―そもそも震災前は、どのようなことをしていましたか。

震災以前はお菓子屋をやっていました。昔は、この事務所がある浜町(海から数十メートルのエリア)は中心市街地だったんです。けれど、だんだん駅前に商店街が移動し、このあたりはお客様が集まらない場所になってしまった。でも「もっといろんな人たちに集まってもらいたい」という思いがあり、商店街という組織で行うまちづくりからもう少し幅を広げるために「@リアスNPOサポートセンター」というNPO法人を作りました。活動は今年で7年目になります。

―今、どのような支援が、現地では必要とされていますか。

被災した後に、いろんな形でボランティアやNPOなどの無償サービスが入ってきました。それは大規模災害の緊急時期は仕方がないが、先々のことを考えていくと民業圧迫という問題になってしまう。地元の人が復興の先陣にたっていかないと「借りた街」になってしまいます。それを覆すためには仕事を生み出していかないといけない。なので、ボランティアとして無償で行われてきたサービスを、対価をいただいて展開していこうと考えました。

―確かに現地の人を雇用したほうが、経済復興や自立への支援につながりますね。

事業者は失業保険をもらえる立場ではないし、借金を抱えている人が多いんです。海の近くのほうは全く住めないくらいまで全壊している。住居部分が全壊のところは支援金をもらえているが、3階が住居で1階がお店のところなどはいくらお店が壊れていても住宅部分が無事なら一部損壊扱いになって、ほぼお金が出ない。しかも、全域80㎝~1m地盤沈下している状況で、銀行からみたら土地の資産評価はゼロ。自分の仲間の事業者の多くも、「もう地元にいられない」と街の外に出て行ったりしています。震災後、いろんな業界から「盛岡で就職しませんか」とのお声がけがあったんですが、僕らは仲間の事業者たちを外に出したくないんですね。出ていくといつ戻ってくるかどうかわからないでしょ。そういう意味で、釜石でもう一度チャレンジする人のお手伝いをしようという形でプロジェクトを進めてきました。

―事業者たちがもう一度チャレンジすることのお手伝いをしたいと。

はい。ただ、事業の復興は今すぐにはできない。けれども、本業がたて直るまでの1年間の(時限的な)仕事だったらできるんじゃないか。そういう意味で、いろんな緊急雇用事業の枠組みを考えていこうと思い、まず地元のハローワークと話をしてみました。そうしたら「ハローワークの求人はあるのにマッチング率が上がらない」と。そこで初めて雇用のミスマッチが起こっていることを知りました。この状態が続くと、事業を再建しようとした事業者も、採用がボトルネックで再建が進まなくなってしまう。

―働き手が見つからないという話は、色々な被災地で耳にすることが多いですね。

そうですね。最初は、失業保険の給付が10月までだったので、それが切れる前までに急いで対策をしようとしていたのですが、給付が3か月延びて。なので、何がマッチングの課題になっているのかということをもう一度考えながら、必要な人材が少しでも効率よくマッチングするための準備をやっていこうと、今事業の作り込みをしています。二重債務などで大変な事業者さんがどうしたらもう一度やろうと思えるか、それも考えていきたいです。

―雇用マッチング以外には、どのようなことをやっていますか。

雇用マッチングだけではなく、その先の可能性も見据えています。たとえば、僕の所属する商店街が移動販売をやっていて、計画作りやお手伝いをしている。ちょうど仮設商店街ができるタイミングでもありますし、「お店がなくても商売ができる」と事業者さんに声をかけて、商店街の事業として移動販売をやれるかもしれない。また、釜石の市役所と一緒に、次の仮設住宅はどうあるべきかという連絡会をやっており、仮設団地の受付業務を作っていくという展開も考えられます。あとは、今一番形になってきているのが、仮設団地にネットカフェを作って情報のハブにして、つながっていけるような場所づくりです。今まで仕掛けていたものが輪になってつながるタイミングかもしれないなと思っています。

―いろいろな活動がありますが、鹿野さんとしてはどこにミッションがありますか。

被災地の復興は、被災者が主役にならなければいけない。これがすべての柱になっています。雇用する側、される側、それぞれの意味において「この地に残ってやっていってほしい」ということがあれば手法やアプローチはそれぞれ違うものになると思います。

―地元には、残りたいと思っている人が多いのですか。ニーズはどれくらいあるのでしょうか。

仕事をしたいか生活をしたいかは、人によってそれぞれ違うと思うんですが、釜石の復興プロジェクトのメンバーやハローワークでの話を総合すると、大半の方が「できればこの街で生活したい」と思っているようです。「この街がいやで出て行く」という人はほとんどいないという感覚です。ただ、何らかの事情があってこの街に住めず出て行っている人はいますね。

―具体的には、どのようなことがありますか。

たとえば子供の教育のこととか。あと、離婚率が増えていると、ここのところよく聞きます。この地域の若い人はよそから嫁をもらっている人が多いんです。旦那は戻りたいと思うのだけど。よそから来た奥さんは戻りたくないと思う。そういった家庭内のこともあるでしょう。海で働いていた連中でいうと、親父の世代は、「海しかないしもう一度海に出たい」と思っている。けれども、息子世代は、「手を引こう」という人が多い。

―「街に残りたい」という思いはあれど、単純にはいかないのですね。

人と人が会って話をすると気持ちが変わっていく。「俺はやるよ」という風に話をしてみたり、「こういう仕事もあるんだよ」と言っていくと、「じゃあ俺もやってみようかな」と変わっていく。出て行かざるを得ない人にも、会って、話しをして、「がんばろう」と声をかけると変えていくことができる。僕は、1のニーズがあったら8に変えたいんですよね。どれくらいのマーケットがあるからこれをやるという考え方ではなく、マイナスになったものをどうやってやる気にしてプラスにして取り組んでもらうかということだから。きっかけ次第で、ニーズは2倍にも3倍にもなると思っていますよ。

―釜石が復興するにあたっての課題は何ですか。

製鉄所の時の負の遺産だと思いますが、行政への依存度がものすごく高い。役人や企業が何もしてくれないのを言い訳にしていて、俺らも自分たちで何とかしないといけないんじゃないという人が少ない。岩手でも沿岸地域の街が行政依存度が大きいのですが、もしかすると他の地域も同じかもしれないです。今回の被災の後にみんな「この街をどうするのかお役所さん早く決めてくれよ」と言っていました。「俺はこの土地でもう一度こう商売したいから、こうしてくれ」という声は起きなかった。

―「この街をこうしたい」という声が、住民からなかなかでてこない。

そう。これからは、目に見える復興計画だけではなく、本当に市民が自発的に街作りに参加するきっかけというものを作っていかないといけない。自分たちが責任を持って声を上げられるということに、この街に住み続けるということの意味がある。たとえば、よそから入ってきて起業する人の受け皿があっていいんじゃないか、地場産業をもう少しブランド化してもいいんじゃないか、今ならいろんな人とつながれるんじゃないか。そういったことを考えていかないといけない。そうなるまでに5年くらいかかるのかもしれませんが、これまで抱えていた少子高齢化や過疎などの問題を、今回の震災からの復興をチャンスとして捉えられれば、ものすごいことになると思います。外部の刺激でさらに加速して、3人から5人へと、その流れが広がっていくといいと思っています。

-そのような状態に向けて、釜石にはなにか芽がうまれていますか。

震災以後の流れの中で、行政は少し変わりました。岩手県庁からしてもこれまでNPOとのかかわりはそこまで強くなかったが、今はいわて連携復興センターをある程度認識してくれている。復興局との毎週の定例ミーティングで、分け隔てなくあらゆる部局の人が出てくる。市町村に関しても、課長、補佐に遠慮なく物を言うようになってきました。現場に目覚めたということかもしれません。庁内は意外に縦の話が通りやすくなっています。これに市民のみなさんがまだ気づいていないんですけど、今変わっていかないとこのせっかくのチャンスをつぶしてしまう。

―なるほど。プロジェクトに必要な人材は、どのような人ですか。

東京から来たみなさんと出会って、世の中30代の人が動かしているんだということに、ものすごく刺激を受けています。「これとこれを組み合わせるためにはこうしなければいけない」という「プロジェクトを組む」という経験がこっちの人にはないんですよ。そういう場を与えられた経験もないし。東京のスピードと被災地のスピードは多分違っていて、そういうものを刺激として我々のスタッフに伝えてほしい。言われたことをやるだけならだれでもできるんだけど、仮設住宅のおばちゃんのニーズから次のものを提案する能力、それを周りの人に伝播して波にしていく能力。そういうことが必要だと思っています。

雇用マッチングからさらに派生する事業、さらには街の方がこれからどう変わって新しい街作りを創造していくか、大変そうですが本当にやりがいのある仕事が待っていますね。どうもありがとうございました。

■右腕募集情報:岩手県釜石エリア 雇用マッチング支援プロジェクト

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