私にとっての右腕体験
まちてん×右腕プログラム 右腕から起業したOB・OGが語る。ビジネス経験を活かした地域の新しいプロジェクトの仕掛け方
11月28、29日に開催された、地方創生まちづくりEXPO「まちてん〜地域の未来をデザインする」にて、右腕OB・OGの3人が登壇し、トークセッション「右腕プログラム〜ビジネス経験を活かした、地域の新しいプロジェクトの仕掛け方〜」を行いました。当日の模様をお伝えします。
宮城(進行):右腕プログラムは、東北のためにETIC.が寄付金を募って、その寄付金で東北に人材を1年間送り込んで、様々なプロジェクトに経営者の右腕として従事してもらい、復興を支えていくものです。今日の登壇者の方々は、そのプロセスを経て、自ら新しい事業や仕事、生き方を創っていこうとアクションを起こしています。では、3人の挑戦の物語について伺っていきたいと思います。
現地の生産現場に足を運んでほしい。しかもそれは楽しくなければいけない。そこで、「旅」というものが活きる。
鈴木:私は、もともと旅行情報誌の編集者として7年間働いた後、右腕プログラムでNPO法人東北開墾という団体にコミットしました。そこでは、食べもの付き情報誌『東北食べる通信』の編集や、事業開発を経験し、活動終了後に「旅とロック」という団体をスタート。一つはメディア事業、もう一つは、東北開墾での経験を活かした新規事業のプロデュースに取り組んでいます。そこで掲げているテーマは、「ローカルツーリズムの顕在化」です。
メディア事業では、大学や研究機関と協働で本を作り、一見難しくみえる地域研究の面白さを、旅という身近なテーマの視点から伝えるメディア事業を展開しています。新規事業のプロデュースとしては、旅人求人サイト『SAGOJO』を立ち上げました。最近、大手の旅行会社でも、マスツーリズムではなく、地方に眠っているローカルツーリズムを顕在化させたいと、オウンドメディアを持つ企業も増えてきました。
しかし、自社の取材リソースに課題を抱えているケースが多く、うまく運用されていないのが現実です。それならばいっそ、旅行者のリソースを活用できるプラットフォームがあればいいのではないか、と考えました。元々、ローカルツーリズムを顕在化させるには、旅行者の持っている価値を社会に還元する仕組みを創らねばいけないと考えていたので、企業の課題解決を通じてそれが実現できるのではないかと。旅人だからできる仕事を実現させ、ツーリズムにイノベーションを起こしたいと考えています。このサービスでは、例えば旅行者が、大手企業のツアーでは訪れないような地域に行ったり、体験をしたりすることで、そこで発見した地域の価値を、原稿や写真などのコンテンツにしてもらい、それを『SAGOJO』で編集して企業に納品。そうすることで、旅人はリターンを得られるという仕組みです。このサービスを通じて、旅行者が旅の中で得た価値を社会にアウトプットできるようし、ツーリズム自体の価値を底上げすることで、より旅行がしやすい社会創りを目指していきたいと考えています。
宮城:なるほど、面白いですね。右腕プログラムで入った、東北開墾ではどんな経験をしましたか?
鈴木:私が東北開墾で編集に携わった、『東北食べる通信』は、食べもの付き情報誌の定期購読サービスです。東北の農家さんや漁師さんなど、生産者の方を一誌で1、2人特集して、彼らのこだわりや生き様を情報誌で伝えるとともに、食べものをお届けする仕組みです。あくまでこの情報誌がメインで、食べ物は「おまけ」であり、食べものの裏側にあるストーリーを消費者に伝え、消費者が主体的に食べものと関わるよう意識改革を促し、かつ、生産者の情報発信力も向上させています。目指すのは、都市の消費者と地方の生産者の、地図上にないコミュニティをつくることですが、様々なアプローチがある中で「食」というのは、都市・地方の双方が、地域課題に対して最も身近で主体的に関わりやすいテーマだと考えています。東北から始めたこの取り組みも、今では『四国食べる通信』や『北海道食べる通信』など、全国20か所にまで拡大しています。
宮城:グッドデザイン賞も受賞しましたね。
鈴木:はい。おかげさまで、グッドデザイン賞の金賞をいただきました。ただ僕自身が課題として感じたのは、生産現場から都市部に情報を届けるだけでなく、消費者の意識を変え、今度は生産現場に足を運ぶような具体的な行動変化を生まなければいけないのではないか、ということ。その潮流を作るためには仕組み化が必要で、加えて、それはあくまでも「楽しく」できることでなければいけないと感じ、そこでこれからはツーリズムの重要性がより増していくだろうと思いました。しかし、東北開墾の事業としてやるには、どうしても初期投資やコストの面が課題になるので、それならば僕が独立して旅をテーマに事業を展開した方がよいだろうと。そういった経緯もあり、今後東北開墾と一緒にツーリズム事業を展開することも目標の一つに頑張ってます。
休職して行った東北で考えた「本当の豊かさ」。自分が食べていたものは、こういう人たちが、こんな雨の日でも、こんな寒くても、朝2時から獲りに行って…。
戸塚:私はボランティア休職をして右腕になり、2012年6月に岩手県の釜石に行きました。右腕終了後は、以前と同じ会社に戻って同じ仕事をしていましたが、会社のベンチャー制度を使い今年の4月、新たな会社を立ち上げました。
右腕として、現地の「一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校」に入り、一次産業に従事されている方とのお仕事や、復興ボランティア活動のコーディネートをしました。私は東京出身ですが、釜石に行き、自分が食べていたものは、こういう人たちが作っていて、こんな雨の日でも、こんな寒くても、朝2時から獲りに行って、ということを初めて身をもって知りました。頭では知っていたような気がするのですが、実際の現場をたくさん目にして、本当の豊かさって何だろう、手に商品を受け取ることじゃなくて、もしかしたら生み出す現場にこそ、豊かさってあるんじゃないかと、価値観が揺さぶられるような経験をしました。また、目の前にいる方たちが、このあと10年後、漁業や農業をずっと続けていけるのか、高齢化や後継者不足など、地域の課題を自分事として考えるようになりました。そして何より、右腕終了の際、送別会をしてもらったときに、「行ってらっしゃい」と言われたことがすごく心に残っています。嬉しかったのと同時に、「やっぱり戻ってこなくては」と感じました。
東京に戻って復職してからは、月に1回くらい週末に社内の人を連れて、釜石や陸前高田市などへのツアーを企画し、現地の方に会いに行きました。それを2年間続けましたが、週末だけ会いに行くことが、何にどうつながっていくのか、もどかしさや責任を感じました。そこで今年の4月、釜石をはじめとする東北の沿岸部と首都圏の人たちをつなげるコーディネートをしたいと、釜石で会社を設立しました。研修の現場として、2泊3日のツアーで首都圏の企業を呼んだり、2〜3か月という長期間で、現地の事業者や、新しくスタートしたプロジェクトへマッチングさせる仕事を始めています。釜石の復興まちづくりの活動や、地域資源の発掘・商品化など、地域の動きにご一緒させていただけることがすごく多くなりました。本当に美味しい農作物も、外に販路がないため、なかなか生産量が伸びないのを、首都圏からのスタディーツアーと絡めながら、売れる商品を作り課題解決をしていこうという活動もしています。
宮城:会社の制度を利用しつつ、自分のやりたいことをやる環境を作り出されたわけですが、そのプロセスについてもお話していただけますか?
戸塚:応援してくれる仲間がたくさんいたことが一番心強かったです。一時は会社を飛び出すことも考えたのですが、社内の制度を知り、可能性があるならまずはそこに賭けてみようと思い、ボランティア休職も社内ベンチャー制度も利用しました。社内でも東北に関わる活動を、私が右腕となる以前からしていたので、先輩・後輩問わず応援してくれる環境が整っていました。
宮城:実は、この右腕のプログラムを通して、休職の制度を作ってくれた会社もいくつかあったんです。つまり、東北に行きたいという人に優秀な人が多かったので、彼らを引き留めるため、社内に休職制度を作ってくれたということです。社内ベンチャー制度もそうですが、皆さんが今いらっしゃる場所で、やれることというのもまたあると思います。そういうことをぜひ今の立場から考えていただくというのも、また可能性があるだろうと感じます。
東北で一番小さい町にある、東北で一番古い浜。被災したこの浜を、もう一度みんなの行きたい場所にしたい。東北で一番のマリンリゾートにするため、のろしを上げる。
久保田:私も2人と同じく右腕として東北に入り、その後、宮城県七ヶ浜町で、いろいろな事業をしています。七ヶ浜は東北で一番小さい町なのですが、そこを「東北一のマリンリゾート、海の軽井沢・七ヶ浜にしよう」という理念を掲げています。七ヶ浜は、仙台から20㎞ほど東に行ったところにあり、もともと外国人の避暑地で、今でも外国人が住んでいる場所です。また、七ヶ浜の菖蒲田浜(しょうぶたはま)は、東北で一番古い浜、日本でも3番目に古い浜です。七ヶ浜は2040年の消滅可能性都市に入っていて、とにかく交流人口や定住を促進していかない限り、どんなに海が好きでも、この町が好きでも、なくなってしまうかもしれないという現実が目の前にあります。我々の仕事は、心理的障壁の克服です。震災前は七ヶ浜を訪れていた人々に、もう一度行きたいと思わせるようなイメージを作ることだと思っています。実際にやっている事業としては、①セブンビーチフェスティバル、②海浜海中清掃活動、③ビーチハウス立ち上げ、の3つです。
まず、「セブンビーチフェスティバル」は毎年夏に開催する、音楽やスポーツの大きなイベントです。今年は、「がれきからビキニへ」というテーマで、大体3000人くらいの方に来ていただきました。今回が3回目の開催です。Facebookページには約2300いいね、投稿閲覧総数は37万ほどです。何より、この景色を見て、地元の皆さんが「また頑張んないとな」って言ってくれることがすごく多くて、やって良かったと思います。
次に、海浜掃除は毎月1回やっていて、多いと100人くらい参加者が来ます。毎回80から200袋ほどのごみの回収ができていて、ビーチクリーンのギネスに挑戦しようと計画しています。参加者は、一緒にごみを拾うことで仲良くなり、ごみの入ったごみ袋が増えていくという成果が分かりやすいので、どんどん気持ちよくなって活動が増えていく良いスパイラルが生まれています。実際に海中清掃もして、見えていないところもちゃんときれいにしていくことで、安全な海だというのを行政や地域の方に訴えています。
最後に、ビーチハウスは、地域の漁師さんや、農家さん、若手の人たちと協力し、アートカフェを作る計画です。癒しを中心としたマリンリゾートがコンセプトなので、東北の杉を使ったログハウスを作ります。海水浴場は、もともとレジャーではなく、森林浴のようなセラピー目的で始まったものです。外国人が移り住んだのも、明治時代、奥さんの病気を治療したり静養する場所を探して、七ヶ浜に来たという歴史があります。海の目の前に位置し、地域も商店街によって活性化させていこうという中での初めての事業なので、まさに、のろしが上がる場所になっていくなあと思っています。
宮城:七ヶ浜の事業は、地域の方々からの寄付などに支えられてきたわけですが、久保田さんのその生き方の楽しさと原動力は何なのでしょうか?
久保田:まず、僕はやはり、新しい社会が本当に生まれると思っています。東北に来る前はずっとアフリカで青年海外協力隊の活動もしていて、世界は変わっていくという実感がありました。社会が変わる渦中に生きたいっていう思いがあるんです。右腕が終わる頃に、起業家セミナーに参加し、そこで「あなたがもし志を持っていて、それに見合った行動をとっていないのなら、いかなる理由があるにせよ、それは単に志に対する怠慢でしかない」と先生に言われたのがとても心に刺さりました。
また、事業を進めるにあたり、補助金もいただけるのですが、どうしても資金が尽きてしまうんです。そんな中で、地域に対して思いは持っているが自分は動けないような方を紹介してもらい、「自分はこの事業をやって、あなたはこの地域の未来のために投資して、そして一緒に地域を作りましょう」と言って協力してもらっています。人が動いていき、物事が進んでいくという、このダイナミズムは、非常におもしろく、やりがいがあると感じます。
宮城:皆さん、ありがとうございました。震災から5年を迎えようしている東北は、新しい仕事やまちの未来を創っていかなくてはいけないタイミングにあるんです。このお三方のように、実際に思いを持って継続的に関わっていただける方々の挑戦を必要としています。
自らの切り口でビジネスを仕掛け、地域から日本の未来を変えていこうとする3人のお話から、地方創生の新たな可能性を感じる場となりました。
ETIC.右腕プログラムは、現在も東北で活躍する人材を募集しています。
●久保田靖朗さんが進める七ヶ浜のビーチでのプロジェクトでは右腕を募集中です。詳細はこちら
聞き手:宮城 治男(NPO法人ETIC.代表理事)
書き手:大熊 遥(NPO法人ETIC.震災復興リーダー支援プロジェクト事務局)