HOME

特集記事 日本初の再生エネルギー事業を、気仙沼でつくる

リーダーがビジョンを語る7223viewsshares2013.07.10

日本初の再生エネルギー事業を、気仙沼でつくる

まもなく創業100年。昭和シェル石油の特約店として、地域への燃料供給を支えてきた気仙沼商会。高橋正樹社長は復興市民委員会の座長も務められ、このまちの再生に向けて日々走り回っています。2012年には気仙沼市、気仙沼信用金庫とともに新しい会社を立ち上げ、木質バイオマスエネルギーによる持続可能な地域エネルギーの普及・事業化、その先には「気仙沼スマートシティ」を見据えた挑戦を始めています。日本では成功事例がないという難しい事業になぜ挑んでいるのか、その背景・想いを高橋さんにお伺いしました。【気仙沼地域エネルギー開発株式会社 代表・高橋正樹】

●気仙沼地域エネルギー開発株式会社の右腕募集情報はこちら

 

 

-まず、気仙沼の町の魅力についてお聞かせいただけますか。

スローフードの町で、山と里と海が50とか100メートルの狭い距離の中にあるんですよ。日本海側の景勝地に東尋坊という岩壁があるけれども、気仙沼はこういう景色の連続なんです。そして、見た目だけじゃなく、生活が山と海と密着しています。昔は山で切った木材で船を作っていましたし、山のこの木を燃やすとエネルギーとなる火ができたりもします。三陸の海のめぐみがあって食べ物もうまく、遠洋も近海も養殖もやっています。食べ物にも生活にも文化があって、いい場所なんですよね。

 

-そもそも、なぜこの「気仙沼スマートシティ」の事業を始めたのでしょう。

ある熱心な方にほだされたのが発端で、地域に再生エネルギーを導入すべきだなというのを考え始めたんです。気仙沼は、ESD(Education for Sustainable Development)と呼ばれる持続発展教育のメッカでもあるんですよ。森と海と里が繋がっているこの町で、山の人と海の人がエネルギーを通して協力していけるのはいいことだなと思って。
山って、本来は30年50年と時間をかけて育てないといけないんです。その間に2回は間伐をする必要があるのだけど、日本の木の値段がさがってしまったので、間伐材を切り出すことが割に合わなくなってしまいました。手が入れられないまま放置されている山は、気仙沼もそうだし、それこそ日本中にあります。気仙沼は林業が盛んだったわけではないけど、復興計画をつくる中で、教育だとか医療だとか、暮らしのカタチを根本から考える中で、再生エネルギー、持続可能なエネルギーを創っていくということが、ひとつのテーマになってきて。再生エネルギーというのは素人だったけれども、木質バイオマス事業はこの町じゃないと出来ないかもしれないなあと思ったんですよ。

 

-「この町じゃないと」というところを、もう少し聞かせていただけますか。

山と里と海が極端に接近した地域であり、スローフードに象徴されるように地域の地形と暮らしと、食を含めた文化が絡み合っている。町のみんなが、なんとなく「まちのため」といった意識を持っているんですよね。動いていくと最初は「こいつ何しにきたんだ」となるけど、話してみたら「面白そうだからやってやるよ」「絶対やるべきだ」という風になります。今の復興のタイミングにあった、ふさわしい再生事業の始まりじゃないかなと思ったんです。

 

気仙沼 森のアカデミーでチェーンソー講習を受けるみなさん

 

―再生エネルギーに関しては素人とのことでしたが、立ち上げは大変でしたか。

日本の関係機関を3カ所くらい紹介されて、行くとこ行くとこ「やめたほうがいいですよ」と言われました。やれている方法を探して見つからなかったらやめようと決めて、アメリカやヨーロッパの海外事例を探してもらいました。そうしたら、海外には上手くいっているところがあって、気候の違いとかはあるかも知れないけど、やっていけるのではないかと。方法があるならやろうと、ここまでずっとやってきました。そうしたら、去年(2012年)の秋頃かな、技術提携しようとしているところが、「実はうまくいってないらしいぞ」という話が入ってきて、びっくりして髪の毛が抜けたんです。慌てて現地に行きました。そうしたら僕が想像してたよりも規模が小さかったけど、きちんとやっていて。突然訪問したわけだけど、包み隠さず見せてくれて、こういう人たちとだったら信頼できるパートナーとしてやっていけるなと。

 

-これまでに、海外とビジネスしたことはありましたか。

ないです。

 

-不安とか戸惑いとかはなかったんですか。

逆に知らないから、どんどん出来たんですよね。輸入するのにこういう規制があるとか障害があるとか最初からわかってたら、やってなかったですよ。日本で初めてですしね。

 

気仙沼商会の社員さん:うちの社長は、自分のことより先にまちのこと考えて、採算とかあまり考えないで、突き進んで行くので。想い先行ですから、これは、どこまでもついてっちゃいますよね。残りの人生かける価値はあるなと思ってるので。

 

-どういう点が日本で初めてなんでしょうか。

近隣地域の木材供給で賄える発電プラントということです。国内でこれまで成功しているのはもっと規模が大きなタービンを回すプラントなんです。小さい規模だと木材をガス化してガスエンジンを回すプラントになるんですが、この成功事例が国内には殆どないんです。地域の間伐材でできる規模でやるから持続可能なわけで、地域のものを地域で消費しましょうっていうのが今回の事業の根本にあるべきと考えています。その結果成功すれば、日本で初めてのプラントであり、ケースになるという事なんですよね。

 

木材の買い取り。88.6トンもの木材が1日で集まった日もあるそうです。

 

―そうですね。エネルギーを使うのは、どういった所ですか。

ホテルとかですね。あとは水産加工屋さんとか、そういうところでも熱エネルギーが使えないかなあと思っているんですよ。今回のプラントは夜も動くので、熱エネルギーを24時間必要とする施設と相性がいいということになるんですけどね。あと、今回の事業から派生して、ストーブの燃料として分けてくれないかという声が意外に多いんですよ。

 

-それは面白いですね。

ホームセンターで薪が袋に入って400円で売っているんですけど、山の手入れをしながら産出される間伐材を有効活用すれば、まちの人にもっと格安で供給できたりします。これまで手間賃にもならないから、木材を運び出さないまま捨てたり、切らずに放置して太くなるまで待とうとしていたけど、もっと地域の中で使っていきましょうと。地域通貨によってやり取りしていけば、地域で更に財が循環しますしね。

 

-地域通貨についてもう少し聞かせていただけますか。

森から出される木材への対価を地域の中でより循環してもらおうと、地域通貨「Reneria」リネリアというのを、スローフード気仙沼に協力してもらって作成し、始めたんですよ。仕組みとしては、まちで産出される間伐材を燃料用として買取って、その買い取り価格の半分の額をこの「Reneria」で払う。そして地域で使ってもらう。まだ本格的に開始していなくてテスト事業でやっているのだけど、約180店舗で使えます。木材の買い取っている量も、今はまだ300トンくらいだけど、来年から8000トンの予定なので、今後もっと流通していきますよ。面白いのは、なかには全部地域通貨で欲しいという人も出てきたこと。ある奥さんが、『旦那は現金だとちょろまかすから、地域通貨で欲しい』だって(笑)。

 

―いろんな仕組みを一貫してやっているんですね。

山の人達から、プラントから、エネルギーを使う人も、携わる人も、そこから生まれる対価を使う人も、皆が理解して動かないと、どこかが止まってしまったら、全部が動かなくなってしまうんですよ。『みんなで』っていうのがこの事業のキーワード。間伐材の切り出しも植樹でこういう山にしていこうとかも、みんなで関われる。地域通貨も、まちの店舗が関わっていけるでしょう。そこに、まちのみんなが共感するんじゃないかな。そういう意味でとてもいいなって思うし、将来はとにかくいろんな事が起こるんじゃないかなと思いますよ。調査事業からはじまって、山を持っている人たちを集めた講習会を何度も開いて。20~30人ぐらい集まってくれればいいかなと思っていたら80人ぐらい来てくれて。山持ちの人たちも、爺さんから山を受け継いだけど、どこにあるかもわからないとか、わかってもどう木を伐り出していいのかわからないとか、チェーンソーの扱い方もわからないという人が大半でしたね。軽トラックぐらいが入れる林道の作り方とか、女性も含めて、みんな楽しそうに学んでくれました。それからテスト事業として、月2回ぐらい間伐材の買い取りを始めて、ようやく少しずつ動き出してきました。

 

チェーンソー講習を受けたみなさんと、右腕の後藤さん

 

 

-今の右腕である後藤さんは、地域のみなさんとはどういう感じですか。

後藤さんは、ざっくばらんだし、突拍子もないこと言ったりして面白くて、地元の人から人気がありますよ。彼女もつなぎを着て、チェーンソー持って、ヘルメットをかぶってやっています。少し時間はかかりましたけど、馴染むのも早かったですね。田舎は、都会よりも人間関係とかがやっぱり難しいんですよ。高学歴の人でも、馴染むのに半年くらいかかったりします。英語が喋れても気仙沼語は最初わからないですからね(笑)

 

-新しい右腕には、どういう役割を担ってもらいたいですか。

いよいよ全部プラントも整って、あとは動かすだけです。そのプラントの管理を担ってトータルコーディネートしていく人が必要なんですよね。緊急事態が起きた時に海外とやりとりをしたり。僕は残念ながら英語ができないので、通訳を頼んで質問しながら進めています。プラントが実際稼働するのは来年の3月位の予定です。持続発展可能な電力供給モデルをつくっていくことにトライアルするんだから、非常にやりがいはあると思います。

 

―右腕は、外から何かを持ってくる意味合いもあると思うんですけど、これを持ってきてほしいなということはありますか。

特にありません。あえて言うなら、『都会にないものが沢山あるはず』って思える好奇心を持って来てもらえたらいいと思います。

 

―どうもありがとうございました。

 

聞き手:山内幸治(NPO法人ETIC.事業統括ディレクター)/文:田村真菜(NPO法人ETIC.)

 

この記事をシェアする

その他の記事を見る

1対1の支援をつむいで、牡鹿ブランドを育て上げる。

私にとっての右腕体験6360viewsshares

大槌町の子どもたちのために、全員で同じ方向を見据えて

私にとっての右腕体験5034viewsshares

「東北の湘南」と言われる地で、若者とタッグを組みたい!

リーダーがビジョンを語る8718viewsshares

この地に本当に必要なリズム。女川向学館の考え方。

リーダーがビジョンを語る8905viewsshares

THINK TOHOKU 2011-2021 これまでの5年を振り返り、これからの5年をともに考えていきます。

THINK TOHOKU 2011-2021 これまでの5年を振り返り、これからの5年をともに考えていきます。

右腕希望の方々向け個別相談会開催中 申し込みはこちら

右腕希望の方々向け個別相談会開催中 申し込みはこちら

SITE MENUサイトメニュー