リーダーがビジョンを語る
じわじわ広がる暮らしのシェア
亘理町に生まれ、仙台に暮らす小野さん。仙台での暮らしの中にある、人・もの・場所を企画や展示を通してシェアしてきた“小さな街”という活動をされています。そんな小野さんがこれまでやってきたこと、震災を通じて感じたことを伺いました。【小さな街・小野朋浩】
―お仕事はどんなことをしていますか。
印刷業の会社に勤めてます。
―仙台が地元なのでしょうか。
生まれはもうちょっと南の亘理町なんです。高校卒業後に仙台の学校に通うために移って以来、ずっと市内で暮らしています。
―それで、“小さな街”が生まれたきっかけというのは?
小さな街では、ものづくりを中心にいろいろなことをやってるんですけども…自分でもまだ完成していないところもあったりするので、伝わりやすい言葉で表すのがなかなか難しいんですよね。最初は、雑貨類などを自ら作っていたんですけれども、時間が経つにつれて考え方に変化が出てきたんです。
たとえば、仙台に住んで暮らしていて、ふと“いわゆる観光の視点ではなく、地元目線のガイドブックみたいなものを作りたいな”と思ったんです。それで、住んでいる人達それぞれの好きな場所と人を紹介してもらって、リレー形式で掲載していく「あつめてみたら」というブログを始めました。でも、最終的には本か何かにできればなと思ってます。
あとはCDRのレーベルの「Inn」を始めました。「もうCDって…」というような雰囲気は音楽業界の中でもあるとは思うんですけれども、すごく静かで美しい自分の好きな音をリリースしてみたいなという気持ちがあったんです。基本的にリリースが目的ではなくて、「小さな街」の企画のBGMとして積極的に使っていくという意味合いでやっています。なので、今のところまだ2枚しかカタログがないですけれども、今後ゆったりとしたペースでリリースをしていきます。その他、店舗のBGMや企画・催しのBGM選曲をしていきます。
―なぜ、「ものづくりをしよう」というところから変わってきたのでしょう?
最初のころは、デザインしたり、お店を持ちたいって気持ちがすごく大きかったんです。でも、4年間で色々な経験もしたし、180度とまではいかないですけれども変わってきました。お店をやるには経験、知識、お金も、全てにおいて足りないって思ったんです。でも、出来ないなりに、自分も出来ることはないかな?と思って、一度ギャラリーで蚤の市みたいなことをやったんですね。
―蚤の市?
おすすめしたいものをセレクトショップのような感じで集めて、小さな空間の中に本屋さんと雑貨屋さんとパン屋さんと、カフェを置いてみたんです。それを客観的に見たときに、まさに小さな街のようだったんですよね。
―「小さな街」はそのような形から始まったのですね。
そうですね。その後、ものづくりへの想いがあったからか、ものを作っている人たちが周りに増えてきたんです。皆さん、作るものが素敵なので、それを作るときにどういう思いなのか気になりだして。
―やりたいことがあってもやらない人も多いのに、小野さんが行動するのはなぜなのでしょうか?
1番最初にお店をやりたいけどもできなかったという感覚が、衝撃として自分の中で大きかったんです。一歩踏み込めていないというか、夢見がちな感じがしたので、ひとつずつできることは確実に、有言実行で全部行くぞ!という気持ちになってきたんです。
―なるほど。そんな中で地震が起きたんですね。そのときはどうしてました?
会社にいました。その前から、地震をちょこちょこ経験していたので、すぐおさまるだろうみたいな感覚でみんないたんです。でも、強くなり始めて。これはやばいなという雰囲気になりました。すぐ電気が落ちて、会社にある色々なものもざーっと倒れてきて、足の踏み場もないというのはこういうことかという状態でした。
―地震が収まってからはどうしました?
ビルにいた人は全員出て来て、近くの公園に避難しました。会社は3日後くらいに来られる人だけ来るようにと指示が出て、その日は取りあえず解散。
僕は、そのままうちの奥さんの職場へ自転車で向かったんです。奥さんの働いているビルは免震構造で棚が倒れてもいるわけでもないし、働いている皆さんは何となくそわそわしてるけど、物が散乱してる感じは無かったんですね。そのギャップにすごく驚きました。そんな状況の中で、誰かがラジオで聞いたとかで「海側の家の人たちはひとまず帰れ」と。
「帰れなければ連絡をとるなりしろ。10mの津波が来るらしい」という話になったんですよ。でも、僕そのとき冗談に聞こえたんです。
―ちょっと大げさじゃないか、と。
はい。そんなことは今まで聞いたことないし、とりあえず家へ帰ることにしました。その日はたまたま車で来てたので、車で帰りましたがそれが大間違いで。普段なら15分くらいで帰れるんだけども、2時間くらいかかったかなぁ。
―そんなにかかったんですね。
2時間かかったってことは、どういうことか分かりますよね?渋滞の中で「車、進まないなぁ」って会話していた頃、海側ではもう津波が来ていたわけです。それをあとで知ってすごくショックだったんすよ。
―たしかにそうですね。
そのあとは仕事も徐々に稼働してきて、自分の中でも少し落ち着きが戻ってきました。沿岸部の甚大な被害の情報が入ってきて、周りでも動ける人は積極的に海側の方にボランティアに行ってたんですけど、ああいった光景に触れる心の準備が出来ていなくて、そのとき行くことが出来なかったですね。
―じゃあ仙台で?
はい。中心部で被災している僕の周りの人達と話をしていました。ものづくりに携わる人たちは「自分よりもっと大変な人たちがいるのに、自分がやっていることは許されるのか」みたいなことを考えるようになって、モチベーションがすごく下がっていったことが僕としては気になっていました。そんな中で僕が出来ることを考えたときに、身の回りで困っている人に少しでも元気になってもらえる企画をしていくことかな、という気持ちに固まっていったんです。
震災以降に関西に住む二人の方から同時期に連絡があったんです。1人はツイッター経由で、もう1人はもともとの友人でした。二人とも大阪に縁が深い方だったので、大阪と仙台を繋いで何か企画ができないかな、というところから構想が始まって、5月と6月に2つの企画をやることになったんです。
―どのようなものだったんですか?
ツイッター経由で連絡をくださった方が銅版画家の方は、向こうで作家さんたちのコミュニティーに声をかけて下さり、合計35名の方に1~2作品を無償で提供していただき仙台で展示販売を行いました。その売上を、石巻でカフェをやっていた僕の友人が、震災の被害でお店まで津波が来ちゃって営業ができない状況だったので、本当に個人的なんだけども、その人の名刺やショップカード代にさせてくださいという了承を得た上でやりました。これさえあれば、お店を始める時にすぐにでも動き出せるかなという想いでした。その時はその銅版画家さんも仙台に来て、実際にお客さんと会話をしながら、真摯に説明をしてくださったので、半分以上の作品をお買い上げいただきました。
―なるほど。そういうことも。
先ほどの展示が「大阪から仙台へ」だったので、今度は「仙台から大阪へ」というサブタイトルとして仙台の商品を伝える「小さな街のせんだい散歩」という物販の催しを行いました。僕のまわりで落ち込み気味なものづくり作家さんや個人で経営しているお店の方々に声をかけました。その時は僕が大阪の会場に伺い、催しに来て下さるお客さまへ仙台のこと、作り手のことを伝えました。これは「小さな青いポスト」っていう名前のプロジェクトなんですけど、仙台と大阪の情報とか文化とか面白いことをポストに投函するような、文通のような感覚でやっていこうと思っています。
コミュニケーションをとりつつ、僕らの元気を出すきっかけにもなるように。これが震災後、すぐの企画ですね。
この「小さな青いポスト」の企画で、仙台から大阪へ、というのがもうひとつありまして。タイトルが「好きだった景色を忘れないための写真展」といって少し長いんですけど、コンセプトがそのままタイトルになってるんです。この写真展は友人が震災以前・以降にかかわらず、自分が好きだった、残したい景色を写真として飾ってみようと仙台で開催したのが始まりで、先に話した関西に住む二人が興味を持ってくださり大阪での開催に繋がりました。
―すばらしいですね。
写真展と併せて、先ほどお話した「小さな街のせんだい散歩」も行い、大阪・兵庫・京都の三都を一緒に周らせてもらいました。
―なるほど。
三都市を巡るっていうような経験が僕はなかったので、もちろん楽しいだけじゃない部分もあったんですけど、元気が出る・出ないってレベルで考えたときに、やっていてとても気持ちが良かったなという感覚があります。震災がそのきっかけになってしまったところだけが気にはなるんだけれども、新たな関わり合いというのが、生まれてきて嬉しいという感覚と、生まれてきた中で思うように仕事が出来たという実感がありました。すごくやってよかったなぁという気持ちでした。
あとはこのチラシにある「暮らしのシェア」というものもあります。“3がつ11にちを忘れないためにセンター”が、震災以降せんだいメディアテーク内に立ち上がって、どこでどういった体験をしたかというようなことや、震災以降の状況の変化などの映像を、Ustreamの番組として定期的に放送したんです。暮らしのシェアはその番組のひとつです。
―どんな番組なんですか?
1人の方をゲストに呼んで、その人の働き方や暮らし方を伺っていくスタイルで続けていました。それを月1本程度放送し、結果的に再生回数は合計で1900回以上となっています。
―そんなにも。
ゲストには、生産者や個人店経営されている方を招きました。そういう方たちがどういった体験をしてきたかを聞いていくと、農家さんは「家族が食べる何日か分は野菜が常にあって」とか、「地震が起こるって分かってたから、ずっと備蓄はしてたんだよ」と仰るんですよ。そういうお話を伺っていきながら、こういった暮らしもあるというのをシェアするという意味合いで、「暮らしのシェア」としました。
―ゲストごとに、いろいろな暮らし方があったんでしょうね。
そうですね。生産者とか個人店経営されてる方は、まず安否の確認、次に原発などそういった問題にすぐに向き合っていたんです。食料の問題は既に解決されている方ばかりでした。そういった方々に触れる機会があって、考え方が柔軟に、あとは意識を高くするポイントとかも教えていただけたかなぁと思います。
―なるほど。今後もイベントやフリーペーパー楽しみにしていますね。ありがとうございました。
聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)文:加納実久(ボランティアライター)
■小さな街のブログ http://chiisanamachi.dtiblog.com/
■リレー形式連載「あつめてみたら」
■CDRのレーベル「Inn」
■仙台と大阪の情報ポスト「小さな青いポスト」
■Ustream番組「暮らしのシェア」