リーダーがビジョンを語る
住民の想いを丁寧に聴きながら、まちづくりの仲間を増やす
福島県南相馬市で、産業支援やこども支援、市民の生活支援を行っている特定非営利活動法人フロンティア南相馬。津波被災や原発事故の影響で複雑な問題を抱える南相馬市へ、震災後に移住してきたフロンティア南相馬・専務理事の池田征司さんに、新規事業(南相馬のタウン情報サイト「TiER」)の展望や右腕への期待について、お話を伺いました。【池田征司さん・フロンティア南相馬 理事】
-池田さんはもともと東京にいらっしゃったと思うのですが、どういうきっかけで南相馬に入ったんでしょうか。
最初はたまたまですね。震災後は、東京で「次の仕事を探さなきゃ」とちょうど転職活動中だったんですが、1回現地の状況を見てみようかなと、知り合いのいた南相馬に来て。3日間だけのつもりで来てみたら2週間くらいいることになって、いろいろ手伝ったりしているうちに、こちらと縁が出来ちゃって。「来いよ」と南相馬から東京の家まで迎えに来てくれるようなことも何度もあって、東京とこちらを行き来するような生活でした。で、2011年の9月かな、本格的にフロンティア南相馬へ関わるタイミングでこちらに来ました。
-じゃあ本格的にこちらに来て、今で2年くらいですね。
そうですね。就職活動をやめてこっちに来ちゃったわけですから、東京に帰っても特にやることもない。2年いちゃったんだから、なにか結果を残すまで戻れないと思っています。親からも、「困っている人たちがいるなら行ってきなさい」と片道切符分の交通費をもらっているので、その手前もあります(笑)。
-Yahoo!復興デパートの運営とか、子どもたちの遠足とか、毎日本当に忙しい生活だと思うのですが、そんな中で、新たに「タウン情報サイト」をやろうと思ったのは、何がきっかけだったんですか。
2012年の2月に開催した南相馬ダイアログフェスティバル(市内活動15団体の共催企画)に携わるうちに、いろんな活動をしている団体があるけど、お互いのことを知らないなと気づいたんです。みんな大変だから、自分の活動のことだけで精一杯で、隣の団体が何をやっているかもわからない。街に住む市民や市の職員の人にも知ってもらわないと、まちの活動の意味がないよなと感じ、支援活動を行なっている団体が実際やっていることを、きちんと知ってもらいたいなといという想いからでした。それに県外へ避難している市民の多くにも故郷の状況を届けたくて、広域発信のできるウェブサイトが有効で必要なのではと思いました。だれもやらない事を自分の能力で実現が可能であるなら、自分が動くことでまちの力になるのであればと感じたのが、キッカケです。
-いまの南相馬市に「タウン情報サイト」が必要というのが、少しイメージが持ちにくいのですが。
ただ単純に、「載せませんか」と情報をたくさん集めて掲載すればいいというものではないと思っています。やっぱり丁寧にみなさんの所を回って生活地域や職種、家族構成で変化するいろんなニーズや想いを聞くと言うのが大事です。飲食店とかも再開し始めたところも増えてきていて、そこの店主とかも、まちに対して想いを持っているんですよね。でもそういった話って、なかなか誰かにする機会もなくて。実際に取材に行くと、効率だけ考えれば30分もあれば十分なんだけど、2時間、3時間と話し込むことが多いんです。そうした声を丁寧に聞くことで、まちづくりの仲間が増えていくんだと思っています。だから、絶対にウェブサイトでなくてはというものではないんですよ。みんなでまちづくりをしていくうえで、その動きや想いが可視化されるツールであり、連絡帳やアーカイブに近い存在なのかなと思っています。そのツールを通しながら、住民の方がもっと自発的に動きはじめ、まちづくりのための人材育成が進んでいくことが狙いです。
-なるほど。「タウン情報サイト」をきっかけにして、まちづくりの底上げをしていこうということなんですね。これからの目標はどんな感じなんでしょう?
現在は地域の30数件の情報が載っていて、初年度200件の取材・掲載を目標にしています。今は1人で対応していますが、3年後には500~600件ほどにコンテンツに増やせたらチームでも動いていけるかなと思っています。取材を通していろんなニーズや企画の掘り起しができていて、現状でも10件程度の企画があるんですよ。臨時災害放送局(南相馬ひばりFM)にいる仲間と協力して企画した、南相馬の魅力を集約した「ご当地カルタ」の制作プロジェクトや、プロカメラマンの仲間たちと企画している「みんなの写真教室」などもその中の1つです。将来的にはタウンサイトに関わってもらいながら、情報交換会のようなものを定期的に開き、まちの中間組織としての役割を果たしていきたいとも考えています。
-まちの中間支援組織として、地域がどういう状態になったらいいと思っていますか。
支援活動や何か動いている人って、まだそんなに地域に多くなくて、ちょっと動くと目立っちゃうんです。それが、みんなが動くことによって目立たなくなるといいなと思います。いま自分のやっている広告デザインやWEBの仕事が、みんなができるようになってうちに仕事がこなくなったらそれでもいいと思うんです。その結果が町の底上げになっているはずですから。最近は住民からのイベントの企画も多いですし、町内会の動きもだいぶ変わってきています。今まで「どういう風にイベントやったらいいかわかんない」と言っていたけれど、いろんな人と繋がって協力していけばできるんだなって、気づいてきたんだと思います。イベントに限らず、活動だったり事業だったりにも共通して言えることです。
横でつながるってやっぱり大事で、うちも繋がって行けそうな他の団体とは全部繋がっていこうと思ってやっているんです。ちょうどこの事務所の近くに、みんな共和国(子どもの未来や町の未来を創る有志による市民活動の場)があるんですが、一緒に「食」に関する継続したまちの行事を作ろうという企画もあります。まだ絡んだことがないところも、なにか企画を持ち込んで「一緒にやりませんか」と、どんどん声をかけていきたい。そういった中で、「次もまた一緒にやりましょう」って向こうから声かけてきてくれたりもしていて、繋がりが深まっていくのかなと思います。
-それは嬉しいですね。少しずつ地域に動きが出てきている。
南相馬は被災後、物流トラックも入ってこなかったと聞いています。避難区域になってしまって、違うまちになってしまったように感じている住民の方も多いかもしれないです。あと、「この2年半、何も変わらなかった」って話も出ますし、復旧・復興って言葉にはもうあきあきしているんだとも感じる。「復興のために」というと不信感を持つ人もいますが、「南相馬の未来のために」という話をすると、共感すると言ってくれる方が多いです。復興って言っても、どうなれば復興となるのかが見えにくい状況になってしまっていますから。
国が変わるとか、放射能の問題が解決できるとか、そんなに大きなことは狙っていないし自分達には技術もない。でも、出来ることを惜しみなく、続けることで少しはフロンティア南相馬の取り組みによって、住んでいる人の意識が変わってきているのかなと思います。どん底だった人も笑えるようになったり、関係がオープンになったり。自分はそんなにコミュニティ事業はむいていないなと思うんですけど(笑)、そういった姿を見るとよかったなと思います。
-右腕が入って1年後、どういうことを達成していてほしいですか。
最初は一緒に取材について回ってもらって、まちの現状把握やこのタウンサイトの必要性を感じてもらったり、地域の人とのコミュニケーションを増やして行ってほしいなと思っています。慣れたら、どんどん一人でいろんなところを取材に回ってもらいたいし、200件掲載に向けて動いてもらえるといいなと。そうやって丁寧に話を聞きながら、まちの人たちのアイディアをうまく拾って形にしていってほしいと思います。たとえば、まだ映像の発信などはやれていないですけど、他にもやれることはいっぱいあるんだと思うんです。
-地域発の企画を形にしていく代理店や、いろんな人をつないでいくコーディネーターのような仕事になりそうですよね。どういったタイプの方が向いているでしょう。
地域の背負っているものは多いですし大変なこともありますが、思い詰めすぎずに、ちゃんと気持ちが切り替えられる人がいいのかなと思います。あとは、企画を紙に落とせる人や、営業・広告経験者など人とのコミュニケーションが得意な方が来てくださると嬉しいです。正解も不正解もないので、チャレンジしてくれるといいですね。たった1年という期間なので、だらだらと過ごして終わっちゃうのはもったいないし、「人にやらされてる感」ではなく、自らやっていけないと続かない。南相馬は娯楽も少ないまちなので、そのチャレンジを楽しんでいけるのが大事かなと思います。
聞き手:山内幸治(NPO法人ETIC.ディレクター)/文:田村真菜(NPO法人ETIC.)