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特集記事 「現場に行きたい」東京のNPOから気仙沼大島へ

私にとっての右腕体験5701viewsshares2011.11.18

「現場に行きたい」東京のNPOから気仙沼大島へ

避難所での課題や困りごとを発見して専門性を持つNPOなどへつなげることをミッションとする合同プロジェクト・つなプロ。今回は、NPO法人ETIC.のインターン生として中間支援に携わり、つなプロ気仙沼・大島に9月末から入った満留彩さんにお話を伺いました。【つなプロ気仙沼大島・満留彩】

 

 

―気仙沼・大島に来てからどれくらいですか。

9月末に入ったので、まだ1か月少しですね。とても長かったように感じています。ボランティアが入れ替わり入ってくるので。毎日、仮設住宅の居住者や在宅の方々を回っています。今までに会った人は150人くらいで、仮設住宅の中には、「また来たの」と言ってくれる顔見知りの人も増えてきました。

―大島の仮設住宅は、いまどういう状況なのでしょう。

大島は、人口が3000人くらい。みんな知り合いで、いろいろなものを近所で分け合っています。場所の特徴やもともとの人間関係によって、仮設住宅ごとにコミュニティができつつあります。まわりに住宅がない地域は固まらざるを得ないですし、同自治区から来ている人が多いとコミュニティができやすいです。

―そもそも、どうして現地に入りたいと思ったのですか。

NPO法人ETIC.ではSAL(ソーシャル・アジェンダ・ラボ)という部門にインターン生として関わっていました。ただ、ETIC.は中間支援組織ですし、事業概要やビジネスモデルは知ることができても、現場をじっくり見れないし現場で働けるわけじゃない。だから、単純に「自分も右腕として現場に行きたいな」と。

―このプロジェクトを選んだのはどうしてでしょう。

もともと大島にこだわりがあったわけではなかったのですけど。ETIC.のスタッフに「頭で考えすぎだから、川崎さんのところで修行してこい」と言われたことはありますね。あとは、もともと東京にある事業を東北で展開していくようなプロジェクトでなく、現地のひとたちが立ち上がっていく、その支援をしていくようなプロジェクトに関わりたかった。

―現地のひとたちが立ち上がる支援。なぜそこに興味が?

私自身、もともと中学生のときに私立の進学校にいて、勉強を随分と押し付けられるのが嫌でカナダに留学しました。日本にいたころは競争社会を感じていましたし、常に人から評価されているような気もして、「自分は何もできない」と自信がなくて。けど、自分の可能性を信じて努力している人や自分の目標を臆せず口にしている人たちにカナダで出会って、「やりたいことをやっていこう」と思えるようになったんですね。そういうふうに自分が自信を失っていた経験もあって、人が自立していく支援がしたいと思っています。

―現地に来るまでになにか意気込みなどはありましたか。

よくETIC.代表の宮城さんたちが「現在日本が直面している課題は、あらゆる国々がこれから直面する課題。今、これらの課題を日本で解決して、解決したモデルを海外にアウトソーシングしていかなきゃいけない。今回の震災はそれを行う機会で、行政も人々も個々のレベルで変わろうとしている。」と言っていて。それを聞いていて、「そうしていきたい、自分も取り組みたい」と感じました。もともと大学でも、発展途上国の人の精神的自立や社会的自立について勉強していて。発展途上国って援助しすぎても駄目で、いろいろな問題を自分の問題としてとらえて「自分達でなんとかしよう」と動き出せるようにサポートしていく。それは、今回の被災地でもあまり変わらないのではないかと考えています。

―実際に現地に入ってみてどうでしたか。

つなプロ気仙沼大島は、ちょうど9月末で一区切りを迎えていて、「この後の方向性をどうしようか」というミーティングが何回かありました。最初に大島に入ったときには「なんでもっと仕事をシステム化できないのか、スピード感を持ってやれないのか」と思っていましたが、ミーティングを重ねるうちに、現場で考えることや大切にしていきたいことが見えてきました。被災地で働くということは間接的に支援することとは全然違う難しさがあり、自分のペースで進めていけないんです。そこで暮らす住民たちのペースに寄り添っていかないといけないし、無理やり進めていくことはできない。支援しすぎると、私たちに依存してしまうかもしれない。ここでのやり方に慣れるのには、ちょっと時間がかかりました。

―難しそうですよね。普段はどんなことをしているのですか。

仮設住宅や在宅の人を回り、アセスメントを行っています。以前、大島全域でアセスメントを行ったことがあるので、今回は二回目。前は、安心・安全をテーマにして主に医療福祉介護面についてアセスメントし、看護師や介護士が訪問できるようにつないだり、必要なら大島内の施設や気仙沼の病院につないだりしていました。でも10月になって、地域づくり、生きがいづくり、つながりづくりとかを考えるようになって、「地域としてやりたいことはなんですか」と聞いて回ったり。人とお茶っこしながらいろんな話を聞いて、できるだけやりたいことを解き放って。ひとつの仮設住宅の集合に30世帯くらいが住んでいて、それぞれ状態も違いますし、「全体としてこうです」とはいえないんですけど。

―なにか印象的なお話などはありました?

「ちょっとお茶でもしていきなさい」とひとりの奥さんとずっと話をしていたことがあります。娘さんと息子さんが通学に便利だからと別居して本土に行っていて、家族が在宅と仮設で別々に住むかたちになっているので、援助の差をすごい見ていらっしゃる方で。比べてみると、仮設住宅のほうが物資的な援助が多かったり、炊き出しがあったりすることが多いんですよね。一方で在宅の人の中には、仕事を失ったり家も車も失ったりしている人もいて。「いいよね。仮設の人はいろいろもらえて」と言う方たちもいるそうで。

―なるほど…じっくり話を聞きつつ、つなプロとして打ち手を考えていく?

今はできるだけ多くの人と話しながら、情報を集めている段階で、そこから導き出される私たちがすべきこと、必要とされていることはしていくつもりです。例えば「仮設と在宅の人たちの隔たりをなくすために何かできないか」と考えて動こうとしている方もいるのに、つなプロがそこに何かをしたら、せっかくの気持ちを削いでしまうだけかもしれないなあと。なので、特に提案とかはせずに、聞き役に徹していることもあります。

―これからどうしていきたいとかは、ありますか。

正直まだ何もできていなくて、模索中です。とてももどかしい。「一歩を踏み出せばもっと楽しく生きられるのに」と思うし、人の自立心をつくる支援をしていけたらなと思っています。

―いかに人をエンパワーメントしていくか。ETIC.にいたときと向き合っている課題は変わってないのかもしれないですね。これからどんな成長をしていくのか楽しみです。また伺いますね。

 

 

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