リーダーがビジョンを語る
「東日本の食の復興」に、ビジネスとして挑む
復興を目指す生産者リーダーと東京の食関連企業・組織をつなぐ活動を行っている、食品業界横断型の復興支援プラットフォーム、一般社団法人「東の食の会」。事業により生産者や加工業者の雇用を創出しようとしている、事務局代表の高橋大就さんに、震災後からこれまでのお話を伺った。【一般社団法人「東の食の会」プロジェクト・高橋大就】
-あと少しで震災から1年ですね。1年前、前職はどういうお仕事をされていたんですか。
1月、2月は、マッキンゼーで農業関係のプロジェクトをやっていました。農業の産業としての強化をやっていきたいと、もともと思っていて、マッキンゼーの中で「農業をやるんだ」と言い出した変な人間なんです。
-震災当日はどうされていましたか。
オフィスにいたら揺れが来ました。そのときは事の重大さに全然気づいていなくて、CNNの映像を見て状況を知りましたが、まだその時は死傷者がどれくらいかとかはよくわからなくて。夜は、電車が止まっていたため、退職する同僚を囲んでしみじみと飲んでいました。だから、私は全然その日に動いたわけじゃないんです。
-動きはじめたのはいつですか。
原発をテレビで見た瞬間。やばいと思って、マッキンゼーの全経営陣に「緊急支援のプロボノプロジェクトをやらせてくれ」というメールを打っていました。社内では、マッキンゼーの世界中のオフィスで募金の仕組みをつくりました。会社の方は時間がかかりそうだったので、官邸にいる前職(外務省)の上司に「政府で自分を無償で使ってくれ」とお願いをしました。その後いろいろと経緯があり、ジャパンプラットフォームというNPOを通して仙台に入ったのが3月末くらいでしたね。
-仙台に入ってからはどんなことを。
まだ緊急避難の段階で、NPOと行政の調整や、物資のマッチングなどをやっていましたね。自衛隊の炊き出しと民間団体の炊き出しがぶつかったり、といった非効率がすごくあったので、情報交換する枠組みづくりをやっていて。ちゃんとやりたかったので、マッキンゼーには「休職します」といって、ボランティアではなくて、ジャパンプラットフォームに所属して取り組んでいました。その活動をしている間に、食の産業の復興の話がでてきて、「マッキンゼーで誰かいないか」となり、ずっと農業の話を社内でしていた私に声がかかり、すぐに飛びついて今の東の食の会の理事の方たちと出会いました。
-すごいスピードで動いていますね。
それが4月半ばくらいでした。その頃は2週間に1回くらいのペースで今の東の食の会の集まりがあり、現地にも入り、マッキンゼーで新入社員のトレーニングもしていました。でも5月くらいになると「炊き出し迷惑」って言葉が出始めて、そろそろ自分も長期的にどう関わろうか考えなきゃいけないなと。その時に「東の食の会の事務局代表をやらないか」って話を高島さんから頂いて。で、6月に東の食の会を立ち上げ、事務局代表に就任して、マッキンゼーを正式に辞めました。
-農業にかける思いを持たれたのは、どういう経緯なんですか。
外務省で日米通商をやっていたのですが、今のTPP議論とまったく同じ議論をしていました。日本の農業を強化しないと国際競争で勝てない。もともと親が岩手出身で、地方の原風景を守りたいという思いもあって。「守りたい」も保護で守るのではなく、強くして守りたいなと。それがはじまりですね。おいしいものが好きというよりも、マクロ的な観点から国の国際競争力やそのための国のスタンス、産業としての農業のことを考えていました。
-東の食の会を立ち上げたとき、「こういう風にしていこう」というビジョンがあって、参画されたんですか。
私のビジョンというよりは、「ビジネスで回さないと」というファウンダーのビジョンに共感しました。私は、もともと「NPO清貧たるべき」みたいな日本の古い考え方にはすごく疑問を持っていたタイプで。東の食の会も、「支援をもらってチャリティで」ではなくて、「ビジネスで回す仕組みを作るんだ」ってことにすごく共感したんですよね。
-活動はちょうど今、7ヶ月目くらいでしょうか。事業内容をお伺いしてよろしいですか。
もともと5分野に取り組んでいます。1つ目が、マッチングプロデュースをしてビジネスを生み出していく、事業のコアの部分です。2つ目は、販促キャンペーンやイベントを通した食べる側・消費者側へのアピール。3つ目は、安全安心の向上への貢献。4つ目は、行政がやるべきことの提言。5つ目は、本来的には生産者に対する金銭的な支援なんですけど、そこはまだ充分にできていない。まだまだ自分たちの規模ではできないとはわかっているのですが、金銭面で側面支援できないかなというのはずっと考えています。
-それぞれ、具体的にはどのような感じですか。
たとえば販促イベントは「同時多発」というのを掲げています。こういうイベントやアピールがどんどん起きないと世の中は変えられないということで、あえて10 月11 月は意識的に開催数を増やしていました。他のイベントもお手伝いしたり、食材提供したりすることがたくさんあって労力がかかるので、右腕で既に入っている原田君にそのへんを担ってもらっていました。で、10月末に東のマルシェや屋台を楽しんでもらう福幸(復興)祭を代々木で開催、11月末には仙台で産業のオピニオンリーダーを集めて食の産業サミットを開催して、世界中のメディアを呼んで、枝野経産大臣からビデオレターもらって。マスに認知度をあげてインパクトを与えることに取り組んでいました。
また、食の安全・安心のプロトコルを作って発表することもやり遂げ、行政側へもファクトベースで食産業復興のための包括的な提言を行いました。資金的支援は直接的な支援はできないけれども、農水省が取り組もうとしている農林漁業成長化ファンドに対して全面的に支援をしています。活動の一番のコアであるマッチングも、最近だと東の食の会の看板を掲げてくれているレストラン店舗も出てきており、小さな成功事例は積み重ねてきていると思います。
―プロジェクトは順調に進んでいるのですね。
ただ、我々が目指しているところからすると全然小さい。「食の復興なら東の食の会」という風に業界の中でも認知度がでてきて求心力も上がり、この半年で素地を作ることはできたんだろうなと思います。しかし、本来的な目的である「生産者の雇用をどれだけ生めたか、どれだけ懐にちゃんとお金が落ちたのか」がまだまだ不十分です。今年はリソース配分の比重を変えて、マッチングやヒット商品を生むところに集中しようと思っています。被災者の失業給付が今月もう切れはじめるし、雇用を作ることが急務なので。5年間で200億円というインパクトを出すのには、ここからが本当に正念場です。
-いろんな支援団体が東北に入っている一方で、東の食の会は東京をベースに活動されていますね。どういう戦略性を持って位置づけを考えたのでしょう。
最も地域の方々のなりわいの刺激になるのは、首都圏の販路に彼らの商品をいかに流れるようにするかです。もちろん現地でやるべきこともあるんだけど、ビジネスを作っていくというところからすると、やっぱり東京を拠点として、販路をいかに築くか、首都圏のお客にいかに買ってもらうか。地産地消だけでは限界があるし、東北だけで完結していたら復興にはならないと思っています。しかし一方で「もっと生産者とコミュニケーションとらなきゃいけない」という声もいただいています。地域の方々にも入っていただいて、ネットワークもあるのですが、その方からも「やっぱりもっと顔が見えないと」って話もいただいていて。そこは真摯に受け止めていて、右腕の原田君が志願して東北担当になり、できる限りむこうに行くようにしています。
-「ビジネスとして」という部分をとても大切にされていますね。
もちろんです。シェフの方も入り、プロモーションにはプロのクリエーターも入り、いかに付加価値をつけたものを売るか、どういう顧客にどういう価値を訴求するのかを考えています。「被災地のものを買って復興に貢献したい」「東のおいしいものを食べたい」っていうセグメントはだいたい市場の4分の1存在していて、その方たちにはすばらしい価値を提供していきたいと思っています。逆に、絶対安全至上主義の方々も4分の1いらっしゃって、その方々はその方々で食べない選択があるべきだし、無理やり押し付けることはしちゃいけないと思っています。顧客のニーズベースで考えるというのが、我々の基本思想ですね。
-とても精力的に活動されていますが、何がご自身を突き動かしているのでしょう。思いをお聞きしたいです。
公のために働くともともと決めていて、学生のときから安全保障が問題意識にあったため、北朝鮮の核問題や日米同盟について考えていました。無事外務省に入省してワシントンで安全保障の話をやっていましたが、日本に帰ってきて日米通商をやったとき、脅威は物理的な安全保障上にあるのではないと気づきました。日本は経済的にずぶずぶと地盤沈下していた。愕然としましたし、外務省でいいのかすごく悩みはじめました。仕事自体は好きだったんですけど、やっぱり民間に入ってどんどん自分が突破力つけてひっぱっていくほうが意義があるんじゃないか、やるべきことなんじゃないかと思って。で、飛び出してマッキンゼーに入社し、どこの業界に入るのが1番インパクトがあるかなと考えて農業にいきつき、今にいたります。そういう意味ではずっと、「公益にはどうやったら貢献できるのかな」ということしか軸として持っていないんです。
―311で何かが特に変わったというわけではないのですね。
そうですね。100年に1度の国難と言われているときに、「公のために」とか言っていて動かないのはおかしいしありえない。自分が生きている間に日本にとって1番大きい問題が起きちゃったのだから、取り組む以外の選択肢はないだろうと。
―本当にそうですね。一方で、ボランティアや復興に関わる人の数が減っている段階にはなっていて、難しい局面だなと思っています。
とても由々しきことですが、あまり驚いてはいません。あれだけのインパクトのことが起きて世の中は半年くらい真剣に考えるだろうけど、人は忘れるものでもあります。今年の3月11日を過ぎたら急速に風化していくと思います。だからこそ、ここからだと思うんですよ。ここから本気が試される。そこは覚悟を決めています。東の食のことを特別に応援しようと思っていない人たちを含めてどう巻き込んでいくか。戦略やメディア戦略が大事になってきていると思いますし、自分達だけの自己満足ではだめで、世の中にインパクト出さないといけない。安全性を確保してマイナスをゼロにするっていうのがまず大前提ですけど、もともと西日本の食は安全なんだからゼロにするだけでは勝てない。更にそれを上回る価値をださなければ流通はしない。そういう意味では、よりマーケティング力が試されます。
-今のタイミングだからこそ、右腕を検討している方もいると思いますが、こういう風な方と一緒に働きたいというものがあれば教えてください。
少し前ですとまだ緊急支援のフェーズで、現地に入りたいって方もすごく多くて、それがインパクトのあることに繋がってきたと思います。でも、だんだん「ここからはビジネスであるべきだ」というのが浸透してきている。そういう意味では、今まで民間で頑張ってきている人で、東北のためになにかと思っている人は、そのビジネスの力をぜひ生かしてほしい。これからそれが1番必要となりますし、ぜひ一緒にやりたいなと思います。特に、今回は食品の専門知識を持った方を求めていますし、そういった知見を持っている方にはぜひきていただきたいですね。
―ありがとうございました。
■右腕募集情報:一般社団法人「東の食の会」プロジェクト