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特集記事 ぜひここへ来るといい。他人事じゃないと分かるから。

リーダーがビジョンを語る5953viewsshares2012.03.14

ぜひここへ来るといい。他人事じゃないと分かるから。

マグロを狙う遠洋漁業だけでなく、沿岸漁業や牡蠣の養殖も盛んな気仙沼・唐桑半島。1年を通じて豊富な魚介類が獲れる。大自然を相手にする漁師の目に、今回の震災はどのように映ったのか。沿岸漁業ひと筋45年の佐々木夫一さんにお話を伺った。 【漁師・佐々木夫一さん】

 

 

―キレイな旗ですね。地元で作られたものですか。

気仙沼の旗屋さん。菊田染屋で作ったの。出船(でふね)のときに、これ振って見送ったのよ。一昨年の5月かな、愛知で自動車の組立工をやってた青年が不景気でリストラにあってさ、気仙沼にやって来た。彼はまったくのど素人だったけれどマグロ船に乗りたいって、海に出てったわけ。それを見送ろうと出船送りをしたわけさ。

―出船は船が出るたびに行うものなんですか。

昔はやったんだけれども、今は全然。だから、それじゃ寂しいべって言って、斉吉商店の和枝さんたちと一緒に、「出船送りをやろう」って話になったのよ。昔はふつうにやってたのよ。漁業は気仙沼の基幹産業だべ。漁業があるから、そのまわりが潤うわけさ。だから出船って言ったら、昔は銀行の人たちも大っきな旗をもって駆けつけたもんよ。大漁旗なびかせて、五色のテープ敷いて、軍艦マーチ流してさ。

―すごい華やかですね。

それはそれは華々しくて、絵になったもんだよ。ところがここ何年か、漁業が底冷えになって、面白い商売じゃなくなってきて、そうすると銀行ももう見送りに来ないのよ。昔は盛大にやってたのに、今じゃこっそり悪いことしてるみたいに出船をしてるわけ。それはないよなって。

それで旗を作って、出船送りを復活させたんですね。

そう。この旗も津波で流されたんだけど、見つかったの。かなりのものが流されたのに奇跡だよ、奇跡。だから、今は出船のときとか、いろんな復興のイベントなんかで振ってもらってる。昔の元気を取り戻すべって言って。

 

 

―3月11日は海に出ていらしたんですか。

いや、丘にいた。梶ヶ浦にいて、喪服を着替えてから、市内で用事をたそうと思ってた。そこへ地震が来た。

―奥様とご一緒だったんですね。

うん。地震のさなかを車で走った。揺れが止むまで待ってられねーと思って。でも唐桑に戻れるとは思ってなかった。

―津波で戻れないかもしれないと。津波が来るというのはもう頭の中にあったんですね。

60年も生きてるとさ、地鳴りがしてじわーっと来る揺れと、一気にガタガタガタって来るのとでは距離も分かるのよ。あのときは一気に来た。近い。ってことは、津波もすぐ来る。おれは正直、目の前がまっくらになったよ。将来、宮城県沖地震が来るって言ってたわけさ。それが来たかと。終わりだと思った。車をそのまま走らせて戻っていいのか迷ったけど、運よく戻れて、旧唐桑小学校まで来たときは「あー助かった」って思った。それで、すぐに港に向かった。船を助けようと思ったのさ。漁師である以上、船を助けるってのは基本的な考え方だから。ただし、船を沖まで出せなかったら、逆に自殺行為だべな。

―船を助けたいと思ったんですね。

 

迷ったけれどもな。港に行ったら、ちょうど飛び乗れるくらいの正常な位置になったのよ。着いたときは下がってたのに、ものの3分ぐらいでどんどん潮が入ってきて、それで船の位置も正常な高さに戻ってきた。これは幸いだと思って船に乗った。奥さんに「とにかく早く逃げろ」って言ってさ。エンジンかかって、次は津波が来るぞってなったら、気になったのは養殖の施設さ。湾に対して右岸にも左岸にもビッシリあるから、それが動いて流されたら、航路がふさがれてしまう。動かないでくれ、航路をあけといてくれ、って祈りながら全速で走ったのよ。全速で走るんだけど、どんどん潮が来るから遅い、ものすごく。あれ?半クラッチでねえか?って錯覚するくらい。それぐらい船が前に進まなくてさ、唐桑の先まで出ないうちに、でっかい山みたいな波が襲って来たんだわ。

―津波ですね。

波が来るときってさ、こうバッチーンって船をたたくわけよ。だから波に対して斜め45度に船をかまえて波に乗せるわけ。

―垂直ではなく。

斜めに。波が崩れてなければ、そうやって乗り超えられるって知ってるから。そんときは、自分の船まで来ても波が崩れないと思ったから、大丈夫だと思ったの。一瞬の判断で分かるのよ、「あ、これやばい死ぬな」っていうのと、「来たけど大丈夫だ」っていうのは、ある距離さ来れば分かるわけ。それで唐桑半島の先のところで、波を3枚とって、4枚目は船尾を過ぎてから崩れてったのさ。もう気仙沼はダメだなと思った。津波ってのは湾の奥まったところだけ大きくなるわけだから。もう終わりだと思った。

 

―佐々木さんの船は乗り越えたんですよね。

 

乗り越えた。でも、まだ昼間だからよかったよな。これが夜だったら、この何倍もの人が亡くなってる。他人事でねえぞ。テレビで見たけど、都市直下型地震が4年以内に70%の確率だっていうじゃない。

―言ってましたね。

甘く見たらダメだぞ。やっぱり日本は火山国だわ。絶対に自然を甘く見たらダメ。甘く見た人も、中にはいたと思うんだよ。津波を見学してたとか、たいしたことねえとか。でも、そうじゃない。地震の規模が全然ちがうんだぞ。もう、この世の終わりみたいな地震なんだぞ。人が逃げないからとかマニュアルがどうこうとか言ってないで、ヤバいと思ったら、何もかもぶん投げて逃げることさ。てんでんこで※逃げることだわ。

※東北地方では古くから「津波てんでんこ」という言葉が伝承されている。「津波が来た際は、各自がてんでんばらばらに(「てんでんこ」に)一人で高台へ逃げなさい」という意味。防災上の教訓として広く知られている。

―まず自分が高いところに逃げなさい、ということですよね。

(奥さん) そう。ふだんから「てんでんこ」って言っておけば、他の人も高いところに逃げてるはずって思うから、あとは自分の心配だけして逃げればいいの。

 

 

―年が明けて、危機感というのは薄れてるかもしれないですね、東京は。

 

やっぱり体験しないと分からないんだよ、目のあたりにしないと。テレビで見てるだけじゃ分からない。今でもこれからでもいい、見に来たらいい。だいぶモノは片付いたけど、まだ手のついてないところもけっこうあるし。木だって、津波をかぶったところとかぶってないところがハッキリしてる。今でもとんでもねえところに津波のときのものがひっかかったりしてるわ。あれを見たらエーッと思うよ。あと何ヶ月かすれば遠足とか旅行の季節になるじゃない。テレビでパパパって見るのも悪くはないけど、やっぱり自分の目で見ることによって個人個人の気持ちのなかに植え付けることだよな。

―遠足でも旅行でもいいから来てほしい、来たほうがいいんじゃないかと。

うん。来て、見て、感じてほしい。言葉ってのも大事だけど、言葉っていうのはピンと来ない部分があると思うんだよ。自分で見て、自分で感じるものって大きいと思うんだわ。

―そうですね。でも一方で、見に行くのは何か悪い、冷やかしになるんじゃないかと思って躊躇する人もいます。現地でも、見せ物じゃないと思う人もいるんでしょうね。

そうだな、いるな。捉え方は人それぞれだけど、おれは現状がこうなってしまったんだから目を覆うことなく見て覚えておいてさ、まだ仕事をやる気にならないなんて話も聞くけど、おれは信じられねんだ。生きてるんだもの、前に進むしかねえべな。

―そうですね。

おれだってかなりのダメージ受けたよ、唐桑の漁船漁業はいちばんダメージ受けたけど、迷いはねえべ。生きてんだから、やって食って借金払っていくしかねえべな。この歳になって、もう漁業しか、できる仕事もないんだし。

 

 

―佐々木さんが今後こうしていきたいというのはありますか。

やっぱりもう少し、魚を獲る人と買って食べる人のあいだの中間というか、高低差がなくなればいいなと思ってる。獲る人は安く売って、食べる人は高く買ってるべ。難しいのはさ、定期的に直接ほしいっていう人がいても、天然自然のものだから、生では無理なんだわ。凍結ものならストックできるけどな。生で定期的にっていう話は震災後何回かもらったけど、それは無理だわ。

 

―なるほど。

でも逆に、それだからこそ待っててもらえれば、獲れたときに望みの魚が食えるっていう楽しみもあると思うんだよな。たとえば今日は佐々木さんのところでこれが獲れました、欲しい人、手を挙げてください、今日獲れたから送りますよって。そうしたら明日にはもう東京で食べられる。そういう仕掛けみたいなことが、一つの流れとしてできるとすれば、いま被災して働ける場所を探してる人もいるから、魚をさばくにしても氷詰めするにしても、そういう人を集めたり集客したりするいま一番チャンスだと思うのさ。

―これまでの流れを変えるチャンス。

うん。今だったらタラが旬。タラって言ったらやっぱ刺身だわ。鍋じゃなくてさ。鍋で食うのは、悪くなったタラでしかやらねえからな。うめえぞ、旬のタラは。これを東京とか他の地方の人たちに、うまいことして食わせられたらなーって思ってるよ。

―佐々木さんの獲る四季折々の魚が、獲れた翌日には東京はじめ全国で食べられる。そうなったら素晴らしいですね。ありがとうございました。

 

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:鈴木賢彦(ボランティアライター)

 

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