リーダーがビジョンを語る
「エンジニア経験0から、ITで地域を復興する」
福島県南相馬市原町区。地震、津波、原発事故によって基幹産業であった農業や製造業が打撃を受けた中、従業員全員がエンジニア経験0からIT事業を立ち上げた田中章広さん。事業の立ち上げの想い、この地域で取り組むことの意義を伺いました。【南相馬ITコンソーシアム 田中章広さん】
ー震災まではどんなお仕事をされてきたのですか?
震災までは、大きく分けると二つの仕事をしてきました。ひとつは、自分で立ち上げたビジネスルールやマナーなど就業支援を行う会社の代表取締役で、地元の短大でキャリアコンサルタントとして非常勤講師も務めていました。もうひとつは三つのNPO法人の役員としてマネジメントに携わってきました。また、もう一つ、厳密にいうと仕事ではないのですが、青年会議所に所属し2011年3月当時は理事長という立場にいました。三足のわらじですね。
ー震災が起きた当時は?
震災があり、特に放射能汚染の問題があったため、仕事が全てできなくなってしまいました。私だけではないのですが、非常事態により経済活動自体が成り立たない状況でした。就業支援やキャリアコンサルタントの仕事は、学校自体が休校状態、学生もいない、NPO法人の仕事も全て一時中断になりました。青年会議所の理事長として、自らも被災者ではありますが、炊き出しや、支援物資の受入手配、慰問団の方、研究目的の学者の方が現地に来る時のコーディネータの業務にもっぱら関わっていました。緊急状況が2ヶ月3ヶ月と過ぎ、2011年の年末近くなってきて、原発事故による被災の有り様がなかなか見えない、今後も人が住めるかどうかわからない、というのがまだ続いていたんですね。でも、ここで生きていくことを模索していかなければならない。そこでどうしたらよいかと悩んでいたのが2011年の年内いっぱいでした。
ーそれから南相馬ITコンソーシアムの構想が生まれたのは?
2012年に入る頃に、私と、青年会議所メンバーでもある友人と二人で「新しいものをやり始めないと、復興どころか復旧もできないのではないか」と話していました。原発事故による被災地でも、風評被害を受けずにすむビジネスは何かないかと考えて、短絡的にまず出てきたのが、ITなんです。
南相馬の基盤は農業と製造業だったのですが、 今でも作付け禁止の状態になっているところがほとんどで、福島産の鉄骨やコンクリートなど製造したものですら他の都道府県にもっていくと販売できない時期がありました。風評被害に基づく問題、福島県差別と呼べるようなことがたくさん起こったのを覚えています。本来、復旧というのは、どこの被災地でも、街の基幹産業となっているものを主軸に復興を遂げるということが行われてきて、例えば、漁業が盛んだったら、漁業の再建に力を入れて復旧復興に向かう。しかし、この地域は、放射能汚染による影響で、しばらく無理だろうという状態だったんです。
でも、ITだったら、こういった地方の片田舎でも、オリジナルのアイディアや企画力があれば他の都道府県、世界各地の方とも連携もできるし、競争することもできるかもしれないと思ったんです。
南相馬はいろんな意味で有名になりました。市内の南部が福島第一原発から20km圏内に含まれ、人が住める最前線がここの街ですから、それを良い方向で有名な街にしたい。いずれは、若い人も新しい希望を持って一生懸命頑張っている、高齢者の方も安心して暮らせる街にしたいという気持ちが僕とその友人との間にありました。
2012年の夏頃、福島県が被災地での復旧復興のモデルケースになる事業への助成金制度の募集をしていたので、その制度を使って南相馬ITコンソーシアムを立ち上げようということになりました。
そして10月10日に私が代表に、副代表を地元のIT教育、地域づくりや子ども支援のNPOの理事長を務めていた方二人に、そして監事をその友人にお願いして設立しました。ただそれでも、この時点では受け皿を作っただけなので、従業員がいない状態でした。
ーそれからの経緯を教えてください。
12年の12月までに6名を採用しました。みんなエンジニアの経験が0なので、ご縁がある岐阜県のITベンチャーのEagle株式会社さんに、うちのスタッフをエンジニアに育ててもらえないかと相談したところ、「ぜひ協力しましょう!iPhoneアプリ開発は教え込みます」と言っていただきました。さらに、岐阜県庁の情報産業課にも協力していただき、二ヶ月間研修施設を使わせていただきました。環境の整った首都圏以外で、岐阜県のように熱心にITベンチャー支援に力を入れているところは見たことがないですね。
そして、2012年1月はビジネスルールのマナーなどの社員研修を私が受け持って、2月、3月の2ヶ月間は岐阜の関連施設に宿泊させてもらいながら、エンジニアの養成講座を受けました。エンジニアたちが戻ってきて、やっと態勢が整い、南相馬ITコンソーシアムとしてスタートしたのが2013年4月でした。一番最初は、私が所属しているNPO法人の施設の一室を借りて、全員でひとつの机を共有しながら、MacBookを開いて開発の練習をしていました。それからたまたま地元の不動産屋さんに、そういうことなら是非使ってと言っていただいて、2013年の夏頃、現在のオフィスを構えることができました。
ー今までどのようなアプリをリリースしてきたのですか?
全て自分たちで作ったわけではないのですが、今まで40本近くのアプリをリリースしてきました。そもそも、地元には他のIT企業もアプリ開発を発注する企業もないので、まず研修でお世話になったEagleさんに、共同で開発しましょうとお声がけいただきました。うちは共同開発会社としてiPhoneゲームアプリ開発の部分を担い、エンジニアは勉強をしながら自信をつけていっています。
一方で、私たちには、売れるアプリだけではなく、復旧復興に貢献できるアプリを作るという目的があります。
オリジナルアプリの第一弾は、南相馬の伝統行事である「相馬野馬追」の公式アプリ で、お越しいただく方がお祭りをより楽しんでいただけるように、市の観光関係の部署の方と連携しながら開発しました。他には、地元のローカルテレビ局「みなみそうまチャンネル」のアプリもあります。情報媒体があまりないので、誰でもスマホでワンタップするだけで必要な情報を見ることのできる仕様になっています。
また宮城県仙台市のシステム開発会社のお世話になり、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」の案内アプリも手掛けていて、地元に限らず観光促進につながるアプリ開発のご相談も受けています。このように地域の課題解決につながるような地元貢献型のアプリ開発も徐々に進めています。
ーこの地域の課題はなんでしょう?
南相馬は、20年後の日本を先取りしています。震災と原発事故によって、人口構造が一気に超高齢化し、若年者はかつての半分に減り、医療・福祉・教育など社会インフラの人手不足という課題があります。震災後、製造会社が規模を縮小したり、撤退したりしているので、学校を卒業する人の大きな雇用の受け皿がありません。復旧工事が終わった後を見据えて、若い方たちが働ける場所を今から作っていく必要があります。
ーそれに対して南相馬ITコンソーシアムはどのようなアプローチをしていきますか?
事業を存続し雇用を継続的に生み出していくことが、地域の課題解決への一つ目のアプローチです。原発事故の影響で避難した若い人は、戻るのをためらってしまうんですよね。それでも、この地域になかった取り組みで頑張っている会社があると知ってもらうことで、若い人たちに、地域のプライドや希望を感じてとどまってもらう、もしくは戻ってきてもらうことが目的です。
もう一つは、ITの技術や知識をさらに地域の方にお伝えする教育事業にも携わり始めています。今まで、地元の小学生を対象にプログラミングワークショップを開催してきたり、県と市による「相双地域雇用創造推進協議会」のiPhoneクリエイター養成講座でうちのエンジニアが講師を務め、受講生のスキルアップのお手伝いをしてきました。先のことを見据えた人材育成も大事な地域振興です。
一社だけでは産業とは言い難い。私たちの狙いは、まずこの地のIT会社の旗頭となって、ここで働いてきた人間が独立したり、他の会社ができることで、新しい産業の芽になり、この地で雇用が増え、若い人が今後も働いていきたいと思える場所が増えればそれが一番だと思っています。そうやって、地元になかったIT産業の基盤が作られるといいなと思っています。
ー右腕の方に求む素質はなんですか?
IT業界出身者が理想です。管理職ではなくても、一つのプロジェクトを担当していたり、マネージャーとして工程管理をある程度経験している方、営業戦略やIT業界のトレンドを知っている方、経営戦略、広報戦略も考えていけるようなディレクター的要素をもちあわせているととても助かります。iPhoneの分野でなくても、プラグラミングを経験してきたり、言語の知識がある方だと良いです。
ー右腕を検討している方々にメッセージをお願いします。
IT産業がないに等しいので、0から立ち上げるやりがいはここだからこそ感じていただけます。風評被害に大きく左右されない仕事をここで成功させれば、世界に他に例のないモデルケースを作ることができるかもしれない。一緒に被災地での雇用創出と、人材育成に協力していただける方にぜひお越しいただきたいです。
聞き手・書き手:馬場加奈子