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特集記事 人に必要とされるということが、生きる力になる

私にとっての右腕体験5888viewsshares2012.05.24

人に必要とされるということが、生きる力になる

 

「被災地の生きがい仕事と生活の足をつくろう!」――仮設住宅や買い物施設、病院などをバスでぐるぐるまわって被災地を応援している「ぐるぐる応援団」に、新たなプロジェクトが動き始めました。その名も「いしのま★キッチン」。右腕として昨年9月から参画し、このプロジェクトの中心となって活躍されている佐々木里奈さんにお話を伺いました。【ぐるぐる応援団・佐々木里奈】

 

 

 

-右腕になられた経緯を教えてください。

私、岩手の出身なんですけど、大学の卒論終わって実家にちょっと帰ってきていた時期に震災があって。それでがれき撤去のボランティアに行っていたんです。その体験からこれは時間がかかるなというのと、何かしらこちらでできることがきっとあるなとすごい思って。でも東京で就職が決まっていたので、とりあえず東京でできること探しながら、地味にボランティアをやっていたんです。こっちに来たくても休みがなかなか合わずに週末のボランティアバスとかも全然乗れなくて。来たい思いがだんだん強くなってきて、何かないか探していたらETICさんの右腕プロジェクトを見つけたんです。ああ、これだったら生活できるし、こっちにもこれると思って。説明会のフェアに行ったら、会社と違って大人がすごいきらきらとしていたんです(笑)。

-夢のある大人が多かったですからね。

漠然と「なんかしたい」だけじゃなくて、ちゃんと問題をどうしたいというのがあって。実際に組み立てて、一緒にできる人を探して、やる力を持った人がすごいたくさんいて、カッコイイと思ったんです。これしかねえ!と思って、会社に辞めますと言った後にETICさんに面接に行って、「もう辞めるからお願いします」って(笑)。

-すごい。東京でそのまま仕事という選択肢はなかったんですね。

そうですね。なんか行きたいというか、ちゃんと見なきゃいけないというと変だけど、こっちでやる人がいなくなったらどうしようもないじゃないですか。でもこっちに来たいという人はあんまりいないんじゃないかなと思って。それだったら地元の人がやっぱり戻ってやった方がきっといいのだろうなと。

-なるほど。その中でぐるぐる応援団に辿りついたのは。

私の地元は盛岡の結構田舎な方なんですよ。それで、震災の前から結構じいちゃんばあちゃんって足に困っているという印象がすごいあって。こういう震災があったらますますどこにもいけなくて困っているんだろうなという思いがありました。あとはリーダーの美織さんのパワーにひかれて。

-確かにパワフルですからね。

これは普通じゃないなと思って(笑)。あと、美織さんはETICのマッチングフェアに地元の南三陸観光バスさんの高橋さんと一緒にいらしゃっていて、地元の声を大事にしながら活動したいと話していて。地元とちゃんとコミュニケーションしながらやっているのがいいなあと思って来ました。

-仕事を辞めることに不安はありませんでしたか。

特になかったですね。それよりテレビとか見ていても、何も進んでいないように見えるのに忘れられていくような気がして。周りの人の印象もだんだん薄くなっていくし。

-いくっきゃない!という感じ。

そうそう、そうなんです。

-これまでどんなことをされてこられたのですか。

右腕でここに来た時に団地ごはんという取り組みをしていたんです。お母さんたちにチームになってもらって、チーム対抗でご自慢料理大会をする。あとは、みんなでごはんを作ってみんなで食べるみたいなことを何度かやっていました。仮設では周りに知り合いがいないという方も多かったので、チームになってもらうことで仲良くなってもらえたらと思って。そのチームづくりでおかあさん、おとうさんとしゃべったり、やりとりしたりするのが主な私の仕事でした。それで今は店舗を始めようということで、そこで働くお母さんたちを集めています。

-コミュニケーション担当みたいなものですか。

そうですね、団地ごはんは月に1、2回、多い時は3回くらいいろんなところでやりました。たとえば一回お茶会を開いて、その時に「ごはん作りとかやらないですか?」と声かけて。それで、「やりたい」となったら、「どんなの作りたいですか?」ってメニューをみんなで考えて、私が材料用意してごはんをつくったり。あとは自治会の行事としてやりませんかと提案したりしています。

-なるほど。

チラシも私がだいたい作っていったものに「ここをこういう風にしたい」とか「こういうふうにしたらいいんじゃない」と意見をもらって、材料も自治会の世話人さんを中心にして、お母さんたちだけで決めてもらったりしています。あとは地元の子ども造形教室をやられている方と知り合いになれたので、その人に先生になってもらって、編み物や絵手紙などのワークショップをやっています。私は会場を押さえて、チラシ作って。それでその地元の人が教えるみたいな。そういう感じです。

-だんだん仮設内のコミュニケーションがとれてきている感じなのですか。

どうですかねえ。場所によるというのもあるし、人によるというのもあるんですけど。でも少しずつできてきていると思います。お茶会やると言っても、集まりもよくなってきたし。

-一年たって、仮設の生活に慣れてきたのでしょうか。

それはあると思います。ただ、出てくる人は出てくるけど、出てこない人は出てこないというのがあるから。集まるようになったと言えるのかどうかは難しいところですね。

9月からこちらに来られて、半年くらい経ちますけど、何かうれしかったことなどありますか。

ワークショップとかやって「また来てね」とかって言われると、先生自身も地元の被災された方なんで、すごい喜んでおられて。人に必要とされるということがすごく生きる力になるとおっしゃっていて。必要とされていることを感じられる場をつくれたらいいなとすごい思っています。

 

 

-震災でそのような生きがいを失っている方って多いのでしょうか。

毎日畑に行っていた人が、「畑もなくなってやることねえ」と言っていたり、庭の花を毎日見ているのが習慣だったけどそれがなくなったという人もいたし。元々団地ごはんをやっているのも、奥さんを亡くして毎日コンビニや菓子パンを買ってくる人がいたり、お料理つくるのは好きなんだけど、旦那さんを失って「つくる張り合いがないんだあ」とか、「もう仮設が狭くてつくる気になんねえんだ」という人たちが、みんなで集まってちょっと大きなところで食べよう。みんながうまいうまいって食べるのを見れてうれしいなという、そういうところから始まったんです。

-みんな何かしら場が欲しいのですね。

「今までやってもらってばっかりだったから、なんかできることがあってうれしい」っていってくださる方が多いですね。感謝する側じゃなくて感謝される側になりたい。

-地元の人にやっていただく工夫ってあるのですか。

やりたい人を見つけることです。ただ、お店の採用で人集めるのもすごい大変でした。最初全然見つからなくて。

-そうなんですね。

団地ごはんとかで知り合ったお母さんとかが50人とか70人とかいて、一人ひとりお声がけしていたんですけど、全然見つからなくて。やばいと思いました。

-それは何が原因だったのですか。

雇用保険とか、初めはこちらが出す情報が少なすぎるとか、いろいろあると思うんですけど…。ほんとに仕事が求められているのかと不安に思ったりもしました。でも採用広告を工夫して書いて、それを貼っていったらそれ見てきた人もいました。あとは人からの紹介で一人見つかったら、その友だちとか。その友だちの友だちとか。

-口コミ強いですね。

強いですね。だんだんと集まってくる人も元々飲食やっている方だったり、お弁当屋さんや居酒屋の店長やっていた方が来てくれて、「なるべく忙しくなるように、働きたい人が働けるようにこの店をこれくらいに流行らせたいね」みたいなことを言ってくださる方とかも出てきて。きっとお店の核になってくれるような人が見つかるんじゃないかなあって思っています。

―飲食業のノウハウとかはどうしてるんですか。

全然ないので、この前はメニューづくりの時に、東京の方でレストランやられている方とか、フードコーディネーターの方に来ていただいてお母さんたちの料理をベースにアドバイスをもらったりしています。そういうボランティアさんの力を大いに借りつつも、経験のある方が結構いるので、そういう人たちの知恵を結集してやっています。

-心強いですね。

また地元の人頼りなんですけど(笑)。

-それが一番かもしれないですけどね。

人間関係として知恵の出し合い方がうまくいけば、すごいいい店になるんだろうなという。そこをやっていけばいいのかなと思っています。

-これからの右腕の期間は、どうしていきたいですか。

お店に関してはやっぱり安定するまで、地元の人が安心できる状態までして、渡せたらちゃんと終われると思っています。それまで別に何年かかっても、この場所にいたい思いはあります。活動の最終的なゴールは地元の人でうまくいくようになるということ。そこに近づけるようにやっていかなきゃ、とはいつも思っています。どこまでできるのかっていうのはまだちょっとわかんないですね。

-新たに右腕に興味がある人に向けてメッセージをお願いします。

大したことは言えないですけども、私も来た時はパソコンもできないし、ほんとになんにも出来ない感じでした。それは今もあまり変わらないですけど、でもやりたいなら絶対今来た方がいいと思います。私も一年しか右腕の期間はないから「一年後どうすんだろう。公園で野宿することになるかもしれないなあ」とか思いつつも、それでもいいかなと思って。一年を無駄にしたくないというか。震災ですごく思ったのが、誰でもいつ死ぬかほんとわかんない、いつでも突然死んじゃうかもしれないんだなあってなんです。だったら今やりたいこと、自分の心が反応するところに任せてもいい。きっと後悔しない、と思って来たので。・・・どうだろうなあ(笑)

-後悔しないように見えます。

うん、しないと思います。

-着々と歩まれていく感じがします。ありがとうございました。

 

聞き手:加納実久(ボランティアライター)/文:坂口雄人(ボランティアライター)

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