私にとっての右腕体験
本当の意味での持続可能な社会をめざして(2)
「元気になろう福島」の右腕として活躍した後、田村市にある蓮笑庵に滞在して活動を続ける戸上昭司さん。前編に続き、これからの持続可能な社会のあり方や、ご自身の働き方について語っていただきました。【元気になろう福島(元右腕)・戸上昭司】
—右腕期間が終了した後も、こうして福島に残られているのはどうしてでしょう。
今回の原子力災害は、人を住めなくし、健康を脅かしているだけでなく、他の動植物にも多大な迷惑をかけているわけですが、それだからこそ、福島に残された人びとや土地から学べることが多いというのが、ここに居続ける理由のひとつです。 逆説的ですが、放射能汚染という未曾有の環境破壊を経験したからこそ、本当の意味で持続可能な社会を作っていける可能性が福島にあると感じていて、それを本気で目指している人とも出会うことが多いんです。どんな立場の人でもその人の人生が全うされる社会、というのが僕の目標とする社会像なのですが、そういったことを真正面から議論出来る雰囲気や環境があると思います。
—本当の意味での持続可能な社会。
たぶん、心のギアチェンジが必要だと思うんですよね。
持続可能な社会について、食や環境、エネルギーや福祉といった観点から、仕組みや制度レベルではすでに色んな提案がなされているはずなんですけど、それが実現されないのは、まだ成長や効率性を重要視する精神構造から脱していないからだと思います。競争をしたり効率性を求めたりすること自体は悪いこととは思いませんが、「足るを知る」というか、効率にもゆとりや余裕が必要なわけで。行き過ぎた効率性追求の結果があの原発事故だ、と考える人が福島には増えてきた気がします。それに気付くための代償は大きかったのでしょうけど、福島は今、精神的には日本で一番持続可能な社会に近いところにいるのかもしれません。
—たしかに、蓮笑庵に来るとなんだか気持ちが落ち着きますし、福島には魅力的な人たちが集ってきている気がします。
そうですね。蓮笑庵には場の力というか、場が私たちに与える精神性を感じます。なので、この場を維持・継続していくことはきっと意味のあることだと思っています。とはいえ、現実問題として暮らしや経済を安定させていくことも考えていかなければなりません。「足るを知る」というのは「何も要らない」ということではないですから。お金儲けに集中し過ぎるとまたこれまでの経済至上主義に引っ張られてしまうので、バランスを保つのは難しいですが。
蓮笑庵も「くらしの学校」を立ち上げたものの、採算が取れるようになるにはまだ時間がかかりそうです。一方で、この場所を維持するだけでもそれなりにお金がかかってしまうわけで、ここらで踏ん張らないと厳しいなという感があります。だから、まだ退くには早いなというか、蓮笑庵の事業を今年度ちゃんと形にしていかないと、という責任感のようなものも、ここに残る理由のひとつになっています。
—来年度以降のことはどうされる予定ですか。
来年のことはまだ分かりませんけど、飯舘村も気になりますし、その先、長い目で見れば浪江町や大熊町、双葉町のことも気になります。ただ、福島に関わるようになった当初から「べったり関わるのは5年が目処かな」となんとなく思っていて、そのタイムスパンは今も変わっていません。ただ、その後も月に1度通うぐらいの関係はずっと続けていきたいと思っています。
—なるほど。今まで、名古屋に帰りたいと思ったことはないんですか。
帰りたいと思ったことはまだないです。ただ、自分はやっぱり「支援者」なんですね。どこを支援していても、自分がいないとどうにもならないような状況を作ってはいけないと思っていて、深く入り込みすぎないように、距離感には気をつけています。これは先に言った、目標とする社会像とも関係してきます。その人の人生が全うされる生き方とは、その人なりの自立を果たしている状態であって、それを依存関係で邪魔してはいけない、と思っています。僕自身の働き方で言えば、雇用という組織に依存する働き方では、僕自身の人生が全うされない感じがしているので、いつもフリーの立場でいたいと思っています。
—今はフリーの立場なんですね。
僕は組織に縛られるのが嫌で、名古屋にいた当時からそうなんですけど、独立して個人として働きたいという気持ちが強いんです。右腕制度も雇用契約ではないのですけど、それでも本田さんのもとで、「元気になろう福島」のスタッフとしての立場が第一だったわけで、多少の居心地の悪さはありました。ただ、本田さんは、僕の思いを知ってか知らずか、僕を組織の論理で縛るようなことはありませんでしたけどね。そこは感謝しています。とはいえ僕個人は、精神的には今の方がすごく気楽です(笑)
—リーダー本田さんとのコミュニケーションは、右腕期間中と現在とで変わりましたか。
本田さんはもともと自由にさせてくれるタイプの人だったのですが、やはり右腕期間中は、自分は本田さんがやりたいことを実現するのを支える立場なのだという意識を第一に持って活動していました。
本田さんは 、色んな人びとのニーズを汲み取りながらバランスをとって行動していく方ですが、一方でご自身も福島出身であり、福島に対して人一倍強い想いを持っていると感じます。そんな本田さんの想いを近くで感じてきたものですから、たとえ右腕期間が終わって、立場としてはフリーになった今も、本田さんに何か困ったことがあればサポートしたいと思っています。
—制度としての右腕派遣自体についてはどのようにお考えですか。
もちろん団体によって働き方や雰囲気は違うのでしょうけど、自立した働き方をしたい人にとってはフレキシブルで良い制度だと思いますよ。
右腕期間終了後に東北に残る決断をした人もけっこう多いみたいですし、そういう人たちの長期的なネットワークが出来ると良いですね。
—点で終わるのではなく、面として結びついていくと良いですね。ETIC.としてもそうした流れを作っていくことに役立てればと思っています。
特に福島の場合、NPOや市民活動、コミュニティビジネスといった概念がまだあまり知られていないように思うので、右腕派遣先の団体がこれからもっと行政や企業と連携していけると良いですね。ここ田村市には、他の市のような市民活動課のような部署が無いそうで、そうした業務は全部総務課が担当していると聞きました。
—まだNPOや市民活動に対する理解は少ないのですね。
逆に言えば、NPOやコミュニティなんて言葉がなくとも、必要なことを人びとが自然と実践できていたということなのかもしれません。ただ、震災が起こって、自治体職員自身も被災したり、職員数が減ってしまったりしたので、従来通りでは通用しない課題も増えてくるでしょう。立場の違いを越えて市民としてフラットに協働できる仕組みや流れを、例えば復興支援員などの制度を利用しながら作っていければよいのではないかと思います。
聞き手:山内幸治(ETIC.)/文:鈴木悠平(ライター)