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特集記事 町の未来に「じぶんごと」として関わる仕組みをつくる

私にとっての右腕体験5443viewsshares2012.01.23

町の未来に「じぶんごと」として関わる仕組みをつくる

岩手県北上市と大船渡市が連携し、厚生労働省の緊急雇用創出基金の枠組みをうまく活用して、約70名の支援員と、7名の地区マネージャー、4名のコールセンター部門を組織し、市内37カ所の仮設住宅(約1800世帯)のサポートを担う。このプロジェクトに右腕として参画している、成田好孝さんにお話しを伺った。【大船渡仮設住宅支援員配置支援プロジェクト・成田好孝】

 

 

―今どういうことをされているんですか。

大船渡の仮設住宅支援事業の統括マネージャーの補佐役をやっています。統括マネージャーはいろいろ難しい判断をして決めていく必要があるので、その相談相手であり、時には代理として直接に課題解決に当たります。課題の共有をして、「僕が統括マネージャーだったら」って視点でソリューションを何パターンかだして、統括マネージャーから個々にフィードバックを貰って。それを繰り返しているうちに、「このソリューションで行こう」と解決策が見えてくる。そういう意味では、ある意味アイデアマンであるかもしれないし、ブレスト相手かもしれないし、参謀かもしれないです。解決策を複数のメンバーで協議することの大切さを日々痛感しています。

―なるほど。ほかにはどんなことを。

運営のフロー自体がまだ固まっていない時期は、他のスタッフがつくった運営マニュアルをブラッシュアップして、スタッフの方々に研修を行ったりしていました。また、パソコン・プリンター・ネット通信などITインフラを整えて、支援員の方々に使い方をお伝えして、業務効率が格段に良くなりました。仕事がスムーズにまわるようになり、お一人お一人の経験値や処理能力もあがって、事業全体のゆとりも出来てきました。

―現地の統括マネージャーはどんな方ですか。

「みんなをマネジメント」っていう感じではなくて、本当にみんなから信頼されるアニキです。常に1人1人の想いをすごく大事にする人です。そう言ったことからも、2人の役割の違いを作れていますね。自分はいろんな打開策・ソリューションを考えることが多く、現地の統括マネージャーがそれぞれの打開策におけるひとりひとりの気持ちに配慮して意見を言ってくれる。

―成田さんご自身がこれまでやられていたお仕事は、どういうお仕事でしたか。前職の経験は今のお仕事に活かされていますか。

前職はメールマガジンの配信会社で秘書を4年間務め、経営企画や採用に携わっていました。秘書という名前でしたけど、プロジェクトマネージャー的な社内業務をやっていまして、1個1個のプロジェクトをまかせてもらってローンチさせて。そこで積み重ねてきたことは今に活かされていると思います。

それと、もう1つそのような視点を養ってくれたのは、学生のころのサッカーのキャプテンの経験や、小学校のころの生徒会長の経験。たぶん、目立ちたがりで前に出たかったんですけど。そこでの役を通して、「組織ってなんだろう」「たくさんの人間がワークする土壌はどうすればつくれるんだろう」というのは無意識のうちに考えていたので、全体最適な視点を子どもの頃から知らないうちに持たせてもらったと思います。

―どうして復興に携わろうと思ったんですか。大船渡に入ったタイミングは9月頃でしたっけ。

9月半ばくらいから。3月11日に震災が起きて、仙台や気仙沼や陸前高田に個別に行ったりして、問題意識はそもそも持っていたと思います。問題意識というよりは自分事化かなあ。「何ができるかな」というか。

俯瞰した言葉で言えば、東北は日本の最先端の問題がクローズアップされた場所だと思うし、世界がこれから直面していく問題を先取りして社会が浮き上がらせた地域だと思うので。問題の質としては世界の最先端だと思うんですね。そして、その問題を解決してほしいというニーズがあると考えています。

―最先端の問題って、具体的にどういうことだと捉えていますか。

人口という社会全体が縮小していく中で「個々がどう幸せに生きていくか」という社会のデザイン、「何を良しとする人生とするか」っていう価値観のデザインの2つが求められていると思います。行政とかガバナンスでも解決できない、資本主義のロジックでも解決できない、新しい解決パターンを見つけることが必要とされているなと感じています。

―どうして幸せや価値観のデザインにこだわろうと。

大学のときにアフリカやアジアをいろいろと回るなかで、生きることに大変な地域を見てきました。また3年前に沖縄でハブに咬まれて、人生の中で「死」に最も近づいた経験をしました。「死」を実感値を持って感じたことで、逆に「生きるとは何か」ということを考え始めました。そのとき自分は、うまく表現できませんが「ちゃんと生きよう」って思いました。たぶんその意識を3年前に感じたことが、会社を立ち上げることにもなり、いまこうして震災復興に関わっていることにも繋がっていると思います。

―「ちゃんと生きよう」。もう少し聞かせてもらえますか。

個人のどういう解釈も答えだと思うし正解はないと思うんですけど。僕の考えるちゃんと生きるとは、自分を犠牲にするわけでもなく、社会を犠牲にした中で自分の幸せを得るわけでもなく、自分と社会が共に創り出していく中でひとつ前に進むことだと思っています。そして、できれば社会とか時代が前に進むことに自分の時間を使いたいなと思うし、そのときそのとき必要とされているものをどこまで自分がアウトプットできるかが大事だと思っています。

―なるほど。復興に関わっているのもその延長線上なのですね。今後の展望やとか課題とかはどう考えていらっしゃいますか。

直近の歴史を見れば、「これから町をどうするのか」を考えるのは行政というのが当たり前かもしれないですが、「自分の生活や人生は自分でガバナンスする」というのが健全な本来の在り方なのではないかと僕は思っています。自分の町の未来に、住民がもっとダイレクトに参加していい。それをサポートしていくように行政も役割を変えていかなければいけないんじゃないかと思っています。

自分の中で参考事例にしているのは、アメリカにハリケーンカトリーナが来てニューオリンズが水の中に沈んだとき、「じゃあ次の新しい町をどうする」っていうことを、住民4000人以上の方々が何十回も議論を交わしながらデザインしていった「America・Speaks」という事例は世界のモデルケースとなっていくと考えています。僕は日本の沿岸部でニーズがあればそれを是非やりたいと思っています。そのような仕組みがあれば、それぞれの地域が独立歩行で、自分達でより良い地域にしていけるんじゃないかと。

―今後、社会が具体的にどうあるのか、どう変革していくのか、って難しいですね。

僕自身も、新しい社会のアウトラインだけでも、それを捉えていくのは重要だと思っています。けれど、一方で自分の想像力は良い意味で信用し過ぎないようにもしています。社会がすごく大きく変化したとき、例えばヨーロッパの産業革命や日本の明治維新がそうだと思いますが、「当時の人たちがその後の社会を見えていたか」と考えると、そうではないのではないかと思います。古い考え方やOSで見えたものって、後々見ると結果的には元と同じものになってしまうことがあると思うんですよ。見えるから動く、見えないから動かない、っていうロジックには行きたくない。見えるようになる為に、分からなくても止まらないことを大事にしています。一概に良いとは言えませんが、新しいことを試しにやってみないと実際のところは分からないと思うんですよ。

―確かに、今考えているものが、本当に後々いいかはわからない部分が多い。やってみないとわからないっていうのはその通りですね。

新事業も、今より半歩でもいいから進んだアイデアを実現するのが大事だと僕は思っています。新しい現実を見ながら、次の未来をどんどん考えてとらえていく。次の未来を考えるには、今まで見たことのない新しい現実がもっと必要だと思っていて、そこを現実化するところに自分の役割があるのかなと思っています。半歩前のモデルをたくさん作って、現実が5年10年と経つ中でそれぞれの良いところ悪いところが見えてきて、新しい次の社会のデザインをすればいいんじゃないかなって。そういう意味では、個々の地域でもっとチャレンジしていいと思っています。

―実際に現実化していく過程は、難しいことも多そうです。

現実化するっていっても、ただ良いデザインだからうまくいくというわけではないですからね。ひとりひとりのいろんな想いがあって、すでに活動してきている方々がいて、「新しいことやろう」「何かを変えていきましょう」っていうと、良くも悪くもノイズが出るのは当たり前ですよね。そういった時にマクロ的に全体最適を見ることと、ひとつひとつの気持ちをどこまでも大事にすることと、その両輪があるからプロジェクトの動きが止まらないし、うまくいっているんだろうなと思います。右腕プロジェクトの受け入れ側である菊池さんが0を1にするところの話を進めて、関係性構築や方向性策定をきっちり行う。現地の統括マネージャーと僕とで、そのバトンを貰って現実化する。それがこのプロジェクトの動き方です。

 

 

―右腕としての活動期間は今春を目処にということですけど、この事業が終わった後はどういう展望なんですか。

いまのところ、明確な展望は持ってないですね。またそれが決まっていないことに焦ってもいません。と言うのは、最近の3年くらいの自分の人生は、自分の予想を常に遥かに超えている現実がやってきていると感じてまして、日々、今後の自分について考えはしますが、今春の状況の中で最も良い選択ができればと考えています。

―もう震災から9ヶ月以上たっていますが、今後どういう関わり方が求められていますか。

東京や大阪など被災地ではないところでアイデアされた支援が、常に現地にマッチしているかというと、必ずしもそうではない部分があります。一方で「こういう支援をしてほしい」っていう声を、沿岸部から発信できる人もとても限られているという現実があります。今後の課題としては、このような支援の在り方を、外部発から現地発に変えていく必要があると思っています。現地でニーズを把握して、プログラムだったり解決方法だったりのラフイメージをある程度描いて、支援をしたいという人たちに「こういう形で関わってもらえますか」と相談ができる。そういうスキームになっていくと、より現地のニーズに即した外部の関わり方ができていくのだと思っています。現実的な第一歩としては、数多くのコネクションを持っている方が短期間でもいいから現地に来てもらって、現地に精通している人と相談をする機会を増やしていくことかもしれないです。

―新しく右腕として入ってくる可能性がある方、自分の職能をいかして地域に入ってくる方に伝えたいことなどありますか。

沿岸部では現在の状況や課題について、既に広く認識されていると思います。ただ、それに着手していける人材が圧倒的に足りていません。特に復興フェーズが前に進むにつれ、即応的な短期的な役割よりも、仕組みや体制作りのような中長期的な役割が求められているような印象を受けます。そう言った意味でも沿岸部ではみなさんの役割と出番を本当に待っていると思います。皆さんが個々の人生で培ってきたことを是非、沿岸部で活かして頂きたいと思います。
当然、現地には現地のやり方・進め方というものもありますので、時には今まで得意としてきたやり方が通じないこともあるかも知れません。しかし、それは自分にとっての貴重な成長の機会ではないかとと私は考えています。
人生は短いようで長いです。自分の人生にとって、いま本当に必要なこと・いま経験すべきことは何かを本気で考えて頂ければと思います。

 

■リーダーの菊池広人さんのインタビュー記事はこちら。

前編:地元雇用での復興を目指した仮設住宅サポート

後編:住民自治による持続可能な地域づくり

■右腕募集情報:大槌町地域支援員配置プロジェクト

※大船渡市のモデルを踏襲しながら、大槌町に合う仕組みを再構築しています。

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