私にとっての右腕体験
気仙沼大島で3ヶ月活動して、見えてきたもの
避難所での課題や困りごとを発見して専門性を持つNPOなどへつなげることをミッションとする合同プロジェクト・つなプロ。短期でつなプロボランティアに参加したあとに、長期で関わることを決め、気仙沼大島で3ヶ月間の活動を行った梶原大試さんに、現地での活動や学びなどについて伺いました。【つなプロ気仙沼大島・梶原大試】
―震災復興に取り組むことになった最初のきっかけは何ですか。
4月にインターンシップセミナーで、NPO法人ETIC.の山内さんにつなプロの存在を教えてもらいました。一回被災地に行ってみたかったので興味を持って、参加を決めて。実際に気仙沼に入ってみて、1週間のつなプロではできることが限られていると感じました。もっと実質的な活動がしたいと思い、長期間入ることを決めたんです。
―他にもたくさんプロジェクトがあるなかで、なぜこのプロジェクトを選ぼうと。
一度入ったことのある地域で、一度会ったことのある人と長期的に活動していきたいと思ったからです。また、「ケアが及ばないマイノリティの方々を支える」というつなプロのミッションに強く共感し、参加を決めました。
―つなプロには3カ月いらっしゃったんですよね。どんなことをやっていましたか。
そうですね。6月から8月のあいだ、活動していました。入った当初、大島にはボランティアセンターがなくて。ボランティア団体がいくつか入っていた一方で、連携がなく非効率に活動をしていたんですよ。そこで、現地の災害対策本部、地元の方々、つなプロメンバーが一緒になって活動し、ボランティアコーディネートをする事務局を立ち上げる仕事をしていました。
―事務局を立ち上げたあとは?
3か月目は、大島の全島アセスメントのオペレーションリーダーとして活動しました。具体的には、家庭を1軒1軒訪問していくアセスメントの統括として、どの地域に誰が行くかを振り分けたり、リアルな情報を吸い上げて整理して。で、吸い上げた情報を、看護師や介護士のボランティアメンバーに連絡して、訪問するようにしていました。訪問してニーズが見つかったら、大島内の施設、気仙沼の病院につないで。また、大島から気仙沼本土まで、フェリーで移動される方を対象に自分の車で病院への移送サービスをしている方がいて、ケアが必要な方を対象に展開したりもしましたね。
―活動の中で、印象に残っている事は。
一度現地を離れてお休みをもらったことがあるんです。そのあと大島に帰ったときに、現地でOBAKA隊というがれき撤去の仕事をしている方々に「梶くんがいるとほっとする」と言っていただけて。印象的ですね。現地の方々と信頼関係を築くことができただけでなく、自分がやってきたことが認められた感覚を得ました。つなプロでは、ボランティア同士や島の人同士でいざこざがあったときに、できるだけ筋が通った、正しいことを意識して活動してきたので、そういう姿勢が認められたのかなと嬉しかった。
―それは嬉しいですね。逆に、なにかギャップや苦労もありましたか。
ボランティアに入ることは、基本的にいいことだと思うんですね。一方で、被災地ではボランティア疲れがあり、非常にもったいないと感じました。多くのボランティアは短期で入ってくるため、しばしばボランティアの都合に合わせて地元の人が動くという状況が起こるんです。ボランティア自体は有難いことなのに、受入をしていくことはとても難しいと思った。そこで長期で入ったボランティアが、ボランティアの受入を引き受けることで、現地の負担を緩和する役割ができると思って活動を続けていましたね。
―なるほど。3カ月間の中でも、感じたことが多くあった。
そうですね。全体を通して学んだことは、支援する側の立場ではなくて、地元の人たちが立ち上がることを一緒に支えていくことが大事だということ。自分たちがやりたいことをやるわけではない。現地の人たちには現地の人たちのペースがあるんです。外から入った人がやりたいことばかりやると、ストレスが生まれたり、いざこざが起きることが多い。そこはぐっと我慢して、相手がどういう状況かを考え、トラブルが起きないように相手の気持ちを配慮していかないと。そう思いましたね。
―東京に戻られて、これから復興だったり社会だったりに、どういうふうに関わっていきたいですか。
今までずっと東京育ちで、地方にどっぷり入ったことはなかったんですが、いまの日本の問題は地方にあると実感しました。例えば少子高齢化が進行することで、経済や教育そのものも大きく影響してくる。大島は半数以上が50歳以上という地域でした。子供があまりおらず、活気がなかった。活気がないために、未来に希望が持てないように感じました。だからこそ、この問題に取り組まないといけないなと。
―地方に入ってみて、いろいろ問題が見えてきたんですね。
新しい日本の未来をつくるのは地方にあるのではないかと思うし、将来的には地域経営をしていきたい。単に仕事や社会保障があれば人は幸せになるのではなくて、よいコミュニティがなければいけないし、その両輪が必要だと思っています。地域がどこに向かっていくのかを考えながら、行政、住民、民間といろんな人たちでコミュニティを創り、自分の関わるコミュニティをいいものにしていきたいです。
―お話しありがとうございました。今回感じたことをどう活かしていくか、これからの梶原さんの活動も楽しみにしています。