リーダーがビジョンを語る
未来に繋げていく福島の宝
ワインバーとワインショップを営む宇津木政人さん。福島で生きていくために必要なものに対して声を上げていこう、という「福島ライフエイド」の理事長も務めています。そんな宇津木さんにワインバーに留まらない、福島の未来への想いを語っていただきました。【ジャパニーズワインショップfeniecオーナー・宇津木政人(2)】
―色々と考えられていたんですね。しかし、地震が起きてしまった。
その時は途方にくれてしまいましたね。店に来たら貯水槽が壊れていて、営業再開するには随分かかりました。でも、被害総額はあまり多くなかったです。
―水道の復旧がなかなか進まなかった。
はい。水道だけでなく、冷蔵庫も効かなくて食べ物も悪くなってしまうから、飲食店のオーナーさんに声をかけてもらって炊き出しをしましたね。震災当日は、町内の飲食店のオーナーさんが何人かで炊き出しをしたらしいんです。それがすごい好評だった。そこで、明日もやろうという話になった時に声がかかったんです。
―記録を読ませていただきましたが、炊き出しのメニューも色々ありました。
そうなんですよ。やっぱり飲食店ですし、明日は何を食べたいか聞いたりしました。なるべく希望に添えるようにということで、物のない時期に頑張りましたね。
―ただ炊き出しをするだけではなく、工夫をされていたんですね。お店の営業はいつごろ再開されたのですか。
次第に炊き出しが落ち着いてきたときに、そろそろ自分達の足元も固めようということでお店を始めました。ところが、そこで放射能問題が起きまして。福島のぶどうを使ってワイン作ろうと思っていたのですが、どうしようかなと思ったんですよね。僕の名刺をひっくり返してもらうとわかるのですが、震災前から名刺には福島でワイナリーをやりますって書いてあるんですよ。だから震災が起きたからって、これはやめられない。その時、本気で悩みましたね。どうすれば福島でワイン作れるだろう、今さら考え方変えられないしなあと思っていたら、一つの光が降りてきたんですよ。
―それは、なんでしょう。
福島産ではなく、福島県民産のワインです。北海道のワイナリーでぶどうを作ってもらって、福島の子供達が林間学校でぶどうを世話して、ぶどうが実ったら送ってもらう。福島県では作ってないけれど、福島の子供達、福島県民が手入れした福島ワインを作ろうと思ったんです。それなら嘘はついてないし、許してもらえるだろうと。そう思って色々進めているうちに、福島の農家が抱えている大きな問題が見えてきたんですね。
―どんな問題があったのですか。
僕の知り合いの、農家を継いだ女の子に先程のような提案をしたんですけれども、できないと。古き良き農家の体制と現状の間で板挟みになっているんですね。変えたいけども変えられない。それと、福島を捨てて行けない。「いや、捨てるんじゃなくて自分を守るんだよ。もっと福島を良くするために避難したら?」と勧めたんですけれど、できないですね。捨てるという言葉を口にしてしまうんですよ。避難ができない。
―それが古き良き農家の体制なんですね。
そうなんですよ。国に保護されてきたので。JAの方針に逆らうと、今まで仲良くやってきた地元の仲間達との関係も崩れてしまう。だから僕が損害賠償の請求とか色々な情報を集めて持って行っても、もう来ないでと言われてしまって。そこでまた本気で考えたんです。そこで思いついたのが、福島のぶどうでワインを作ること。ワイン用のぶどうではなくて、食用のぶどうを使って作ろうと。そこで、食用のぶどうでこのワインを作ったんです。
―これは何でしょう。
R40。40歳以上しか飲めないワインです。せっかく美味しいワインができるのだから、40歳を過ぎていれば多少放射性物質が入っていても大丈夫だろうということで作ったんです。
―なるほど。R40、面白いですね。
もともとは、畑だったら子供とおじいちゃん達が農作業をしながら 一緒に居られるなと思ったんですよ。幼稚園生を呼んで、犬とか猫とか連れてきたり障碍者の子にも手伝ってもらって、畑を福島の人達が集まる場所にできるなと。福島の宝って何だろうと思った時に果物以外にもあったんですよ、すごいのが。
―すごいの、ですか。
おじいちゃん、おばあちゃんの知恵。あと、若い子供達の可能性です。これを一緒にできたら、すごいものが生まれるなと思ったんですよ。戦後、福島をこれだけ復興させた人達の知恵、経験を今の若い人達に落とし込まないともったいない。あれが僕達の宝だし、未来に繋げていくための財産なんですね。なんとしても、僕達の世代ではなくて、僕達の下の世代に伝えていかないと福島の将来はないと思います。
―たしかに、知識や経験は大きな財産ですよね。
僕が感じるのは、おじいちゃんおばあちゃんは交通ルールを守らない方が多くて、礼儀を知らない子供が多いということ。だから畑で触れ合って農作業をしながら、おじいちゃんから礼儀作法、おばあちゃんから昔の遊び方を子供が教われたらいいなあと思って。逆に、子供からおじいちゃんおばあちゃんに、信号守るんだよとか、交通ルール守ってね、僕達ひかれちゃうよと伝える。そうすればお互いに伝え合ったり教えあったりできると思うんです。ぶどう寺子屋とか名付けたりして。そこを、障碍者も元気に働ける場所にしたいですね。
―どんどん思いが広がりますね。
そうなんですよ。だから僕の最終的な着地点は、福島総合観光ワイナリー株式会社なんです。それが完成したら、福島市民の運営する一大アミューズメント観光型ワイナリーにして、僕の手から離したい。
―そこに向かうまでの課題は何かありますか。
課題ですか。人ですね。
―人。
僕一人でやっているので、夢を共感できる部下とか従業員ではなくて仲間がもっと必要ですね。じゃあ俺畑やるからとか、じゃあ俺牧場やるからという人がいてくれたら早いと思います。
―なるほど。みちのく仕事を見てくれている方に、これだけは伝えたいということはありますか。
こんばんワイン、ですかね。そういった 、ワインを使ってのコミュニケーション。僕がやりたいのは、刷り込みなんですよ。気が付かないうちに広がっているっていうのがいいですね。
―そういう風にワインも広がりたいということですね。ワイナリーを通じた福島への想いがすごく伝わってきました。どうもありがとうございました。
聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/ 文:寺本涼馬(ボランティアライター)
■インタビュー前編:お世話になった福島に、ワイナリーで恩返しを