リーダーがビジョンを語る
廃材で建てたカフェから広がる可能性
吉里吉里でカフェアンドバー・アペを営んでいるノリシゲさんは、落ちている木材や瓦礫を拾い、それを建材にして自分でカフェを建ててしまいました。もともと面識があったわけではないのですが、カフェでお話をしていたら、インタビューを快く引き受けていただきました。他にも、吉里吉里元気プロジェクトを立ち上げるなど自由な活動を行うノリシゲさんに、カフェのカウンターでコーヒーを飲みながらお話を伺いました。【Cafe & Bar Ape・ノリシゲ】
―もともと、お住まいはこちらだったんですか。
住まいは東京でした。
―東京だったんですね。どんなお仕事をされていたんですか。
音楽の仕事です。
―音楽ですか。具体的にどんな仕事なんでしょう。
制作会社に所属していて、そこでコーラスをやったりしていました。
―それはご自分で。
うん。そこの小さな会社にアーティストとして入って。
―吉里吉里に戻られたきっかけを教えていただいていいですか。
なんだろうなあ。この状況はひどすぎるなと。
―戻られたのは地震の後なんですね。
そう。地震の後。たまたまここに実家があったというのも何かの縁じゃないかということで戻ってきたんです。
―なるほど。
何かできることがあるだろうと。色々な片付けとかで、こっちに二週間毎に通っていたんです。でも、もう面倒くさいからこっちに来ちゃおうかという話になって。じゃあ、来るならば仕事をしなければいけない。そこでどんな仕事がいいかなということで、自分の家だったら誰も文句は言えないから、ここで何かをしようということを考えたんです。人が集まれる場所が一番必要に思えて。
―人が集まれる場所。バラバラになってしまいましたからね。
本当にバラバラ。だから、酒も普通に飲めるし話もできる、そういう場所があればいいよねと思った。それでやったことのないカフェを始めることにしました。
―経験があったわけではないんですね。瓦礫などの落ちている物を組み合わせてつくるというのは最初から考えていらっしゃったんですか。
いや、色々な物が色々なところに落っこちていたからそれでつくってみようと。あっちのほうに瓦礫の集積場があって、そこの木材とかを管理している人に聞いたら「持ってけ持ってけ。どうせゴミになるしかないんだから」と言ってくれて。未だにそこから、薪とかもらってきているんですよ。
―いいですね。お金がかからない。
そうそう。誰かの家だったものを再利用して誰かを暖めていると思うと、いいじゃないかと。
―いいですね。これはいつから作り始めたんですか。
八月くらいかな。二ヶ月くらいかかったから。
―二ヶ月で建ったんですか。(許可証を見ながら)営業許可も取ったんですね。
うん。衛生管理者の資格を取りに行ったり。あと、解体する家に行ってドアをもらってきたり。そうすると、その解体した家の人が飲みに来たりするんです。「あ、あれウチのトイレのドアだ」って。
―たしかに色々な形のドアがある。それで十月にお店ができたんですね。
そう。それで、これが売り上げ第一号の千円。ここから始まったんです。
―最初の売り上げですね。
この千円から物語が始まった。
―すごいなあ。
そしたらそこにいた外国人が、「じゃあ俺も」って書いてくれたのが上に貼ってあるお札。
―この二枚から始まった。お店は夜もやっていらっしゃるんですか。
うん。そうです。夜もやっています。
―不定期というのは、どういうときに開けようと思われるんですか。
こっちに来ても歌の仕事が色々あって、そういうときに泊まりのときとかは閉めちゃうんですよ。
―そうですよね。歌の仕事もこちらでやっているんですね。
そうなんですよ。だから、別に東京にいなくてもよかったな、みたいな。
―なるほど、東京にいなくてもよかった。その仕事は東京から来るんですか。
いや、だいたいこの辺りの地元から来ます。例えば、ちょっとしたお祭りがあるから歌いに来てくれないかとか呼んでもらっています。その時に販売もしたり。
―その販売というのはCDとかですか。
ミサンガです。CDもチャリティで、全部手売りで売っているんですけど。売り上げは、自分達で吉里吉里元気プロジェクトというものをつくって、地元でお祭りやったりとかそういうことに使わせてもらっています。
―営業してみて大変なことは何でしょうか。
うーん、まだ一年もやってないしね。でもまあ、生きているなあ、みたいな。
―生きている。
生きられたぞ、みたいな。冬を越えて半年は生きられた。冬って寒いし、なかなかイベントとかできないじゃないですか。それを乗り越えられたのは大きい。これから暖かくなると店も開けられて、バーベキューとかのイベントも毎週末できるかなとか考えています。
―いいですね。今後こうなって欲しいとか希望はありますか。
そうだなあ、移住してくる人がいたらいいなあなんて思っています。農業もやりたいなと思っていて。羊も飼いたい。毛皮をとって、カウチンセーターとか作ったり。それをおばちゃん達に任せてみたり。それを着て漁師が漁に行くみたいな。
―かっこいいですね、吉里吉里。
吉里吉里は結構、漁師気質というか「海が全てだ」みたいなところがあるからね。何もなくなってしまったから、この機会に、色々な分野で生かされていて、色々なことが繋がっているんだよ、ということをここでできたら面白いなと思って。
―面白がって人も来そうですね。
観光のためにそういうことをするんじゃなくて、それが観光になればいいじゃん、みたいな。
―結果的にそうなるということですね。
うん。
―本当にそう思います。
でも、一年経ってもまだこの状況です。まだ景色が全然変わっていない。まだまだこれからです。
―確かに、このブルーシートの向こうに広がる風景。でも、ここにテントで泊まったりするのも楽しそうですね。
うん。いいと思います。
―夏はテント持ち込みで。駐車場もいっぱいありますし、ちょっとしたフェスのような状況になっても対応できるかもしれない。
凧揚げとかをやってもいいかもしれない。
―凧揚げ、面白そうですね。あらためて。今、お店を半年やって、伝えたいことや共有したいことはありますか。
共有したいこと。うーん、なんだろうな。とりあえず、「色々な人がいる」ということをもう一回勉強しようよってことかな。色々な考え方で生きている人達がいるんだよと。復興計画にしたって、エネルギーにしたって。
―そうですよね。本当に色々な人がいる。
うん。今までなんとなく過ごしてきて、これからもなんとなくでいいのかと。せっかく、今は色々な人が来ているし、ここでも色々な人が呼べるから、そういうところを考えながら想像力をもうちょっと持っていきたい。
―想像力。
想像力を持って生きられるといいなと思いますね。
―そうですよね。やろうと思えば色々な可能性がありますよね。
もっともっとうまいこといくかもしれないし。俺達がここを建てている最中に、小学校三校くらいがまとまってここにバスで来ていたんですよ。それを小学生達が見ていって「ああ、こんな風にして生きている大人もいるんだな」と感じてくれていたらいいな。
―それは大切ですよね。子供のうちに色々な人の背中を感じると、幅も広がるような気もします。「こんなこともやっていいんだ」というのがありますよね。
そうです。まさにそういうのがありますよね。そういう子供達の発想力とか、なんとなく芽を摘んできたこととかに目を向けたい。
―ここには気軽に色々な人に来て欲しいですか。
うん。そうだね。
―どれくらいの頻度でお店を開けているのですか。
基本的には何もなければ火曜日だけ休み、と思っているんだけれども、歌の仕事とかで一週間いなくなったりする。そうなると、「こっちずっと休んじゃってるからなあ。火曜日も返上して開けなきゃなあ」みたいなこともあります。でも、お酒を出せるのは俺しかいないので、俺がいないときはお店閉めています。兄はキッチンカーで働いているんですよ。キッチンカーでラーメンを作って仮設住宅回りとかしています。
―キッチンカーが戻ってきたときにはここでラーメンも食べられるんですね。
ウチのお袋の実家がラーメン屋だったんです。だからこの辺のみんなが、その味が懐かしいと言ってくれて。それで実家にも「ラーメン屋さんやれよ」って言ってたんだけれども、無理だと言われて。それなら自分でやっちゃえと。
―なんとか半年やってこられていますし、すごいですよね。音楽の仕事もないと厳しいですか。新しいことを他の地域ではじめられる人の参考に。
どうなんだろうね。家賃はかかってないですからね。今はわからない。
―建材にお金もかかっていない。あとは原価や人件費なのかな。
人件費だね。でも友達だったら、0円とかでいいよってなる。だから、他の仕事がなくてもやっていけるんじゃないのかなあ。何をするかだと思う。その場所でただ飲ませるだけではなくて、イベントをしたりもできるから、そこで何をするのかというのを毎日一生懸命考えて何かしらやること。
―何をするか。
たまに何もやらないで、ただボーっとしたりとかね。
―焚き火とかしながら。
そうそう。
―こういうやり方もあるんですね。また来ますね。どうもありがとうございました。
聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/ 文:寺本涼馬(ボランティアライター)