リーダーがビジョンを語る
よそものが「プレーパーク」を実現する条件
お母さんたちのNPOと、ボランティアで来た外部の人が一緒に作った、石巻復興支援ネットワーク(通称:やっぺす石巻)。ボランティア出身で事務局長を務める渡部慶太さんに、前回に引き続いて団体の活動と復興支援のあり方についてお話しいただきました。【石巻復興支援ネットワーク(やっぺす石巻)・渡部慶太(2)】
―前回、引継ぎを意識して支援されているというお話が出ましたが。
とても忍耐のいる地道な業務ですね。 自分でやってしまえば簡単ですが、それでは意味がないですから。地元に引き継ぐためには、引き継いでもらう方々をよく知らないといけない。やっぺすの運営を、お母さん方へ引継いでいますが、簡単ではないです。問題意識やアプローチの考え方、組織運営のためにどう情報の共有を図るのか、資金調達等マネジメントを含めて伝えていかないといけません。
―どうしたらうまくいくでしょう。何か経験を通して得たものがあれば教えて頂きたいです。
団体運営の引継の点では、MTGを繰り返し、時に合宿を行い、皆で一緒に考えるというのが必要です。また、スタッフ研修を頻繁に行うようにしています。
また仮設住宅のサロン活動を住民主体にするために、スタッフの仕事を、回を重ねるごとに減らし、引継をしています。例えば、絵手紙教室やフラワーアレンジメント教室では、はじめのころは準備から受付まで全部やっていました。しかし、今は参加者にも準備などを行っていただいています。住民の方が主体的になり、サロン活動を企画・運営できるようになっていただきたいと思います。この活動を通じ、危惧されている孤独死や家庭内暴力等を防止していきたいと考えています。周囲に弱っている方・困っている方がいたら、気づき、横に寄り添えるよう自然に配慮できる方々を育んでいきたいです。
―やっぺすが仮設の支援で、目指すものは何ですか?
やっぺすでは、昨年の8月より、被災地で最大級の仮設住宅がある地域の支援を行っています。仮設住宅に入居し、地域に5000人近く居住者が増えた地域です。
1つ目は、コミュニティ形成の活動を引継し、主体的にサロン活動を企画・運営できる方を育みます。そして、仮設住宅から復興住宅に移った時に、彼らでお茶っこ等をし、コミュニティを育めるようになっていただいたいと思っています。
2つ目は、仮設住宅の周辺を巻き込んだコミュニティを形成することで、見守り体制を構築したいです。内部のコミュニティ形成も必要ですが、団地の外の方、つまりその地域に元から住んでいる方々と仮設住宅の方々との交流がないという問題があります。交流がないので、仮設住宅の方々は、地元の暗黙のルールを知りません。近くの山は私有地なので山菜を勝手に採ってはいけないのですが、それを知らずに採ってしまいます。そうすると仮設住宅全体に対するイメージが悪くなり軋轢が生じてきます。また、仮設住宅は抜けていくコミュニティなので、なかなか次のステップが用意できない弱い方々を地元の周囲の方々にサポートしていただく狙いもあります。
3つ目は、近隣の大学・自治会と連携し、プレーパークを行うことを通じ、子どもたちの育成、地域全体のコミュニティを作っていきたいです。
―プレーパークですか。
プレーパークとは、子どもたちの自己責任で遊んでもらうものです。たとえば林であればターザンロープで遊んだり、焚き火でパンをつくったり、ボール遊びをやったり。とにかく好きなことをやってもらう。でも、危なくないようにプレーリーダーが見守るのです。子どもは自由に遊び、創造性や主体性を育み、地域の大学生がプレーリーダーとして子どもと遊ぶことで、彼ら自身の成長にもつながります。
—いつからはじまるのですか?
4月から毎月1回南境の広場で行っています。石巻専修大学の敷地内でも7月から月1回実施する予定です。
―誰がプレーリーダーをやるのですか?
今はプレーパークを長年世田谷や仙台でやってきた方々に来ていただいていますが、子供の遊び場をやっている他の支援団体さんや学生さんたちにも手伝っていただいています。同時に、石巻専修大学とのプロジェクトで学生向けにプレーリーダー養成講座を開催できるよう調整しています。敷地内のプレーパークも、学生が主体的に企画・運営しプレーパークができるように進めています。最終的には地元でプレーリーダーが育成されて、地元の力だけでプレーパークが回っていくことを目指しています。
―おもしろいですね。
でも、こういう仕掛けを実現させるのは本当に大変で、様々な方々と話合いをし、活動の意味を理解していただく必要があります。地域の自治会長や育成会などのキーパーソンはもちろん、子供の支援をする団体や、地元の方々と話しながら一緒に進めていっています。そういうのが好きな方に加わってほしいです。
―短期間だけ手伝う形では難しそうですね。
そうですね。ある程度長いほうがよいですね。せっかく慣れたところで帰ってしまって、また別の人がイチから関係性を構築するのは大変です。ただ、石巻には様々な団体があり、様々な関わり方があるので、たくさんの方々に来ていただきたいですね。
―いろんな人が行き来して、風通しの良い場をつくりたいということでしょうか?
それはやってきたいですね。石巻からの若者流出を防ぐためには雇用をつくることが一番ですが、面白い大人がそこにいることもとても大事だと思います。様々な方々がいて、こんな人になりたいと子どもたちに思ってもらえれば、子どもたちの成長に繋がりますし、石巻に残る子どもたちも増えてくると思います。
―まさにきっかけ作りなのですね。
コミュニティというわかりにくいものに外部から来たたくさんの方々が取り組むべきなのか正直わからなくなるときがあります。その地域の方々が自分たちの手でやるべきだと思うこともあります。ただ実際、そういった方々がいるかというと、あまり多くありません。震災の影響が大いに関係あるでしょうし、震災前からの地域性も関係あるかもしれません。そういった意味で、今の石巻を変えられるのは「わかもの・よそもの・ばかもの」という言葉があるように、私たち外部の人間がお手伝いできることはあると思います。
―そうですね。これからも、頑張ってください。ありがとうございました。
前回のインタビュー:引き継ぐことを見据えた支援と「ひとづくり」
やっぺす石巻:http://yappesu.jimdo.com/
聞き手:笠原名々子・加納実久・藤田展彰(ボランティアライター)/文:藤田展彰(ボランティアライター)