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特集記事 ただの故郷ではなく、帰れる故郷にしたい。

私にとっての右腕体験4978viewsshares2013.02.09

ただの故郷ではなく、帰れる故郷にしたい。

岩手県の沿岸部に位置する大槌町、大船渡市。それぞれ、48団地、37団地の仮設住宅団地が造られ、あわせて1万人近い人たちが仮設住宅での生活を続けています。そんな中、団地内の集会所と言われる公共スペースの管理、行政との橋渡し役をはじめ、様々な支援活動を行っているのが仮設住宅支援事業です。大槌町の仮設住宅で地域支援員として働く西舘泰雄さん、佐々木照暁さん、支援員をサポートする立場で活動する黒沢惟人さんにお話を伺いました。【仮設住宅支援事業(大船渡市・大槌町)プロジェクト・右腕・黒沢惟人(1)】

 

 

―皆さんは今こうして仮設住宅支援のお仕事に携わっていらっしゃいますが、この仕事をされるようになったきっかけについて教えていただけますか。

 

西舘: 私は元々、釜石市の食品問屋に勤めていて、会社が被災したため解雇となりました。それで、昨年の5月に役場の生涯学習課の求人で、避難所の運営補助の仕事を見つけまして、大槌町の安渡小学校にある避難所のお手伝いを5月から8月までやりました。その後、この事業が立ち上がるのを知り、大槌町のために何かやりたいと思い、参加しました。

 

―もう一度、その食品問屋さんにという選択肢はなかったのでしょうか。

 

西舘: ないんですね。その会社がありませんので。自分としては同じ職種につきたいと思っても、まったく同じ職種というのがありませんので、結局、自分が変わらないと。同じ仕事をずっと追い求めて待っていても仕方がない、自分が今できることをまずやろうと考えました。

 

―なるほど。ほかの方はいかがでしょうか。

 

佐々木: 私は大槌町で生まれて、それ以来ずっと地元です。震災前まで仕事を転々としていまして、震災の際はちょうど職業訓練を受けていて、訓練の途中に被災しました。その後は、避難所で暮らしたり、親戚のところにお世話になったりしていたんですけれども、仕事もなく、ぼんやりしているのも嫌だなと思って、ちょうど県で避難所の運営を募集していましたので、応募しました。それで採用されて、避難所で暮らす方たちの支援を昨年の8月のお盆の頃までしていました。それから大槌町には移動図書というのがありまして、それを11月頃まで手伝いました。その後12月に今回の仮設住宅の支援事業があると聞き、避難所を手伝ったノウハウなどが活かせるのではないかと考えて応募しました。

 

―ありがとうございます。黒沢さんはいかがでしょうか。

 

黒沢: 僕はもともと岩手県の内陸の奥州市出身で、大学卒業と同時に東京へ出ました。それまではずっと岩手です。大学では情報系を専攻していたので、システムエンジニアの仕事に就きました。僕の場合、東京で色々なスキルを身につけたら、後々は岩手に戻って仕事や生活がしたいと思っていて、就職してからも常に岩手に戻りたいという気持ちはありつつ、でもまだまだ帰れないぞと思っていました。それが3月11日の地震でトリガーを引かれたというか。

まずはボランティアをしに月1~2回のペースで岩手に通いました。ほかにも東京で自分ができる活動をしようと思い、岩手県出身者が立ち上げた任意団体がそれぞれ個別に活動をしていたので、そのつなぎ役のようなこともしていました。そうするうちに、岩手に帰って活動したいという思いが強くなって、「復興」「求人」でネット検索をしたら、「みちのく仕事」がばっちりヒットしたと。

 

 

―そうなんですね。

 

黒沢: ETIC.の存在もそのとき初めて知りました。右腕の説明会でいわてNPO-NETサポートの菊池さんと出会い、この仮設住宅支援員プロジェクトが震災直後の復興支援だけでなく、その後のまちづくりを見越していることや、彼自身がもともと北上市でまちづくりをやってきたという話を聞いて、すごく共感したんですね。支援に関わることだけでなく、将来的なまちづくりも見据えて活動できるなら、それはすごくやりがいがあることだなと思いました。それから、今回の僕のように岩手県出身者が復興事業を仕事にしてUターンで戻ってくるという形を、同じように岩手を離れた人たちに一つのモデルとして見せられたらいいなという思いもありました。

 

―菊池さんの思いに共感されたということですが、具体的にどのような未来を見据えていらっしゃるのか、もう少し詳しく教えていただけますか。

 

黒沢: 菊池さんが言っているのは、単なる復興ではなく、新しいまちを作りたいんだということです。今だけでなく、これからの視点で岩手を考えていくんだぞと。それから、「どうやったら住みたいまちにできるのか、住んでいる人たちが楽しそうじゃなかったら、誰もそこに帰ってこないよね」という彼の言葉がすごい印象に残りました。ああ、確かにそうだよねって共感したというか。

復興という、ゼロ、いやマイナスになった世界で、中にはすごく前向きに活動されていらっしゃる方もいますし、そういう人たちの力になりながら、まちを新しく作っていく中で、自分が何かお手伝いできることがあれば、すごくありがたいことです。さらにそこから広がっていけば、やがて岩手全体につながっていくのではないかと思っています。

 

―せっかくなら元に戻すのではなくて、むしろ新しいものにする、元々あった問題も一緒に解決してしまえばいいのではないか、という話はありますよね。たとえば、こういうふうなまちにしていったらいいのではないか、あるいは、自分ならこうしたいと具体的に描いていることって何かありますか。皆さんが個人的に思っていらっしゃることでもかまいません。

 

西舘: 私は個人的には、まちをすべて高台に移転したほうがいいのではないかと思っています。もちろん、10代20代前から住み慣れた土地を離れるなんて、勇気のいる決断です。でも、子孫を守ることを考えれば、どこかで決断をくださないといけないですよね。これは皆さん、意見が分かれますけれども。

ただ、県が言っているような堤防を作る必要はないと私は思います。何十億、何百億円ものお金をかけて海沿いに2メートルの盛り土をするって言ってますが、それはものすごく大変なことですよ。そんなお金があるなら、山を削って、皆が枕を高くして安心して寝られるような環境を作ったほうがいいんじゃないでしょうか。国や町で山や民有地をきちんと整備して、100年後200年後を見据えた取り組みをしてほしいなと個人的には思います。

 

 

佐々木: 正直な話、大槌町はこれといった産業もなくて、仕事もなくて、人口の流出が止まらなかった地域なんですね。仕事がないから、若い人たちが仕事をしに東京に出て行って、帰ってこれない、という現状だったんですよ。もう震災前から。なので、雇用が改善されていくといいなと自分は思っています。

住む場所を再建していくのにもお金が必要ですし、それには安定した雇用があってほしいなと。安定した雇用、安全に住める場所、そういうものが揃っていってほしいなあと思います。そのために何かアイデアを出せと言われたら特に出せないんですけれども。

 

 

黒沢: 僕は内陸の出身なので、大槌や大船渡にほとんどゆかりがないんですね。なので、大きな話になっちゃいますが、僕のなかで思っているのは、岩手をただの故郷ではなく、帰れる故郷にしたい、というのがキーワードとしてあって。外に出て行った出身者が故郷で生活できるための選択肢を広げてあげたいなと。

 

―人が暮らしていくには「安心できる住まい」や「仕事」が大切であり、それがあれば帰れる故郷になるんですね。

 

黒沢: 東京で5年10年働いて、いざこちらに戻ってきたとして、まず仕事がないですし、給料も安いのが現状です。僕も実際に戻ってきてみて、なんでなのかなと思ったのですが、スキルもそうですが、そもそも問題をキャッチして解決するプロセスを踏むという経験する場が少ないからかなと。僕はたまたま、東京で仕事をしたからそう思うのかもしれませんが、そういう経験が少ないと、ルーチン的な仕事にならざるを得ないのかなと思っています。それに気づいたときに、岩手を出て働いていた人間が帰ってきたいと思っても、仮に仕事が見つかり帰ってきたとしても、たぶん、浮くんだろうなと。

 

―浮く?

 

黒沢: 浮く、というのは、考え方の違いであったり、外で経験したことが逆にアンマッチになるというか、ずっといる現地の人たちになじめないのではないかなと。当然、生活環境が違うということもありますけれども、考え方であったり、思いの部分がきっと違ってくるのかなと。そうすると、帰ってきたとしても、もったいないかなと。そういう懸念が自分の中にあります。

 

―力が発揮できないというような。

 

黒沢: そうですね。何かしたくても、ついてきてくれる人が探せるかどうかも分からないですし。この中で一番年下の僕が言うのもあれなんですけど、まちづくりというか人育てなのかもしれない。僕の持つスキルや経験を伝えることで、皆さんの選択肢が広がるのではないか、広がるといいなと思っています。そのなかで自分も成長させてもらいながら。僕は今パソコンの研修もやらせてもらっているのですが、皆さん、すごくいい顔されるんですよ。

 

―いい顔をされるんですね。

 

黒沢: はい。今までやったことのないことをできるようになると、自分たちで問題点を見つける、たぶん、皆さん、「これってちょっとマズいよね」っていうくらいの認識は持たれていると思うんですけれども、それが問題だとはっきり言葉で伝えられて、解決しなければいけないよね、こういうふうにしないといけないよね、っていうところまでの経験が少ない気がしています。そういう問題解決能力であったり、ファシリテーションであったりを教えていく。そうして様々なスキルを高めてもらうことで、皆さん自身の選択肢が広がれば、外の人間が与えるんじゃなくて、中の人から何かが出てくるんじゃないかなって思います。それがたぶん、自分たちのまちづくりにもなるだろうし、新しい生活にもなっていくんだろうなと。

 

 

―僕もまちづくりのような仕事をしているのですが、うまくいっている地域って「とりあえずやっちゃおうぜ!」みたいな空気があるんですよね。こちらでも、パソコンの技術をきっかけにして、「これができるんじゃないか?」というように、いい予感が生まれたり、前向きに進んでいけるといいですね。

 

黒沢: 大槌で約100名、大船渡で約100名ほどの支援員さんと関わらせていただいて、中には仮設住宅に住まれている方もいますけれども、非常に皆さん、前向きだなと思っています。逆に、たぶん、震災前だったら、僕みたいなのがやってきて、皆さんにパソコンを教えて、それが皆さんの仕事に役に立つというところまでいけたかというと、たぶんムリだったろうなと思います。もともと、岩手は人を受け入れるのに積極的な地域ではないですから。初対面は苦手だし、仲良くなるのにも時間がかかる。

 

西舘: 大槌町はそういうのはありますね。

 

黒沢: でも今は皆さんも、何かしないといけないという気持ちを持っていらっしゃるんだろうなと感じます。60代になってもパソコンを使いたいんだっていう方も何人もいらっしゃいますし、パソコンの研修をもっとやってほしいという話もいっぱいお聞きします。

 

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:鈴木賢彦(ボランティアライター)

 

関連インタビュー: 自分のスキルを伝えることで、地域の自立を促す力になる。

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