みちのく起業 二期生メンバー紹介
ワンデーシェフ&主婦
堂賀 光枝 /宮城県牡鹿郡女川町
事業概要
女川に帰ってきた若いシェフ(フレンチ・イタリアン・和食・スペイン)による本格料理とその母親(母親世代)が作る女川の郷土料理を日替わりで提供するレストランを経営。
それと併設し、料理教室やシフォンケーキのインターネット販売、宿泊施設の事業の食事の受託等も行って行く。将来的には観光資源で考えているフードコートの中核事業への成長させたい。
事業を始めたきっかけ
この度、私がこの事業に取り組む動機は得意な料理を使い、食の面から女川町の復興に携わりたいと考えたからです。
女川町人口1万人でしたが、震災により人口は町の発表によると現在約8200人(住民票ベース)。実際は町内に住んでいる方は6500〜7000人しかいないと言われております。町の8割を津波により失い、産業基盤も同様の規模を失い、被災地の中でも被害が大きい町です。
現在、町では仮設商店街がオープンし、一部の水産加工会社が復活しましたが、まだまだ完全復活には、ほど遠い状況です。震災の支援や世間の注目度も日に日に落ちており、このままにしていると復興したときには町に人がおらず、町に人が来ない状態になってしまいます。
私は、今の段階から復興以降の将来を見据えて、町の魅力づくりをどんどん初めて行かなければならないと思い、自分の得意分野を活かし、復興、そして未来の女川のために立ち上がることを決めました。
私が実現したい町の状態は女川の方々が町の残り、町外から人がどんどん観光等によりやってきて、町民と町外の方々が入り交じり、町に活気が生まれている状態です。
老人の方々から若い方々が集まり、年齢問わず、互いにコミュニケーションが生まれ、世代を超えたコミュニケーションを楽しんでいる町にしたいと考えております。
宮城県内の短大卒業後、28年間保育士として宮城県沿岸部(離島へも含む)で従事する。
この保育士の期間に料理教室にも通い、料理教室を開催できる「上級」という資格を取得。
6年前の2006年より、料理教室を町内で開始。多くの町民の方に参加していただき、盛況であった。
また、保育士時代に手作りショップの運営や町からの依頼でパッチワーク教室や手芸教室、また中学生の授業等も行ってきた(中学生への手芸教室は震災後の現在も行っている。)。
料理教室や手芸教室等を運営し、順調に町で暮らしていたが、昨年の東日本大震災にて教室はストップ。
震災当日から、電気が繋がる23日までの12日間、炊き出しの中心となり、1回500食もの料理を提供する。その後も物資の仕分け等、ボランティアも従事。
この震災を機に考えたことは、自分の持っているキャリアを活かし、町の復興に貢献したいということ。
今後の町のために役に立ちたいと心から思っている。
【ひとことコメント】
女川のまちは今、真っ白な画用紙のようになーんにも無く、これから本格的に復興が始まるぞとばかり真っ平らにリセットされています。
毎日、毎日田草の建設機械が稼働し、少しずつ街が明るさを取り戻している、そんな人々の力強ささえ感じられる。秋になって、初めてのお店づくりにいろいろと思いを馳せています。あんな料理や、こんな料理でたくさんのお客様を笑顔にしたい。湧き出るアイディアの交通整理に時間が足りません。