リーダーがビジョンを語る
自立と依存…葛藤と戦いながら未来をつくる
亘理町(わたりちょう)といういちごの産地として有名な町で、町のファンを一人でも多く増やし、ボランティア経験者が地域と関わり続けるための仕組みを構築しようとしている「ふらっとーほくプロジェクト」。前回のインタビューでは、今回の震災は地域ファンをつくるチャンスだと、リーダーの(株)巡の環の松島宏佑さんは話してくれた。今回は、活動していく上で感じる課題や、まだ震災に対して動いていない若手に向けてのメッセージを伺った。【ふらっとーほくプロジェクト・松島宏佑(2)】
―毎日の、実際の仕事はどういう感じなんですか。
日によってまったく違いますけど、ひとつのパターンは、「ふらっとーほくプロジェクト」の運営を自分がやる場合。僕も温泉宿に泊まって、朝7時位に宿を出て、1時間かけてボランティアセンターにボランティアの方たちをお連れする。日中はカフェで仕事をしたり、打ち合わせでいろんなところを回ったり。で、夕方にまたボランティアの方の送迎をして、夜は宿でスカイプで打ち合わせ。ノマド生活です。
―「ふらっとーほくプロジェクト」の運営以外にもなにか?
関係ないこともたくさんやってます。テレビ局の方をコーディネートしたり、現地レポーターとしてフジテレビのスーパーニュースで枠をもらって3回ほど町を紹介させていただいたり。この前は、海外の会社の社員40名を亘理で受け入れて、現地で交流するような企画もしました。あと、企業研修をひとつの事業モデルとして考えていて、今はモニターツアーという形でいろんな方をお呼びしたりしてます。現地コーディネーターとして、できることはなんでもやっている。
―ほんとうにいろいろと動いているんですね。いずれ、地元の人ができるように移譲していくつもりですか。
僕は、自分がいる期間は3年だと思ってるんです。それ以上は、地元の方にも約束できない。で、3年後の理想としては、現地にいる方で分担して継続していること。実際、地元の役場の方にコーディネートをお願いしたりもしているし、「ふらっとーほくプロジェクト」の運営も温泉街近くの出身のスタッフにまかせたりしています。
―現地の方が、自分達で亘理町のファンを増やしていけるといいですよね。
そのためのキーワードは、「共創・ともにつくる」「協働・ともにはたらく」だと思ってます。僕は、地域のファンは応援者・支援者・協働者の3段階があって、それぞれに施策をうつべきだと考えてます。応援者は地域の顧客で、宿に泊まってくれたり、飲食店で物を買ってくれたり、お金を落としてくれる人たち。「ふらっとーほくプロジェクト」はこの施策です。で、支援者に関しては、ずっと支援者でいるのはかなり不健全なんですね。地域の自立ってものを妨げるので。
―単に与えるだけでは、ダメということですね。
支援者を、いかに協働者にしていくかという部分が、僕のすごくやりたいことなんです。今あるいろんな企画は、ほとんどが都会のロジックで、都会の人のやりたいことを提案しているんですね。僕は、外の人と中の人がプロセスを共有しあいながら、新しいものをつくっていくことにトライしたい。海士町のような、中の方が主役でその周りに「よそもの・わかもの・ばかもの」が集い一緒にまちづくりを行う、そんな素地を3年間くらいでつくれたらいいなー、と思っています。
―活動している上で、課題とか悩みとかありますか。
いくらでもありますよ(笑)。葛藤の1つは、自立と依存。
―自立と依存。
重いテーマですよね。「自分がいることが負の影響を生み出しているかもしれない」と常に自問自答しています。以前こんなことがありました。アメリカの企業が研修として亘理町にいらしたときに、それを見た子どもたちが右手を出してこう言ったそうです。「何くれるんですかー?」って。
―……結構ショックが大きい言葉ですね。
僕はアメリカ企業の方たちに「いっさい支援物資は持ってこないでください、子どもたちがかわいそうだから接するんじゃなくて異文化交流でお願いします」ということを事前にお伝えしましたけど。残念ながら、もう現地は依存体質になりはじめているんですね。今回は、「本当にいい企画」と現地からの評価は高かったけど、企画をまた引き受けたら、さらに依存体質をつくってしまうんじゃないかとか、すごく悩む。テレビの取材を受けるときも、怖いなとすごく悩みました。
―怖い。
そう。現地にはまだそんなに前に進む気持ちになれない方がたくさんいらっしゃる中、外の期待値ばかりが「なにかしたい」「お金集めます」と高まっていますから。そのギャップが怖いなと思うことはあります。そこのバランスをどうつくっていくかが地域コーディネーターの価値だと思っているんですけど、常に悩ましい。たとえば、外から「絵本の読みきかせを仲間たちでぜひさせていただきたい」というお話があるとする。その方たちを受け入れたら「地域に今後もかかわりたい」という人が増えるでしょう。でも一方で、地元で同じことを考えている方がもしいたら、その機会を奪うかもしれない。だから、いろんな提案が来たときに、受けるか受けないかはすごく迷います。短期的にはいいことでも、長期的に見て本当に正しいこと、町にとって意義のあることやれているのか、と。
―難しい問題ですね。
その解決策が協働じゃないかと思っているんですよ。支援する側と支援される側にわかれて依存体質にならないよう、協働モデルをもっと取り入れていくことに挑戦していきたい。
―右腕となる方は、どんな方を募集されていますか。
コーディネーターとして、一緒に現地で調整などをしてもらう方と、情報発信部分をやってくださる方に来ていただけたらなと。自分だけでは、もう手が回らないので。
―どんな人材が向いているでしょうね。
謙虚な方がいいなと思います。地方で何かをやるには、エゴが強いとすごい苦労するんですよ。僕も海士町にいてそうだったんですけど、馴染むのに3ヶ月間くらい時間がかかった。でも一方で、すぐに中の人と関係性を作れる人もいて、そういう人は「業に入ったら業に従え」で、謙虚で相手を尊重できる人。そういう風に、地域での関係づくりの素地がある人だと嬉しい。あとは大変なことが多いので、自分で問題解決に向かってくれる人がいいですね。
―なるほど。右腕を考えている方に向けて、この町にしかない魅力など教えてもらえますか。
亘理町の魅力は、「震災復興のモデルになりうる」ことだと思います。この町は、復興のスピードが相対的に速いんですね。人口に対する被災率が沿岸部の中で相対的に低いことと、若者の率が高いことが理由です。また、ボランティアという形での地域の潜在的なお客さまが約10000人いる。たとえば、ボランティアセンターが閉まったあとに、ボランティアと地域がどう関わっていくのか。他の地域はまだそのフェーズに入ってないけど、亘理町は先にその問題にぶちあたる。ここでモデルをつくることができれば、他の地域の参考事例になるんじゃないかって思ってる。そういう意味ですごく面白いですよ。
―先行事例となりうる町なんですね。最後に、なにか伝えたいことはありますか。
暑苦しい話ですけど、同世代の20代や30代前半の方に「なぜ私が今東北に来て欲しいと思ってるか」をお伝えしたくて。まず、すごく優秀な人材や膨大なお金、様々な知が今東北に集まっています。そして、なにかを一番変えやすいタイミングかもしれないんですよね。今後、東北という地域でつくられていくモデルは、他地域の5年10年先をいくモデルになると思ってるんですね。そういう未来を創出することができる機会ってそんなにあるもんじゃないです。新しい未来をつくっていける人にぜひきてほしい。
―新しい未来。
今、東北で実際に現場にコミットして何かを変えていった人が、今後、国を担っていくと思ってます。東北で一緒に戦った人は、10年後20年後には世界にちらばって、そこで新しい未来をつくっていけると思う。そういう意味で、今一緒にやっている方々って、今も未来をつくっているんですけど、もっと先にも一緒に未来をつくる仲間を集めている感じでもあるんですよ。本当に未来をつくりたいと思っている方には、こんなエキサイティングでクリエィティブなタイミングってないので、ぜひ来てほしいです。それだけ、お伝えしたいです。
―ほんとうにそうですね。阪神大震災の時にボランティア活動していた人たちが、いまNPOのトップであったり企業の社長になって、日本を支えているし、つながりを持っている。
そうです。亘理町にこなくてもいいけれど、東北全体にコミットする方がぜひ増えて欲しい。正直、こんなにチャンスが転がっているのになんで来ないのかな、って思います。今は若者でもなにかできるタイミングなんですよ。100年に1回とか1000年に1回とかの震災ということは、100歳1000歳の方がいない限りは、同じ状況に出会った人はいない。ということは、誰も答えをもっていない。いいアイデアさえ提示してしまえば、実現できる可能性が高い。チャンスが転がってるんです。
―そうですね。前例がない中で、やる気のある若い人たちには、ぜひ参画してほしい。一緒に未来をつくる人になってほしいと、私も思います。お話ありがとうございました。またお伺いします。
■前回記事:震災はチャンス?海士町で学んだまちづくりを実践
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