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特集記事 震災はチャンス?海士町で学んだまちづくりを実践

リーダーがビジョンを語る5937viewsshares2011.08.22

震災はチャンス?海士町で学んだまちづくりを実践

仙台から30km弱南下すると、亘理町(わたりちょう)といういちごの産地として有名な町がある。この町で、現地のボランティアセンターと連携し、都市からのボランティアを地元の宿泊施設に誘致している「ふらっとーほく」というプロジェクトがある。亘理町のファンを一人でも多く増やし、ボランティア経験者が地域と関わり続けるための仕組みを構築しようとしているという、リーダーの(株)巡の環の松島宏佑さんにお話を伺った。

 

 

 

―震災当時はどうされていたんですか。

僕の実家は、宮城県白石市という内陸にあります。津波の被害はなかったのですが、もちろん電話は通じないしメールも通じなくて、親の顔が見たくて。3月11日の震災のときは島根県海士町という島にいたんですけど、その日に島をでて、宮城入りのタイミングをずっとねらっていました。「実家は大丈夫かな、自分の目で見たいな」ってただそれだけで。

―宮城へは、いつ実際に入られたんですか。

3月19日に宮城に入ることができました。最初は、実家のある白石市で「なにかできないか」と模索していました。内陸でも、まだ避難所も人が結構いましたし、食料も充分でなかったし、物資もたりない。でも役場の人も民間の人も、「私たちは大丈夫だから」って。「もっと大変な地域が隣町の沿岸部にあるから、本当にあなたがなにかするのであればそちらを手伝って欲しい」って言われて、びっくりしました。その後色々な地域を回ったのですが、最終的には僕の親戚が亘理町のいちご農家だったことがきっかけで、亘理町で活動を開始しました。実はこの街はいちごがすごく有名で、年間数十億円を売り上げる地域だったんです。でも津波で農地が9割がたダメになって、僕の親戚もいちごを作るのやめちゃって。「どうにかなんないかな」と思いながら亘理に来ました。

―「ふらっとーほく―温泉宿に泊まってボランティア―」をやろうというのは、どういうきっかけで。

震災の映像を見て、最初「なにかしたい」ってみんなすごく思ってたと思うんです。僕も、「自分にできることはないか」ってずっと考えてて。避難所や役場やボランティアセンターや教育委員会などを話を聞いて回ったのですが、そしたら自分ができることがすごいたくさんある気がしたんです。圧倒的に人がたりなかったし、ノウハウもたりていない。本当に全てがたりていない状態で、「何もやらない」とかは微塵も思わなかった。自然と体が動いたっていう感じですね。

―もともと、地域おこしやまちづくりに興味があったんですか。

海士町に行く前は一切なかったです(笑)。海士町がまちづくりで有名な地域だなんて知らなかったですし、面白そうなプロジェクトがあったからコミットしただけでした。大学時代は宇宙の研究がしたくて、理学部物理学科で理論物理をやってましたし。まちづくりについては、海士町の田舎ベンチャー企業(株)巡の環に就職して、丁稚奉公しながら色々学ばせて頂きました。

―海士町ではどういったことをしていましたか。

株式会社巡の環っていう会社に就職して、簡単にいうと人と人をつなぐことをやっていました。外の方に海士町に来てもらうツアーだったり、海士ファンと呼ばれる海士町を応援して下さる方を対象としたイベントを関東や関西でやったり。企業向けに研修もやっているので、その企画のお手伝いだったり。他には物販もやってて、軽トラを朝5時半に運転して漁師さんのところに行って、あわびを一緒に計量して、毎朝怒られながら梱包して売るとかもやりました(笑)。

―楽しそうですね。どっぷり地域につかるんですね。

どっぷりどっぷりどっぷりですよ。住んでいますし、海士町は島なので逃げられないです(笑)。

―そのときの経験が、やっぱり今にいきているんですか。

むちゃくちゃいきていて、「海士町すごいな」って思います。僕がこの亘理町で後ろ盾がほとんどない形で来て、実際に形づくれたってのは、海士町でふたつのことが学べたからだと思ってるんですよ。

―ふたつとは。

ひとつは、信頼関係の構築の仕方。田舎では「何をやるかよりも誰が言うか」が大事だったり、相手が困っていることを地道に解決することが大事なんです。自分のペースで物事をすすめるのではなくて、相手の方のペースで。たとえば、農家さんや漁師さんと、東京のITベンチャーで働いている人って、やっぱり考え方も発想も違いますよね。相手に寄り添う姿勢を持った上で、信頼関係を地道に構築することの重要性を、海士町で学ばせてもらいました。

―相手に寄り添うこと、大切ですね。

あともうひとつが、やるためのマインド。島の役場の方だったり民間企業の方々、すごいんですよ。おじさまおばさまが50歳や60歳になっても、一切言い訳せずに新しいことに挑戦しつづけているんです。やる人たちに満ち溢れた島で。やるためのマインドや、言い訳をしないこととか、やりきることとか、1年間でとても多くのことを学ばせてもらいました。信頼関係の構築のしかたと、0から1をつくるマインドセットの部分は、すごく役にたっています。地域でなにかやりたい人は海士町で半年とか学んだらいいですよ、ほんと。

 

 

―「ふらっとーほくプロジェクト」はどういうコンセプトなんですか?

この3.11を機に、特に被災地沿岸部がどう変化したかというと、まちづくりを学んでいた観点から3つ特徴があると思っています。第1に、今まで誰も知らなかったような地域がすごく着目されているということ。陸前高田とかその最たるものだと思うんですよね。

―たしかに聞いた事もなかったです。

ですよね。けど今は日本人の9割が知っている。亘理町もそこまで知名度は高くないですが、前より知られるようになった。第2に、ボランティアという形で、6月段階で40万人くらいが実際に沿岸部に入っている。亘理町は人口35000人なんですが、のべ約30000人の方がまちに来ている。リピーターがいるので、登録者数は1000人位なんですけど。東京に1000万人いたとしたら850万人来ているようなものですから、この数字は圧倒的です。

―ものすごい数が流入している。

そう。そして第3に、ボランティアは地域を好きになるために、すごくいいきっかけだということ。ヘドロかきとか、マンパワーとしてどう貢献するかでボランティアって語られることが多いんですけど、町から見ると本質はそこではなくて。いかにボランティアとして関わってくださった方が、今後応援してくれたり観光にきてくれたりするかが大事なんじゃないかと、僕は思ってます。3年後にこの町でできた苺を買ってもらうとか、一緒にまちづくりするとか、ボランティアを通して地域を好きになってもらうことができるいい機会だな、と感じています。

―前にお会いした時に、「自分は別に復興だと思ってやってるわけじゃない」って言っていたのがすごく印象的でした。元に戻すのではなく、チャンスなんですね。

おっしゃるとおり、復興だと思ってやってるわけじゃない。僕はあくまでまちづくりをやりたい。注目されることが増えて、人がたくさん入ってきて、ボランティアを通すと地域をすごく好きになりやすい。町からみたら、こんなに地域ファンをつくりやすい機会はもうない。そもそも、田舎は震災前でも多くの課題を抱えているんです。財政面、少子高齢化、若者が少ない、一次産業の担い手がいない…いろんな問題がありますよね。前と同じ状態に戻っても厳しい。震災前に抱えていた課題を解決するのに、今回の震災をチャンスとして捉える必要があると思っています。

―地域ファンをつくるというコンセプトですが、具体的には地域ファンをどうつくっていくんですか。

第1段階は、そもそも現地に人がたりてなかったので、ボランティアを集めるというフェーズ。ここでの施策が「ふらっとーほく―温泉宿に泊まってボランティア―」です。地域にとったらファンを増やすきっかけになるのに、「車中泊やテント泊のような自己完結型のボランティアじゃなきゃ来れない」というのはすごくもったいないので。で、そのフェーズ1はほぼ終わりました。亘理町のボランティアセンターはもうすぐ縮小してしまいますし、すでに述べ約30000人のボランティアは集めましたしね。

―いまは次の段階へ?

次に予想されること一番怖いことは、「亘理町」が忘れられること。ということで、一度来た人がいかに関心を持ち続けるかという段階です。ボランティアの地域ファンレベルを高めるための要素は2つあると思っていて。ひとつは、継続的に亘理町と触れること。一度ボランティアにきた方は「復興を見届けたい」ってみんな言うけど、震災関連のニュースにどんどん減っていくでしょう。なので、現地の方のインタビューなど、復興の様子をメルマガを通して、定期的にお伝えしたいと思っています。そしてもうひとつは、今後も関わりたいって思っている人の受け入れ土台の話。ボランティアセンターがなくなったら「来てもやれることない」って話になるじゃないですか。そこをどう広げていくかなんです。

―それが第2段階。その先のアイデアは何かありますか。

たとえば地域ファンが1万人できたとして、それが具体的な経済復興につながらないかなと考えています。まだアイデアで、全然進んでないですけど、亘理町の苺のオーナー制度をつくって、年間契約という形で1人1万円で契約していただくとか。5000人あつめると5000万円になる。そういう形で、関わる人がお金を出すことで現地の人とある種運命共同体になり、お金としても経済復興につながるようなものをつくっていきたいなあと思っています。

(続く)

 

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