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特集記事 子どもたちに必要な場所

4178viewsshares2011.07.06

子どもたちに必要な場所

石巻市は、宮城県東部に位置している、県内で2番目の人口を持つ市だ。ここには4600人位ずつの、中学生と高校生が住んでいる。そんな中高生たちを受け入れている寺子屋あらため「ほっとスペース」が、石巻市役所のすぐそばにある。今回はそこに訪れ、ボランティアをしている東郷智恵美さんにお話を聞いた。

 

中に入ると、まるで空気が変わったような居心地のいい空間が広がっている。子どもたちから「こんにちは!」と声をかけてくれた。にぎやかなこどもたちの声が聞こえる隣に座る。

-なぜ今ここにいるんですか。

東郷:もともとは住宅メーカーで事務として働いていて、2月末に退職して転職活動をしていたんですね。そんなときに3月11日で震災が起きてしまって。就活の方もそこで採用が締め切られちゃったりとか。面接も延期になっちゃったりとかで。就活ができない状態になっちゃって。

-それは大変でしたね。

東郷:ガソリンも入れられず外出もできなくて、ずっと家にひきこもっていたんですけど。つなプロの先遣隊として被災地に入っていた稲葉さんからあるとき電話が来て。「どうせ暇でしょ、ボランティアこない?」っていわれて。で、暇だったので行かない理由もないなと思って、「じゃあ行きます」って。3月末から参加をしました。

-実際来てみて印象とか変わりました?

東郷:初日に被害がひどいところを車でまわらせてもらったんですけど。「正直よくわからないなー」っていうか。被災者の状況などをテレビで見ていたものが、車の窓越しにある状況がいまいち実感がわかなくて。目の前のことのように思えない、どう捉えたらいいのだろう、この気持ちって。初日はなんかすごく不思議な感じでした。

-避難所に行ってみてどうでした?

東郷:テレビの中に見ていることがここにあるな、現実なんだな、と。テレビの中にあるときは他人事でしたけど。被災地の人と話していて、本当に大変だったんだっていうのがやっと実感できて。


-「ほっとスペース」がうまれた経緯をおしえてください。

東郷:最初、つなプロという団体に、管理者の人に避難所の状況を聞くアセスメントをするボランティアとして入ったんです。で、石巻エリアで顔の広い地元の主婦の方に同行してもらって、いろんな避難所をまわりました。その息子さんが中学3年生なんですけど、春休みで学校がなくて暇なので一緒についてきて。私と、県北支部長と、主婦の方と息子さんでいろんなところをぐるぐると。そのうちに、避難所をまわるのにドライバーさんが必要だったので、地元に詳しい主婦の方たちを雇用して。それで、主婦の方々はお子さんがいらっしゃるので、お子さんを預かる場所が必要だねって。登米のお寺に子供たちをつれてきて、そこで子供たちの面倒を見たのが、寺子屋のはじまりです。子供たち専用のスペースがほしいねということで場所をお借りして、今はここで活動しています。今は名前も「ほっとスペース」になりました。

-まさに寺子屋だったんですね。

東郷:学年の途中で震災にあっちゃったので、勉強遅れちゃっていて、勉強を教えていました。あと、子どもたちにミサンガ好きな子がいて、ミサンガ使って地域の復興に貢献できたらって、みんなでミサンガをつくっていたんですね。そのサポートもしています。

-どういう日常があるんですか。英語とか算数とか教えたり?

東郷:学習塾ではないし、学習がメインではないんです。自主学習のサポートってイメージですね。私たちも教職持ってたりするわけではなくて、今まで勉強教えたりとかそういう経験一度もないので。塾のチューターみたいな感じ。勉強したり、ごはん食べたり、ミサンガつくったりとか。やってることは、みんなばらばらなんですけど、自分で組んだスケジュールで進めています。子供たちが自分でスケジュールを組み立てて、自立というか、普通の社会に戻っても自分たちでやっていけるようにしてるんです。

-何人くらいの子どもたちが訪れるんですか。

東郷:全体で20人くらいですね。毎日2~3人から多いときには10人くらいの子供たちが来ます。夕方の5時すぎくらいから子供が来ます。足がない子は6時半に私たちが送迎して、自転車の子たちは7時半ぎりぎりまでいてくれて。できるだけ長くいたいっていうのは感じますね。避難所からきている子どもは、帰っても居心地が悪いし、「帰りたくない」っていう気持ちもあって。一時期は、学校も給食出てないのでおなかを空かせてくる子や避難所から来る子ように、ご飯も用意してたんですけど。「ここでごはん食べて帰る。やっぱり避難所では食べたくない」とか。

 

-ここでやっていきたいことはありますか。

東郷:不登校とかもともと問題のあった子よりも、普通の子だったけれど震災を経て抱えている子が増えてしまっているので。これから問題が起こりうるであろう子たちを予防していきたいなって。震災による心の傷があったり、そういう子たちのサポートをしていきたい。震災で家も大事な人もなくなったりしている中で、心が安らげる場所がない。気軽におしゃべりできる人もいないし、弱音をはける場所もない。そんな子がここでリラックスしてもらったり、居場所になれたら。

-今後はこうしていきたいとかはある?

東郷:いろんな子たちに安らげる場所が必要だなって感じているので、今は1箇所でやっていますけども、もっと広げて支援を届けていこうと思っています。本当にいろんな子が苦しい思いをしていると思うので、そういった思いをしている子をもっと助けていきたいなって。あとは、専門家とつながりたい。子どもたちがこんなことを言っていて、何かやばそうだなと思っているけれども、どうしたらいいかわからないというケースがいくつかあって。それを専門家の方に相談しながら、子どもたちのサポートをしていきたいなと思っています。

子どもたちが何かをやっていくってことを通して、それぞれのやりたいことを実現していく。そういう練習の場になっていったらいいなと思っていて。これから街づくりをしていく子、これからこの地域の未来をつくっていくような子たちをつくっていきたいなっていうのもあります。マイナスをゼロにすることもですけど、プラスにしていくこともできるなと思っていて。普通の生活に戻ったときに自分でまた頑張っていく、自分でつくっていく、そういう風に育ってほしいなと思ってます。

―子どもたちにもやる気があるのかな。

東郷:聞いてみると子どもたちもやっぱりこの震災に関しては「どうにかしたい」という思いを持っているみたいで。すごい嫌だなって言う思いも、どうにかしたいって思いも持っていると思うので、子どもたちの声をあげていってもいいなって思いますね。このミサンガも子どもたちからはじまったものですし、もっと子どもたちが何かをやるってことが増えていったらいいなと思うし、増えていけると思います。あとイベントなんかも、子どもたちが企画をして、運営していって。そういうこともやっていきたいなと思ってます。

-足りないものや課題は。

東郷:人と資金ですね。仙台とか宮城県内の大学生とかの子にボランティアにきてもらおうと思っていて。お金は、まさに今考えているところで。なかなかいいプランが思いつかず悩んでいます。あとは人やお金の問題もそうなんですけども、プログラムとかこの場所をどうやってつくっていこうかって。夏休みとか合宿やろうと思うんですけども、どういう方針でやろうっていうのもまだ決まっていないです。いろいろ決まっていないこととか足りないこととか多くて。少ない人数でこういう場をどうやってつくっていこうかなあと。ま、やるしかないんですけど。子どものニーズは確実にあるなと思っているので、子どもたちのために頑張るしかないなと思っています。

-こういう方にボランティアにきてほしいとかありますか?

東郷:教職大生とか、特別支援の経験や知識がある方などがボランティアに来てくれたらありがたいなとは思っていますね。教職の学生は勉強を教えることが得意だと思いますし。あとは発達障害のような子もきたりするので、そういう知識を持っている方だと、支援計画っていうかその子にどう対応してったらいいかなっていうのが考えやすいかなと思うので。

-最後に何か伝えたいことはありますか。

東郷:子どもの声を拾って実行していける、そういう社会になっていけるといいなと思います。子供には可能性があるんだぞということを言いたいですね。今が結構、子どもは子ども、力がないものとしてしまっているので。もっと活躍できる社会になったらいいなと、この子たちを見ていて思いました。子どもたちもあきらめちゃっている、「どうせ自分たちなんか何もできない」って。

―そうなんですね。

東郷:セーブザチルドレンの、「自分たちに何ができると思いますか」ってアンケートに、「どうせそんなこと書いても実現しない」って書いた子がいて。私も自分の子どものころ思い出してみたら「どうせ子どもだし」っていうのがあって「確かにそうだな」って。「社会のことは大人が決めるもの」って思っていたので、自分が何かするなんて全く考えなかった。でもそうじゃなくて、子どもたちも考えられているし、実行できている。「子どもだから」じゃなくて「できる」っていう存在として捉えられれば、社会はかわっていくんじゃないかなって思ってます。

-それはカタリバの経験も活きているのかな。

東郷:そうですね。カタリバでも「どうせ自分は」って子は多いですし。頑張りたいけど、がんばれる場がない。やりたいことを実現する場がない。それでもやもやしている子、退屈してひねくれている子が多くて。それがここでもあるなーとは思っているので。もっと頑張れるフィールド、やりたいときにやれるフィールド、そして社会に貢献できるフィールドがあれば、みんなもっと頑張れるし生活も充実できるしと思っている。「できるんだよ」ってことを伝えてあげたいなって。それで社会としてもそういう仕組みがつくられていったらいいなと思ってますね。

-いつまでいるんですか。これが仕事になって10年、20年やっていく可能性はあるの?

東郷:この居場所をもっといろんなところに広げていきたいと思っているので。もし代わりに担ってくれる人がいれば私は戻るかもしれないですけれども、今後しばらくは数年単位で関わり続けようかなと考えています。ここで生きていくのかもしれないとは思ってますし、覚悟はしています。

-覚悟。

東郷:前向きというか、使命感みたいな感じかもしれないですね。やらなきゃいけない。必要だからやらなきゃいけない。自分は、能力的にはすごく低いし、もうできないと思うこともあるんですけど、それでも子どもたちはいるし、ニーズはある。だからやらなきゃいけないっていう気持ちです。

-子どもたちが自立してこの場所が必要なくなったら?

東郷:それは、すごくうれしい。それを目標にしてやっているので。こういう場所が必要なくなったらいいなって思います。

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