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特集記事 福島から発信する、新しい保育のカタチ

リーダーがビジョンを語る4744viewsshares2012.04.17

福島から発信する、新しい保育のカタチ

特定の施設を持たず、巡回車で移動しながら保育を行う「移動保育プロジェクトPokcare」。原発事故後、制限された環境で遊ぶしかない福島県の子供たちや両親のために、自然に触れ、心も体もリフレッシュできる環境をつくりたい、という想いからはじまりました。このプロジェクトを立ち上げた上國料さんに、立ち上げまでの道のりを語っていただきました。【福島県移動保育プロジェクト・上國料竜太】

 

 

―サラリーマン時代は、どのようなお仕事をなさっていたのですか。

結構、色々な仕事を転々としていたのですが、1番最近ではハウスメーカーに10数年間勤めていました。でも全く畑違いというか…。違和感を感じていたんですよね。

―違和感?

はい。やりたいこととのミスマッチを感じていて。それで7年ほど前に、保育所を立ち上げたんです。サラリーマンも平行して続けながら。

―もともと子どもが好きだったのですか。

昔から子どもが好きだったのですが、結婚してすぐに子どもを授かると思っていたけど、不妊の期間が5年ほどあって。それから一層、子どもに対する愛情が深まった気がします。おかげさまで、今では2人の子供を授かって。とにかく、サラリーマンをやっていた頃からずっと、子育てに関わる仕事がしたいと思っていたんですよね。

―いくら子供が好きでも、サラリーマンと平行して保育園を運営するのは大変だったと思うのですが…。

妻の協力があったというのと、保育所だからこそできたような部分があって。私が管理と計画を担って、現場はある程度妻とスタッフに任せて…という風に、わたしが四六時中いなくても大丈夫な状態をつくりました。会社に行く前の朝の時間帯と、会社が終わった後の夜の時間帯はわたしが絶対に入るようにしたのですが、どうしても「サラリーマンを辞めて専念したい」と思って、会社を辞めました。

―サラリーマンを辞めたのは、震災がきっかけで?

震災の半年前です。それで、サラリーマンを辞めてから震災までの半年間で、わたしは、保育所を窓口にしてお父さん、お母さんの心理的な不安を解消するための取り組みをやろうとしていたんですよ。

―心理的不安というのは、原発や放射能に関係ないということですよね。

はい、関係なく。核家族の時代ですから、子育てに関して色々悩んでいても相談する相手もいない、という問題があったので、各地の保育所を回って、コミュニケーションのとり方とか、子育てに関する心理的な不安や悩みをシェアできる機会を作ろうとして活動していた時期があったんですね。

―なぜそういう活動が必要だと思ったのですか。

お迎えの時やお母さん方に接する時に、悩みや愚痴や不安が出てくるんですよ。自分の子育てが正しいのか、正しくないのか悩んでいる方が多いです。

親って、ある日突然子供授かったら、急に親になるじゃないですか。仕事にしても何にしても、ある程度修行する期間というか、準備段階があって初めて、みんな一人前になるものですが、親という仕事に関しては、ある日突然プロにならなければいけないと思ってしまう。

―そう考えると、親って特別な存在ですね。

だから、親として完璧じゃなきゃいけないのか…など、色々悩むんです。そういう方同士で話をした時に、「そういう子育てって、大丈夫なの?」と指摘されたりすると、やっぱり不安になってしまうんですよ。ましてや自分が少数派だったりすると。そしてそれが世代の違う親の話だったりすると、もっと意見が噛み合ない。そして、そういう悩みの捌け口というか、相談の窓口になれるのは、保育所の先生だったり、私のような保育所の経営者だったりする部分があると思うんですよ。だから、サラリーマンを辞めた直後は相談会を開いたり、他の保育所に行って話をしたり、積極的に活動をしていました。

―子供を預かる場所だけではなくて、お父さん、お母さんの不安を解消する場としての保育園を目指された。

やっぱり子供に一番影響を与えるのは親だと思うんですね。親御さんが不安を抱え、ブレながら接していると、それが子供に伝わるのがよく分かるんです。子供を見てると、親御さんの心の状況であったり経済的な状況によって、全然状態が違うんですよ。

―子供が親の影響をダイレクトに受けているというのを実感したのですね。

実感しますね。だからやっぱり、お子さんを教育するというのも大事なのですが、それと並行して親のストレスや不安解消を同時にしていかないと。子供の成長にとっては、本人と親のケアという2つがセットであるべきだと思っています。

 

 

―震災後は、その重要性がさらに顕著に現れたのではないですか?お父さんお母さんがさらに不安になって、それを感じた子供も不安になって…。

震災後、保護者の方と接しているなかで、不安を口にされる方が沢山いて、それが結局子供に伝わって、色々な制限を与えていたりする様子を見ていて、どんどん、どんどん、「なんとかしたい」という気持ちが強くなってきて…。

—やっぱり、放射線量が高い場所では遊ばせたくないという親心があるのでしょうね。

そうなんですね。どちからというと、ネガティブな部分が、震災の影響で強くなってしまって。親が子供に色々な制限を仕方なくとはいえ加えるようになってしまった。「あれは触っちゃいけない」「マスクをしないと外に出ちゃいけない」など。子供もすごくナイーブになってきてしまったんですね。

—地震と原発事故によって、それまでとは違った状況が生まれてきてしまったと。

震災をきっかけに、親が(どちらかというと)悪く影響する事実を問題視し始めて。その後、移動保育を始めたのですが、多くの人は子供の被爆量を減らすために行っていると思われるようなんです。それももちろんそうなのですが、根っこにあるのは親の心理的なストレスと、子供のストレスを軽減したいという想いなんですよ。

—放射能という物理的な意味に対して、ストレスという精神的な意味も考えて。

はい。重視しています。子供を安全な場所に連れていくことで、子供自身もストレスを解消して楽しんでくれるのですが、それを見ている親もすごく安心するんですね。実際に、言葉や理屈で説明するのではなくて、子供がニコニコして帰ってくるのを見て、単純に親は安心してストレスが軽くなるようなのです。そういうことが見えるようになったので、移動保育を本格的にやっていこうと思って。最初は本当に、一人で車で行っていたくらいだったのですが、仲間を募って法人化しました。

—実際に、どの地域のお子さんをどこまで連れて行かれることが多いですか。

中通り地区という、汚染マップで見ると線量が高い地域の子供たちを会津や宮城の方へ連れて行ったり、若干原発寄りだけど線量の低い地域に行ったり。いずれも車で片道1時間くらいの場所ですね。

—行った先ではどんなことをするのですか。

行く先はそれぞれ違うのですが、例えば古民家に行ってお餅つきをしたり、牧場でロバやポニーなどの乗馬体験をしたり。会津の方に行ったら、スキー場で雪遊びやかまくら作りをしたりもしています。あと、飛行場で飛行機を見たりしたこともありましたね。本当に色々です。

—どのくらいの頻度で行っているのですか。

月に3、4回ほどです。ゆくゆくは県内全域で毎日行えるようにしたいと思っています。

 

 

—それを実現するために、何か課題はありますか。

今まで寄付金と協賛金と、1件の助成金でやってきたのですが、自立した仕組みが作りたいと思っています。

保育所には認可保育園と無認可保育園があって、後者は完全に自分たちでお客さんを集めなければいけないという状況なんです。その中で、移動保育は、保育所とはまたジャンルが違うという認識なので、保育所が受けているような助成金を受けられる制度は今のところ全く無いのです。何か自分で施設を一拠点構えて、そこから毎日移動するというのでしたら、また話は違うのでしょうけど。

—なるほど。保育園が毎日遠足や散歩をしている、ということにするのですね。

はい。ただ、私のところでみんなを抱えて…というものではないのです。色々な保育所さんにも利用して欲しいんですよ。私が何か施設を作って「みんな来て~」と子供を集めてやろうという気持ちはサラサラなくて。保育所さんも、みんな県外に逃げてしまって経営が苦しいので。そういう保育所さんに、お金をいただかないで使っていただきたいです。

「あの保育所では移動保育をやっているんだよ」という噂が広まれば、保育所さんも園児を集めやすいのではないか、という想いもあります。

—保育所からお金をとらないとなると、資金面など、運営が難しそうですね。

当初、会員制にすることも考えたんです。でも、利用者=被災者ですし、500円とか1000円でも、「お金がかかるんだったらウチはいい」って断られる親御さんもいるんですよ。経済状況によって参加できる・できないが分かれるのも、子供にとってはマイナスだと思ったので、少なくとも、利用する子供からはお金をいただかない形で仕組みを作ろうと考えました。今のところは協賛していただいた企業に援助してもらうという形にしています。

あと、今一緒にやってくださっている方は、自分の仕事と掛け持ちしている方がほとんどで、専属はわたし1人なので、やっぱりスタッフが欲しいです。

—お金と人を集めて、これから実現したいものはありますか。

今、わたしがみんなにアピールしていかなければいけないのは、行った先で学べることが沢山あるということです。従来の保育だと、通常は施設を拠点にしていて、1年に1、2回遠足がある程度です。でも移動保育だと、色々なものを見たり、聞いたり、触れたりできる刺激があります。体験学習や環境教育という視点で移動保育を考えると、すごく可能性を感じるのです。そういう新しい保育の形を作っていきたいと思っているんですよね。

—移動保育には、新しい可能性があるのですね。

体験学習で、子供の好奇心や自主性が育めるようになれば、引きこもりやニートなどの問題の解消にも繋がっていくと思っています。昔の日本だと、わざわざ大人がそういう機会を作らなくても、子供が勝手に遊び回っていたのですが、今はテレビゲームをやって、保育所に行ったら従来の保育をやって…と。それが悪いのではなく、プラスアルファで体験学習ができる機会を子供たちに作ってあげたい。そのことで色々な興味や好奇心を育んでいきたいと思います。

—従来の保育の形をもっと良くできる可能性がある。とても面白いアイデアだと思います。

さらに「福島にいたからこそ、そういう経験ができたんだ」というロールモデルを作りたい。地域にとっても良いことなのかな、と思います。

—ある意味ではピンチをチャンスに変えることかもしれません。

きっかけは放射能問題で始めた活動なんですけど、最終的にはそういうゴールに持っていければいいかなぁ、と思います。「やらないよりはやったほうがいいだろう」と思うので。

体験学習的な方向で、また共感してくださる方がいらっしゃったら、資金的な協力や、何か一緒にできないかな、というところを模索していくつもりです。いつまでも寄付や助成に頼っていても続かないので。

 

 

—右腕としては、どんな人に来て欲しいですか。

正直、まだ組織として全然形ができていないし、放射能から避難するための移動保育という情報が先走ってしまっています。けれど目標としては体験学習や五感学習など、新しい保育の形を作っていきたいです。その仕組みづくりを真剣に、一生懸命になってやってくださる方にご協力いただきたいという想いがあります。

—新しい保育の形を一緒につくれる人を。

新しい保育の形というのも、当然福島から発信するというスタンスで、できれば全国に広められるようなものをつくりたいです。その一言に尽きてしまうかな。私は人生をかけてやっていく気なので、それぐらいの強い想いでやっていただける方だと嬉しいです。

―日々のオペレーションや、その展開を発想できる若者が集まると良いですね。またお伺いします。ありがとうございました。

 

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:笠原名々子(ボランティアライター)

■右腕募集情報:福島県移動保育プロジェクト

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