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特集記事 各セクターのパイプ役となり、福島の新たな価値を創造する多様な主体の良きパートナーを目指す(1)

私にとっての右腕体験4292viewsshares2015.02.10

各セクターのパイプ役となり、福島の新たな価値を創造する多様な主体の良きパートナーを目指す(1)

震災発生後に立ち上がったふくしま連携復興センターの、第2創業期を支えるメンバーの一人として「コーディネーター」「広報」分野で活躍した元岡 悠太さん。右腕期間終了後も、福島県のコミュニティ交流員事業において、行政とNPO、地域住民を繋げる活動にチャレンジする元岡さんに、右腕派遣期間と現在の活動についてお話をしていただきました。

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― 震災当時、元岡さんはどこで何をされていましたか。

震災当時は東京の実家で暮らしをしている大学三年生で、ちょうど家で昼寝をしていた時に東日本大震災を迎えました。ガソリンスタンドでアルバイトをしていたのですが、東京のガソリンスタンドでも発災から一週間ほど経っても1kmくらい続く給油待ちの渋滞に異様さを感じたものの、その程度でした。

― 東北・福島・原発問題について考えるようになったきっかけを教えてください。

当時、大学ではまちづくりや都市計画を学んでいたのですが、あまりの大規模な災害に、大変なことが起きたのだと感じたものの、その時はどこか他人事でした。なので、この時は東北の復興現場に関わろうとは思ってもおらず、メディアやIT関係の仕事に就こうと考えていたので、夏前に内定を貰っていたインターネット広告の企業に2012年の春に入社しました。しかし、大学でまちづくりに関わったこと、原発問題が取り上げられる中で、このままで良いのかと考えるようになりました。

当時社会人1年目だった私を、父はつまらなそうにしているなと見ていたそうです。そんな私に、父は原発に関する対談の本を薦めてきました。そこから、原発問題に関する本を読むようになり、時間があれば父と議論するようになりました。そんな中で、福島が抱える問題意識が芽生え始めました。当時は、福島の復興に役立ちたいという理由を論理だって説明できていなかったのですが、東北の中でも福島が抱える課題は深刻であり、役に立ちたいという想いが次第に募るようになりました。

考え始めてからの行動は非常に早かったです。社会人1年目の12月から具体的に考え始めたのですが、12月末には「みちのく仕事」のウェブサイトに出会い、1月にはマッチングフェアに参加して、そこで出会ったふくしま連携復興センターの案件に応募していました。

― 20代半ばという年齢で、福島で活動するということに対する周囲の反応はいかがでしたか。

周囲の反対は少なく、特に父が「チャレンジできるうちは頑張れば良い」と背中を押してくれました。

― 数ある仕事の中で、ふくしま連携復興センターの仕事を志望した理由を教えてください。

ふくしま連携復興センターの仕事は、①全県的に動けること、②福島県内の支援者であるNPOを支援できることの観点から魅力的であり、短い社会人経験ではありますが、クライアントが消費者を支えるお手伝いをしてきた経験を通して、自分の能力を活かせると思いました。

― ふくしま連携復興センターで担当した仕事内容を教えてください。

ふくしま連携復興センターでの仕事内容は、主に2つです。1つが「コーディネーター」であり、もう1つが「広報」でした。

コーディネーターとしては、東京などのプロボノと福島県内のNPOのマッチング支援や、救援物資をNPOのニーズに合わせてマッチングしたり、会員NPOが参加する会議などの資料作成など、中間支援団体の事務局の役割を担当しました。プロボノとのマッチングにおいては、対面のコミュニケーションを大切にしながら、NPOの担当者と接するように心がけました。その結果、例えば、福島でスイーツをつくって販売している会員のNPOは、県外ネットワークを持っておらず販路が限られていたのですが、県外の企業とのつながりをつくるサポートをしたことで、商品をPRできる場が増えたと喜んでくれました。

広報としては、広報計画の立案からふくしま連携復興センターのウェブサイトのリニューアルやリニューアル後の効果測定を担当しました。

― そこで活かすことができたスキル、経験と、組織に貢献できたと思うことは何ですか。

前職ではネットワークマーケティングを担当していたのですが、インターネット広告の分析からプランニングの経験を積んだことで、インターネットを取り扱い、運用するスキルは、特に広報関係において活かせたと思っています。ウェブサイトの訪問者の動きを分析し、ウェブサイトの改善提案などを行い、リニューアルプロジェクトにおいては主体的に動けたと思っています。

特別なことをしたつもりはなく、当たり前のことが当たり前にウェブサイトに掲載されている――、それを分かりやすく伝えられるよう工夫しました。また、私たちは中間支援団体なので、会員になっている団体にもメリットがあるように、会員やイベントなどの情報をお知らせするようなコンテンツも設けました。

このリニューアルによって、企業やNPOからの問い合わせも増えています。私が入った2013年4月には入った時には50強しか会員がいらっしゃらなかったのですが、右腕派遣期間が終わる2014年2月には100団体に、今でも伸び続け、現在は130団体ほどあります。ウェブサイトでの告知や情報を強化したことで、救援物資の支給や情報が貰えるかもしれないと、メリットを感じて会員になってくださるところもあるのではないかと思っています。もちろん、私だけの力ではなく、創業から頑張ってきたメンバーが丁寧に各NPOなどの団体を訪問された功績も大きいです。そして、「当たり前にウェブサイトを運営できている」という団体の信頼感も構築できたと感じています。

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― 仕事をする上で大変と感じたことはありますか。

ふくしま連携復興センターは、東日本大震災後に立ち上がった、若い組織です。

そのため、仕事の環境づくりを、自分たちの手でゼロから全てやらなくてはならなかったことが非常に苦労した点でした。例えば、内部での情報共有方法や基盤作り、ゴミ捨てのルールまで、企業で働いていた頃は当たり前のようにルール化されていたものでも、ここでは全て自分たちで話し合い、決め、実行していく必要がありました。

― その大変さの中で感じたやりがいとは?

大変なことも多かったけれど、その分大きなやりがいも実感しています。私は第二創業期に入ったので、上記のように仕組みが整っていないこともいくつもあり、仕組みそのものを作っていくこともやりがいの1つでした。

その結果、自分たちで課題を深堀して団体として目指すべきミッションやビジョンをディスカッションして、行政と連携した事業も受託できるようになり、今では行政からの委託事業、補助事業を実施しています。

ふくしま連携復興センターのスタッフは、私も含めて福島県内のNPOの人々が輝けば、自分たちも輝くことができると思っています。県内のNPOのサポートを通じて、地域住民の方々も、自分たちも輝いていることを実感できることも、やりがいの1つだと思っています。

― 元岡さんが考える、福島におけるふくしま連携復興センターの存在意義とはどういったものでしょうか?

私が考える、福島におけるふくしま連携復興センターの存在意義は、ふくしま連携復興センターのミッション、ビジョンに集約されていると思います。

ミッションは、「ネットワーク全体を俯瞰して、「抜け」、「漏れ」のない支援をしていく」こと。

ビジョンは、「『福島の新たな価値を創造する多様な主体の良きパートナー』を目指す」こと。

最も重要な存在意義は、「行政への提言」「行政やいろんなセクターとのパイプ役(ハブ)」になることだと思っています。

前者の「行政への提言」は、これまで福島県のNPOがこれまでできていなかった部分です。現在、ふくしま連携復興センターは、福島県の事業の復興支援員やコミュニティ交流員(福島県生活拠点コミュニティ形成事業の担い手)の事業にも大きく関わっていますが、住民やNPOなどの市民団体の声を伝えて、行政に働きかけていくことも重要だと考えています。

後者の「行政やいろんなセクターとのパイプ役(ハブ)」は、現在はNPOセクターに寄った事業や活動が多いですが、今後は各セクターを横断して繋いでいくことが、ふくしま連携復興センターの重要な存在意義だと思います。

私はミッション、ビジョンを達成するための広報として、福島県内の各団体の情報発信に努めました。そこでは、各団体が発行している媒体の情報を入手したり、直接団体を訪問したりするなどして、情報収集に注力しました。これは広報だけでなく、その後のコーディネートにも活かすことができたと感じています。情報をヒアリングする際に、団体の情報を事前に把握し、求めているものが何か分かっていると、その時のニーズに合わせた支援を提案しやすくなります。

例えば、プロボノとのマッチング支援の中で、商店街の活性をミッションに掲げるNPOがありました。当初は彼ら自身が自分たちのニーズを把握するのに苦労していたと感じていますが、何度も足を運んでいるうちに、そのプロジェクトに良いタイトルが付けられず、なかなか認知度や一丸となって取り組めていない現状が分かりました。そこで、コピーライターのプロボノを引き合わせたところ、それまでずっと決まらなかったタイトルがすっと決まり、事業が表に出て、一気にプロジェクトが進み始めたこともあります。

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