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特集記事 見て見ぬふりをしたままでは、きっと次に進めない

私にとっての右腕体験5818viewsshares2012.09.15

見て見ぬふりをしたままでは、きっと次に進めない

津波によって自宅や店舗を失った店主たちと共に、もう一度、商店街を作り直し、地域で暮らす一人一人が主役になるコミュニティを生み出したい。橋勝商店の橋詰社長の強い思いから、陸前高田未来商店街プロジェクトは始まりました(「なつかしい未来の商店街をプロデュース」)。橋詰社長の右腕として活動している種坂奈保子さんに、右腕募集に応募するに到った経緯やプロジェクトの現状などについて、お話を伺いました。【陸前高田未来商店街プロジェクト・種坂奈保子(1)】

 

 

—種坂さんが右腕として働こうと思ったきっかけについて、お話をしていただけますか。

そうですね、私はずっと絵を描いていて、大学はデザイン科でグラフィックの勉強をしていました。旅もよくしていて、発展途上国を訪れたときは、こういう世界もあるのかと驚いたり、学生のうちにしかできない絵ってなんだろうとか、社会にたくさんある問題に対して絵はどうやって関わっていけばいいのだろうとか、疑問が湧いてきて悩むようになりました。

—それはいつ頃のお話ですか。

大学4年生のときです。就職活動が始まるタイミングで悩むようになって、それなら大学生活の最後は、社会問題に対して自分がデザインでできることを考えてみようと思いました。ちょうど大学のグループ展のテーマを自分たちで決めていいという話があったので、社会問題とデザインで何ができるかをテーマにしようと提案して。そこで私自身は、ホームレスの問題について取り上げることに決めました。身近なのにずっと見て見ぬふりをしている、無視し続けている存在がある、ってずっと気になっていたのがホームレスの人たちだったんです。

でも、身近なものとして感じない限り、どんなに社会貢献とか言ってもダメだなと思って。それで、ホームレスの世界に飛び込むというか、密着をし始めて、大学4年生の一年間をホームレスの人たちと触れ合えるようにどんどん通ったりとか、いろんな炊き出しイベントに参加したり、一緒に飲みに行ったりして、その経験をもとに段ボールに作品を描いたりしました。

そのとき、一人一人が繊細ですごいドラマがあるし、本当は路上に寝たくなかったのにそうなってしまっているという現実を知りました。冬になれば凍死する方もいるんですね、毎年毎年。日本でそんなことがあっていいのかと思ったし、その経験をしてから、身近にある問題で、自分が目を背けていることに対して、もっと見ようっていう感じになったんですよね。

—なるほど。

炊き出しとか、ボランティアをやったのも、そのときが初めてでした。そのときのマインドみたいなのが今もたぶんずっとあって、なんとなく次に進めないんですよね、身近に何か問題があったら、それを解決しないと次に進めない。震災もたぶんその延長線上にある感じがしています。自分と同じ年くらいの子が沿岸にもいるはずで、私たちはこっちでお酒を飲んだりして楽しいかもしれないけれども、絶対にこの近くで自分と同じような人間が困ってるんじゃないかって思ったら、おいしいお酒なんて飲めないです。

—その学生時代の経験が、今の種坂さんの原点なんですね。

そうですね。何か問題があれば、その原因は何だろう、どうなっているのだろうって知りたくなるというか、自分にできることは何だろうかって思います。現場に入ってみないと分からないことも多いから、できれば現場にも行ってみたい。震災のときは、ちょうど働いていなかったんです。仕事をしていたら、もしかすると来なかったかもしれないですけれども。

—大学を出てからは就職をされたのですか。

はい。もともと愛知県出身なんですけれど、京都で学生時代を過ごして、就職は名古屋でしました。でも、会社の状況が一変してしまったのと、すごくハードワークだったこともあって、昨年の3月3日に会社を辞めていたんです。実家に戻って、これから何をしようかなと考えているときに地震が起きました。

会社を辞める前がものすごく忙しかったので、「やっと休みだ、夏休みだ」と思って家でごろごろして過ごしていました。親からは「ごろごろしてるくらいならボランティアに行っておいで」って言われたりして。でも、そのときは、「私のような何もできない、ふつうの人間が東北に行っても、きっとできることはないし、お医者さんならまだしも…」と思っていました。

でも、それが自分の中で引っかかっていて、ある日、寝ながらぼんやりしているときに、「いま行かなかったらいつ行くんだろう?」って思ったんです。阪神大震災のときはまだ小学生だったけれど、今はもう子供じゃない。仕事もしていないし、養う相手がいるわけでもない。今を逃したらもう行けないかもしれないと思ったんです。それで、ハッと目が覚めて、「行こう」って決めて、階段をおりて、「お母さん、私、東北に行ってくる」みたいな感じでした。

 

 

—動き出したわけですね。

はい。その頃読んでいたメールマガジンに、石巻で活動しているNPOの情報が載っていて、物資を仕分けるだけでも大変で、でもそれは誰でも手伝える仕事なので、ぜひ手伝いに来てほしいと書いてあったんです。それを読んで、3月末に石巻に入りました。石巻でそのNPOに入って、専修大学のグラウンドにテントを張って、1ヶ月くらい泊まり込みでお手伝いをしました。

まずは倉庫での作業です。物資が何トンという規模で毎日やって来るんですよ。水が10トン、米が10トン、ビスケットが何トンとか、それを倉庫の限られたスペースの中にうまく入れていかなくてはならないので、もうテトリス状態というか。

—すごい量ですね。

ええ。最初の1ヶ月はずっと倉庫を担当していたので大変でした。1日中、倉庫の中にいるので、被災地にいるはずなのに被災地にいないような感覚になったりして。外でどんなことが起きているのか分からない状態ですし、毎日毎日お米や水を見てばかりいる生活だったので。

—それが1ヶ月ほど続いたと。

はい。4月末まで倉庫係をやりました。それから、ちょうどその頃にシーズオブホープといって、ひまわりの種をまこうというプロジェクトがあったので、そちらに参加することにしました。

でも最初は「そのプロジェクトはどうなんだろう」と疑問に思ったというか、ちょっと距離を置いて見ていたんです。というのも、当時はまだ食うに困っている状態だった。まだ冷たいものしか食べられない人たちもいる中で、「え、種? 花の種?」みたいな、「それは食べられるの?」みたいな感じもあったので、どうなのかなって思っていたんです。

—でも参加することに決めたのですね。

私、「種坂」なんですよね。みんなからは「種やん」と呼ばれていて、それに私は夏生まれで、ひまわりが一番好きな花なんです。それから、いったん帰らなければいけないタイミングが5月4日だったんですけど、そのプロジェクトは5月3日にみんなで花を植えましょう、という話だったんですよ。

—タイミングがあった。

ええ。もういろんなものがそろっちゃって、これはやらなきゃいけないという気持ちになってきたんですね。それで、ひまわりを配るチームに入って活動を始めました。おそるおそる、炊き出し会場に行って、みんな、すごい長蛇の列に並んで炊き出しを待っているんです。そこに入っていって「すみません、ひまわりの種を配っているんですけど…」って言って。

—どんな反応が返ってくるのか予想がつかないし、不安な気持ちになりますね。

そうなんです。全然分からなくて、すごくビクビクしながら、ちょっとずつ行こうみたいな感じで、二人一組で行って。石巻の駅前の広場で、すごい長蛇の列の中に入っていきました。ひまわりの種が10粒くらい入った袋と一緒に、プロジェクトの説明を書いたチラシを用意して、そこには、5月3日に希望の花を咲かせましょう、咲かせるために種を蒔きましょうということとひまわりの育て方を書いて配ったんです。チラシ配りですね、完全に。

—そのときの反応はいかがでしたか。

それが、「ひまわりの種を配ってるんですけど…」って最初に言ったとき、ものすごく反応がよかったんです。「私も!私にもちょうだい!」って、みなさんからバーッと手が伸びてきて、「なに?花の種なの?」みたいな反応があって。たぶん、みなさんも意外だったんだと思います。その反応を見て思わず、「今はまだ泥だらけで、景色も茶色いかもしれないですけれど、8月になってこの黄色いひまわりの花が石巻中にいっぱい咲いたら、すごくよくないですか?」って話しました。そのとき話を聞きながら、みなさん、時が止まっていたんですね。

■関連インタビュー: 経験した点と点がつながり、ここへ来るしかないと思った【陸前高田未来商店街プロジェクト・種坂奈保子(2)】

■関連インタビュー: それぞれが、もう一度、立ちあがるための商店街【陸前高田未来商店街プロジェクト・種坂奈保子(3)】

 

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:鈴木賢彦(ボランティアライター)

 

■陸前高田未来商店街ブログ: http://ameblo.jp/mirai-shotengai/
■右腕募集情報: 陸前高田未来商店街プロジェクト

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