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特集記事 すこやかにいられる場づくり

リーダーがビジョンを語る4931viewsshares2012.03.12

すこやかにいられる場づくり

震災が起きて一週間も経たないうちから、現地へ赴き、そこにいる人との対話から関係をつくり、支援を続けてきた友廣さん。現在、「つむぎや」として宮城県北の牡鹿半島にて活動を継続している。一つひとつの出逢いをつむいで手仕事を作り、コミュニティ再生に取り組んできた背景にある想いを、前回に引き続き伺いました。【地域の未利用資源活用とコミュニティ再生プロジェクト(つむぎや)・友廣裕一(2)】

―つなプロの経験から大きく変化していったんですね。

鮎川浜、新山浜のお母さん達と出逢ったのも、自分のやるべきことが見えて来たのも、4月末くらいなんです。

―どういう経緯だったんですか?

つなプロで牡鹿半島を周っていた時に、行政関係の人に出会いました。そのとき石巻市は広域合併をしており、沿岸の旧牡鹿町や雄勝町までボランティアが来ないという話を聞いたんです。それなら、ボランティアを送る仕組みを作ろうということで、つなプロ1・2期に参加していた中川さんやほかのメンバーと「トモノテ」を立ち上げようという話になったんですよ。中川さんがトモノテ代表としてボランティアコーディネートを、僕はつなプロでニーズを調査したりボランティアのマネジメントをすることで、この土地に必要な役割を担っていこう、という話になったんです。

―鮎川浜・新山浜のお母さんたちとはどのようにして出会ったのですか。

4月末頃に牡鹿漁協の参事さんに出逢って、漁協女性部のお母さん達を紹介されて。話しをしてみると「5万円位の仕事があったら」って誰か言ったんです。港も全部壊れてるから漁業再開の目途が無くて、今までパートとして牡蠣剥きやワカメの加工場で働いていたけど、それらの施設も流されてしまって。ちょっとしたお金になる様な手仕事がつくれないか、という話になったんですよ。

―その頃には、もう手仕事から生業をつくる、というアイデアが浮かんでいたんですね。

地域に眠ってる資源を使って、手を動かすことで、出来るだけコストをかけずに価値を生むようなことから始めないといけないと思っていたんです。鹿の角は原材料の供給と、加工が難しそうだったのでその話はせず、お母さんたちと何ができるかと話を聞いていました。そしたら一人の方からミサンガを高校生の頃からつくってるという話が出て来たんです。今でもつくっては近所の子供たちにあげたりしていて。漁網の補修糸でもつくった事があるって言うので、「ぜひ一度つくってきてくださいよー」ってお願いしたんです。

そしたらそれがとっても素敵で、みなさん「ぜひこれをつくろう!」と、盛り上がって。すぐにその方に先生になってもらってみんなで習い始めたんです。でもミサンガってずっと売れる訳じゃないと思っていたから、1年くらいで次の事業をはじめるために使えるお金を貯めようと話してて。何回か話して行く中で、みなさん元々漁師の奥さん方なので、次は自分たちのところで獲れた魚を使った水産加工やお惣菜屋さんみたいなことをやれないかっていうアイデアが出てきたんですよね。ずっと前から市場に出せない魚があって。もったいないから、そんなことをやれないかというアイデアはあった。でも資金集めとかどうしたら良いか分からなくて、実現には遠いところで止まっていたみたいで。

―それで、ミサンガから始めたんですね。

しばらくみんなで練習していたんですけど、「こんな難しいの無理だからもっと簡単なの考えてよ」とか、はじめはみんな弱音を吐いてたんです。でもしばらくして、みんな編めるようになって物が出来たので、「僕ら売りに行きます!」ということになった。

―初めて売りに行ったのはいつ頃だったんですか?

まとめて売ったのは8月に香川の野外フェスで。本格的に始めたのは5月なんですけど、ある程度たまらないと出せなかったんです。

―野外フェスではどんな感じでした?

僕は当日行けなかったんですけど、おかげさまでたくさん売れました。お母さん達の娘さん2人と一緒に、珈琲の炊き出しなどを一緒にしてくれていた“まほろば”というチームの仲間が売りに行ってくれたんです。ひとつ1000円に設定して、2日間で400本くらいは売ったのかな。寄付も集まりましたし。

―ミサンガが売れていく中で、お母さん方に変化はありましたか?

ちゃんと売れだしてから変わってきましたね。最初はこんなもんが売れる訳ないって言っていたんですけど、娘さんからお客さんが感動して買ってくれたみたいな話を聞いたりして、お母さん達の感覚が変わってきて。

―感覚?

自分達がゼロから手で作った物がお金に変わるってあんまり経験したことなかったんですよね。

―うんうん。

1本1000円のうち、半分は手間賃に、半分から材料費を除いた分は次の事業のための貯金にすると決めてたんです。で、最初のころは加工所をつくるとか、夢物語という感じだったんですけど、途中から自信がついてきたようで。どんどん各々が改良してくれるし、新商品も出てくるようになったんですよね。編み方とか長さとか配色とか細かい事なんですけど、季節感に合わせたりお客さんのことをイメージしたりして、どんどん自分たちでブラッシュアップしていくようになって。

―それはよかったですね。ただ、その中で起こった9月の台風では、新山浜は大変でしたね。

台風の翌日、新山浜に行ったらすごく生々しい光景でした。僕は津波前の石巻も知らないですけど、前に泊ったことがある場所が、一階全部無くなっていて、服とかタンスとか散乱しているわけですよ。大きな傾斜の坂に沿って集落があるんですけど、中心にある道路が上から下まですべてえぐられていて。その後泥だしとか手伝わせてもらいました。

―新山浜はほかの地域に比べると、津波の影響は少なかったように思います。

そうですね。地形に守られたのか、海からの津波は住宅まで上がってこなかった。船は流されてしまった方が多かったのですが。でも台風では、山津波と呼ばれる土石流で被害を受けたんです。

鮎川浜の港は、離島の子供の通学とかに必要だったんで、割と早く港が仮復旧して5月くらいには岸壁に船をつけれるようになったんです。だから、船や網が残っていた家は5月末頃から少しずつ動き始めていて。ミサンガをつくってきたお母さん達の中にも他の地域から船をもらったりして、刺し網などの漁から徐々にはじめまってきていました。

漁業が戻ってきて、徐々に本業で忙しくなってきていたんですよ。あと、お母さんたちが集まって作業をさせてもらっていた自宅が9月の台風で壊れてしまったのもあって、集まれる場所が欲しいとみんなで話していたんです。最初はトレーラーハウスみたいなのでやれないかと検討していたんですけど、Architecture for Humanityのコンペの募集があったので、つむぎやとして 作業・コミュニティスペースづくりのアイデアを出したら、最優秀賞がもらえて。

東北の被災地に建物を建てるための資金的支援に限定したコンペだったんですが、建物をつくるまでのストーリーがあったからよかったのかなと思うんですよね。僕らとしては建物つくるための助成金などを探していたので、まさにドンピシャだったんですよ。

―どういうスケジュールなんですか。

春に向けて、今設計士さんたちと話しています。でも、いろいろと制約条件もあったりして、どれくらいのペースで進められるかは分からない感じですね。

―どういう場所が出来上がるのですか。

お弁当屋さんがしたい、というのが今のみんなの一番の想いですね。その先に食堂とか、お惣菜屋さんとか、加工品なんかもつくりたいね、と話しています。

photo by Lyie Nitta

―それからOCICAという新しいブランドも生まれましたね。

そうですね。これは同じ牡鹿半島でも鮎川浜や新山浜とは少し離れた別の浜でやっています。東浜地区の牧浜という浜の集会所を拠点にして、漁業に関わる浜の女性たちと鹿の角と漁網のアクセサリーをつくっています。

-どうして鹿の角?

3月の震災直後から、牡鹿半島を車で走っていると鹿とよく遭遇したんです。車が少なかったから道路の方まで出てきていたようで。色々話しを聞くと獣害対策で年間1000頭以上駆除しているという。

鹿の角は年に一回生え変わるのですが、角はあまり使われてなさそうだったんですよね。これを使えばいいものがつくれるかもしれないと思いました。

-なるほど。

角を使いたいという思いはそのころからあったのですが、角を安定供給できるルートが無かったり、加工する技術がなかったり、ということもあって、まずは漁網ミサンガの話から進んでいったんです。そしてその後、鹿の猟師さんと出会えて、よくしていただけるようになりました。

―どのようなきっかけだったのですか。

石巻河北の道の駅で鹿肉の缶詰買って、それが旨かったんですよね。鹿の加工品ってなかなかおいしくできないんですが、鹿をちゃんとさばける人がいるのは面白いなと思って、どんな人だろうと思ったので、調べて電話したんです。そしたらその缶詰は木の屋さんでつくってることが分かって。「僕ら木の屋さんの缶詰拾ったり売ったりお手伝いしているんですよ!」と言ったら、「まあとにかくうちに来い」と。そして数日後に会いに行ったら「まずはそこに座って、おれの鹿の肉を食え」と。それがめっちゃうまかった。

―それから鹿の角の話に?

「ボランティアのボランティアをしたいんだ」と言っていただけたので、つなプロのメンバーを連れていったり、鹿肉パーティーなんかも開いていただいたんですよ。それが新聞に出たりもしたんです。そんな流れでとてもよくしていただける間柄になったので、「鹿角ないですかね?」と相談したら「猟師の知り合いはいっぱいいるから、お前らの為なら集めてやる!」って言っていただけて。このプロジェクトの意義や角の使い道をきちんと理解していただけたおかげで、安く譲っていただくことができました。

―加工の技術はどうしたの?

元捕鯨船の乗組員で鯨の歯を加工する技術を持っている方と4月末くらいに出会っていて、その方は船を下りたあとキャンプ場の管理人をされていたんです。そこに落ちている鹿の角から、この技術を応用していろいろなものをつくられていたんですが、「そういうことならいつでも力になってやる」と言って下さっていた。だから、鹿角の加工技術を教わることもできる状態だったんですよ。

はじめは自力でキーホルダーなどを試作したんですけど、商品にするには弱くてどうしようかなと思ってたときに、知り合いの方に「こういう素材を扱えるデザイナーいないですかね?」って相談したんですよ。それでやっと素材を生かせる人に出逢ったんです。それが課題解決型デザイン事務所NOSIGNERの太刀川さんでした。彼らと何度もやりとりして、今つくっている鹿角のドリームキャッチャーが生まれたんです。

photo by Lyie Nitta

―ドリームキャッチャーをはじめて見たとき、どうでした?

「これなら売れるな!」って。やっぱり僕らがしっくり来てないと売れないんですよね。牡鹿半島の牡鹿の角を使ったネックレスにはじまり、鹿を軸にOCICAというブランドを育てていけないかと話し合っています。3月からは新商品としてピアスも販売開始します。

―今、まさに仕事がつくれていますね。

まだまだですけどね。つくってるお母さん達は15人弱くらいで、30代から70代まで、結構年齢層広いんですけど、毎回すごく楽しい雰囲気でやっているんです。忘年会のときに振り返りをして、そのときにお母さん達に改めて感想とかを話してもらったんですよ。年配の方の一人は震災前に旦那さんを亡くされいて。「うちは家が残っちゃって」とおっしゃるんです。自分の家は残っちゃって、周りの流された家の方はちょっと離れた仮設住宅に移住してしまった。ひとり取り残されたような感じになってしまって、家にいたら外出する機会がなかったみたいで。生きる希望が無くなってしまっていたんだけど、この仕事でみんなが集まるのが楽しくて。前の夜から楽しみにしてるのよ、と。おかげでまた生きる希望をもらった、みたいなことをおっしゃってくださったんです。その時にやっとほんとの意味で、やってよかったなと思えた気がしました。

―そうですね。

もっと金儲けに走ろうと思ったらやれなくないんです。より多くのお金を短期的に配ることもできたかもしれない。でも、どちらかといえばそれは手段で。やっぱり、やってる人たちがちゃんとすこやかにいれる場をつくることの方が大事だという思いもあり。いったい何が正しいのか分からないながら進んできたので、一人でも心からそう思ってくれたなら、すくなくとも間違いではなかったのかなと思えました。

―喜んでいる人たちの顔も見えるようになりましたね。

たとえ売れなかったとしても、こういう言葉があったから僕はやってよかったと思える。逆に、たとえ売れても、その人たちが笑顔にならなかったら意味がなくて。まぁ、実際にはつくってもらうからには売れなかったら申し訳がたたないから、絶対に売れるものをつくろうと最善を尽くすんですけどね。

あとは、上手くそれぞれのペースに合わせて出来たらいいなと思っています。思いっきりやりたい人はがんばってもらって、そんなにがんばれないけどそこで集まる場が楽しいって人には、ちょっとでも来たら居場所があるようにしたいなと。

―今後が楽しみですね。また話を聞かせて下さい。

聞き手:中村健太(みちのく仕事編集長)/文:加納実久(ボランティアライター)

■前回のインタビューはこちら:一緒に歩く人を見つけるまで

■右腕である鈴木悠平さんのインタビューはこちら:1対1の支援をつむいで、牡鹿ブランドを育て上げる。

■右腕募集情報:地域の未利用資源活用とコミュニティ再生プロジェクト(つむぎや)(募集中)

OCICA-ソトコトオンラインショップ (ネックレスはこちらから購入が可能です)

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