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特集記事 女川町の子どもたちと、未来を創る

私にとっての右腕体験9040viewsshares2013.02.08

女川町の子どもたちと、未来を創る

2012年5月から、宮城県女川町にあるコラボ・スクール女川向学館で右腕として活動する諸戸彩乃さん。仙台で生まれ育ち、東京でやり甲斐ある仕事をしていた彼女が、東北で仕事をすることになった経緯やその魅力についてお聞きしました。【2012/10/26 コラボ・スクール女川向学館 諸戸彩乃】

 


 

-2012年5月から女川向学館で活動を始められて約半年になりますが、今から1年前の2011年秋頃は、どんなことをなさっていましたか?

1年前は、所属先の会社から電機メーカーのCSR部に半常駐しながら、子どもたちに科学教育を推進するプロジェクトをおこなっていました。冬に向けて公益社団法人さんと一緒に、東北の子どもたちに科学教室を提供する準備をしていましたね。日常的にその電機メーカーが運営している科学館で、ワークショップイベントの設計、実施サポートや、プロジェクト全体のコンセプトの整理とPRをどうしていくかなどのブランディングを担当していました。

-やり甲斐のありそうな仕事です。当時、転職のご予定はなかったのですか?

はい。2011年秋のタイミングで転職する気は、まったくありませんでした。3月11日に震災が起きて、やっぱり教育の仕事がしたい、と思いました。理由は、テレビを通して見る子どもたちの発言や行動に心が震えました。こんな言葉やこんな動きが、これだけ大変な経験によって子どもにできるようになるんだと、子どもの持っているエネルギーや成長の可能性をものすごく感じたんです。そこにばっかり、自分の心が響く。広告から教育の道に方向転換しようと決めたのが、2011年4月のことです。まずは働きながら来年度の教員採用試験を目指して、勉強しようと思った矢先に、先の科学教育を推進するプロジェクトに異動の話をいただきました。企業がどう教育に関わり得るのかを学ぶ絶好の機会だと思ってお引き受けしたら、とてもおもしろくて。あと2年くらいは関わりたいと思って、仕事をしていました。

―コラボ・スクールとの出会いは、2012年2月に開催された右腕マッチングフェアですか?

はい。実は私自身は、小学校1年〜高校3年生まで仙台に住んでいましたので、東北のことは、ずっと気になっていました。何もかもなくなってしまった場所だからこそ、新しいビジネスモデルや革新的な動きが生まれるのではないかという気持ちもあり、実際に今どんな動きが東北で起きているのかを知りたいと思って、2月のマッチングフェアに参加しました。そこで、代表の今村のプレゼンテーションを聞いて、「私と同じ考え方をしている人がいる。私はここで仕事しよう」と思ったんですね。

震災の後、子どもの教育に関わりたいと思った理由は、子どもに可能性を感じたからと先ほど話しましたが、彼らがかわいそうとか、どうにかしてあげたいという気持ちとは違いました。無限の可能性を秘めた彼らの成長過程に携わりたいと思ったからです。「最初はなんとかしなくちゃ、と思い色々とヒアリングしたが、聞いているうちに、この子たちはものすごいエネルギーと力を秘めていると気づいた。5年後や10年後に、日本の未来を引っ張っていくイノベーターになるかもしれない、という期待を抱いてコラボ・スクールを立ち上げた」、という今村の話を聞いて、自分と同じ考えで、実際に行動して形にしている人がここにいる、この人と仕事がしたい、と強く思いました。翌週にはエントリーシートを出して、5月からコラボ・スクールに参画しています。

―女川向学館で活動を始めて、参画する前とのギャップは何かありましたか?

正直言うと、思っていたよりもちゃんとしているな、という印象でした。たとえば、目標設定がなされていたり、3ヶ月ごとに個人のアクションプランを立てて上司と面談設定していたり、「カタリバの約束」というクレド(20の行動指針)が言語化されていたり。ただ、コラボ・スクールはできたばかりなので、どの方向に進んでいくのかが最初の頃はわからず、このまま続けていけるか不安になることもありました。関わり続けていくうちに、今は創っている過程なので、混沌と整っていない状況は当たり前。自分ができるところから整えて、代表らをサポートできるように自分の動きを変えようと考え直しました。

―意識に変化があったのは、いつ頃ですか?

明らかに覚悟を決めたのは、2012年8月です。OECD東北スクールという高校生との合宿期間中に高校生の成長を目の当たりにして、あ、やっぱり教育っておもしろいと思って。彼らが、将来が不安定なこの地域をどうにかしていきたいという思いでぶつかりあっていく姿を見て、まだしばらくはここで一緒に勉強したいなと。来年度もやろうと心に決めています。

―子どもたちとの関わりの中で、印象的なエピソードを教えて下さい。

日々のふとしたときに、成長しているなというのが見えるのが嬉しいです。私がここに来てよかったなと思ったエピソードがいくつかあるんですけど、その一つは、高校生とのコミュニケーションです。

ある企業の方がいらして、高校1年生の男子生徒にインタビューする機会がありました。その方は男子生徒に、「海を嫌いにならないの?」と聞いたんですね。「津波で全部失った海を嫌いにならないの?」って。すると生徒は、「僕は、海は嫌いになれないです」って答えたんです。「僕は、ずっと女川町で、おじいちゃんもずっとその前もこの町で生きてきて、ずっと海に支えられて生活をしてきています。今の僕がいるのは、海があったおかげ。津波があっていろんなものがなくなったことは悲しいけれど、自分が今ここにいれるのは海のおかげです。女川町があるのも海のおかげなんです。それを考えると、僕は海が嫌いになれないです。」と話してくれました。高校1年生で、ここまで現実を俯瞰して咀嚼して物事を考えられるんだと、驚きました。

それ以外にも、ずっと解きたくないと言っていた計算問題を、いつの間にか黙って解くようになったり、落ち着きのない生徒が、すてきな詩を朗読したり、小さな喜びやハッピーがたくさんあって、それらが日々の活力です。

―1日のお仕事の流れを教えて下さい。

午前中は授業準備や、授業以外の高校生とのプロジェクト等を始めとする複数案件の準備や設計をしています。15時半からスタッフ全体の定例ミーティングをおこない、その後が授業です。現在は、小学校1〜4年生11人の授業と、中学校3年生の社会を週に4コマ担当しています。小学生は、とにかく元気なクラスですね。以前は、落ち着いて授業を始めるのに15分かかったのが、最近は5分くらいになりました。授業中に解くプリントも、1回の授業で2,3枚だったのが、表彰や、先生とのコミュニケーションを記録するカードをつくるなどの工夫することによって、最近は平均5,6枚、多い子で10枚くらいは解いています。

 

 

―机の並べ方が通常の教室と違いますね。

11人の生徒を学習サポーター含めて4名で授業をしていますが、サポーターの周りを3人の生徒が囲むように机を並べています。最初は座学形式で並べていたんですが、コミュニケーションをとる隙があると、すぐに立ち歩いて騒いでしまうんですよね。机と机をどんなに離しても、だめでした。ある時、机をサポーターにくっつけた子どもたちがいて、そこのグループがめずらしく真面目に勉強したんですよ。これだ!と思って、全員をグループ形式にして、机をくっつけたら、やっと安心して勉強できる環境ができました。わざと10センチくらい机と机の間をあけて並べても、いつのまにかくっついてるんです(笑)。

―かわいいですね(笑)。中学生との授業はどうですか?

小学生とは違って、きちんと会話のやりとりができるので、楽しいですよ。学校の先生とは少し違う存在として、見ているんだろうなと感じます。私たちも、生徒との距離感は日々模索しながら構築しているんですけど、友達にはなっちゃいけないんですよね。でも学校の先生とも違う。カタリバがいう“ナナメの関係”なんですけど、これまで言ってきたナナメの関係とも、私はちょっとだけ違う気がしていて。ナナメの関係よりは、距離はもうちょっとだけ遠くないといけないのでは、と思っています。

―もう少し聞かせて下さい。

ほんの少しの違いなんですけど、ここではちょっぴり尊敬されなきゃいけないっていうか。都内で展開している大学生が高校に出張して高校生の動機づけを行う “カタリ場”と違って、日々の学校運営であるコラボ・スクールでは、指導をしなければいけない場面が、必ずあります。友達関係のような親しい関係になりすぎると、必要な時に指導が通らなくなってしまう。ナナメの関係プラス少しの尊敬、みたいなものがあると、指導される子どもたちも納得感があるというか、腑に落ちるんじゃないかなと。難しいんですけどね。

―これから、どんなコラボ・スクールになったらいいなと思っていらっしゃいますか。

向学館は、2011年7月に正式に開校して以来、走りながら考えて運営してきました。コラボ・スクールらしいやり方が少しずつ見えてきている中で、5年後や10年後、女川町のためにリーダーシップを発揮していく人材を輩出するための教育が必要だなと思っています。地域コミュニティについて扱う時間を学びに組み込んで、子どもたちが町に関わっていく教育プログラムを考えたいです。

また、震災から1年半が経過して、落ち着きのない子が見受けられるようになっています。子どもたちに対して一貫したコミュニケーションをするためにも、保護者の方や学校の先生、町民の方たちと連携して、地域全体で子どもたちを見守る環境をつくっていくことで、「女川町で子どもを育てたい」と町の人に思っていただける環境にすることが、私たちが町に対してお手伝いできることかなと。あとは、きちんと子どもの居場所と学ぶ場で在り続けることですね。

 

 

―最後に、クレド・カタリバの約束の中で、一番好きな1つを教えて下さい。

うーん。今は、「未来は創れる」でしょうか。“何も無いところからでも、未来は創りだせる。仕事の枠組みを自ら定義して、一つずつ問題を解決していこう。”というメッセージが好きです。私の行動は、私が決めている。私は、今村久美のように、何かをゼロから立ち上げることまではできないけれど、自分の枠組みの中では最大限やっていこうという気持ちです。自分が組織に還元できる枠を、自分で設定して、仕事を創っていきたいと思います。

 

聞き手・文:辰巳真理子(ETIC.スタッフ)

■右腕募集情報はこちら:放課後学校「コラボ・スクール」(女川町・大槌町)

■2月23日(土)に仙台で開催する「みちのく仕掛け人市」では、コラボ・スクール担当者も登壇します。

みちのく仕掛け人市の詳細はこちら!:みちのく仕掛け人市WEBサイト(開催終了)

■3月26日(火)に東京で開催する「みちのく仕事 右腕派遣プログラム説明会」では、東北のサブディレクターも登壇します。

東北の「こども・人材教育」右腕派遣プログラム説明会の詳細はこちら!:東北の「こども・人材教育」右腕派遣プログラム説明会

 

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